第9話

「前からずっと聞きたかったんだけど、鳴川はどうして俺の為にそこまでしてくれるの?」

「家に着いてからでいい?」

「俺の家? それとも東雲さんの?」

「……ううん、私の」


 そのまま鳴川に連れられて初めて鳴川の家へお邪魔した。


「お、お邪魔します」


 綺麗に整頓された家具に殺風景なレイアウト、生活感がまるでない。

  両親が共働きだったりするのだろうか。


 そのままリビングへ入ると部屋の隅に仏壇が置いてあった。遺影が三つ、両親と姉妹だろうか。ああそういう事かと俺は暫らく言葉を失った。


「じゃあ話の続きしよっか」

「その前に線香を立ててもいいか」

「ありがと……きっと喜ぶと思う」


 仏壇の前に正座し線香を立てて合唱をしてこうべを垂れ黙祷を捧げる。


 遺影の他に四人で写った写真が置いてあった、偽りのない満面の笑みで生前仲が良かったんだろうな。


 そういえば俺はなんでバイト詰めてまでして一人で暮らしてるんだっけ。


「じゃあさっき聞かれたこと答えるね」


 思わず息を飲む。ずっと気がかりだったこと、ずっと知りたかったことがもう少しでわかるんだ。


「実はね、斗賀くんは覚えてないかもしれないけど私達10歳のときに会ってるんだよ」

「俺と鳴川が昔会ってた?」

「やっぱり忘れてたんだ……」


「悪い。というか俺には高校に入るより前の記憶がない」

「どうしてそんなに大事なこと今まで黙ってたの!」

「信じられないかもしれないけど今まで忘れてたんだ。記憶がないことすら」


 鳴川が混乱するのも無理はない。今まで接してきた男がずっと記憶喪失だった

 なんて知ったら驚きすぎて俺なら距離を置きたくなる。


 記憶がないにも関わらず勉強や、俺が人狼だということはちゃんと覚えているんだから不思議だ。


  まるで都合がいいように過去の記憶を消していたようにも考えられる。

 今考えると何故この歳で家族と暮らしていなかったのか、連絡先に家族の名前がないのかを疑わなかったのかも疑問に思う。


 俺の家族は今どこで何をしてるんだろうか、ちゃんと生きてるのかな。


「ってことは記憶喪失?」

「まあそうなんのかな」

「なら病院行かないとじゃん!」


「でももう一年近く前からだ。今更行っても……それにまだ俺と鳴川が過去に会ってたって事実しか聞かされてないから気になる」

「じゃあ全部話し終わったらちゃんと病院行ってよね。閉まっちゃうから手短に話すわね」


 溜息をついて諦めたように再び話し始めた。


「うわ雨……こんなに降ってたらお家帰れない……」


 仕方なく10歳の私は屋根の付いたベンチの下で雨が止むのを待っていた。

 けど雨は止むどころか時間が経つにつれ勢いを増していった。


「お母さーん! お父さーん! みやび! 迎えに来て……」

「お父さんでもお母さんでもないけど、よかったらこれ、使う?」

「え、傘? いいの?」


 それが私と斗賀くんが初めて出会った瞬間だった。


「あ、でもあなたが濡れちゃう……」

「俺久遠っていうんだ。斗賀久遠。君は?」

「名前? 鳴川凛祢……だから傘刺さないと濡れちゃうってば」

「まあまあちょっと見ててっ」


 そう言うとベンチから離れて私の前で雨に晒され、一瞬でずぶ濡れになった。


「何してるの……!?」

「ちょっと濡れるかもしれないから傘開いて俺の方向けといて」


 傘を開いて再び彼を見ると、確かに濡れていたはずの彼の身体には幾らか雨粒が残っているだけだった。


 なにが起きたの? 今の一瞬で濡れた髪やからだを乾かしたの?


「な、何したの……?」

「じゃあ今度はちゃんと見ててね……はぁっ……!」


 幼い彼の身体が獣のように変化し全身が長い毛で覆われた。

 変化すると同時に身震いして見せてくれた。


「俺実は人狼なんだ! ほら、犬とかってブルブル震えて水払うだろ? だから俺もそうしたら乾くから傘は君が使っていいよ」


 人生のなかで出会ったことのない人狼が実在したという事実をすぐには飲み込めなかった。


 しかし目の前で人から狼に変身した所を見てしまい、否定のしようがなかったのでますます私は混乱させられた。


「あ、でもこのことは二人だけの内緒ね。本当はかっこいいからみんなに見て欲しいんだけど、きっとみんなは怖がっちゃうから」

「あの……ちょっとだけ触ってみてもいい?」


 そう尋ねると無邪気な笑顔を見せて「触ってくれるの?」とはにかんでみせた。


 私は恐る恐る彼の背中の辺りを撫でると、初めて彼の言っていることが本当なんだと感じた。


 でも不思議と恐怖を感じることはなかった。彼の体毛のなんとも言えない感触と暖かさが手に馴染んで心地よくて、凶暴な気配なんて一切感じられなくて、叶うならずっと触っていたかった。


「そろそろ帰らないとお父さん達心配するんじゃない?」

「そうだね……ねぇ……また、会える?」

「会えるといいね!」


 家に帰ってからも雨の日の公園で出会った男の子のことを考えると、ずっと胸のドキドキが鳴り止まなかった。


「また、会いたいな……」


 それから毎日あのときと同じ時間に彼から借りた傘を持って待ち続けた。

 するとそれから一週間が経った頃に再び通り雨にあった。


 傘はもっていたけどもしかしたらまた現れるんじゃないかと思ってベンチで待ち続けた。すると予想通りまた彼は現れて変身して身震いして見せてくれた。


 私は彼と沢山会話を交わした。一週間ここで待っていたことや学校であったこと、妹の雅の愚痴、そんな些細なことばかり。


 そしたら彼も色々話してくれた。家や学校のこと、自分のこと。そしてどうして雨の日に出歩いているのかを。


「父さんが人前でこの姿になっちゃいけないってよくいうんだ。でも俺はこの姿好きだからさー、雨の日ならあんまり人もいないし外でなってもいいかなって」



 あるとき家族で遊園地へ出かけ、遅くまで遊んだ挙句疲れて私は車のなかで眠っていた。


「凛祢、救急車を呼んでくれ……!」


 目を覚ますと父の慌てた姿が真っ先に目に飛び込んだ。その次に傷を負った家族の姿。

車もあちこち凹んで車のパーツがむき出しで、言葉に出来ぬような悲惨な状況だった。


「いや……いやぁっ……!」


 何が起きたのかもわからないまま、急いで救急車を呼び、私を含めた家族全員が駆けつけた救急車に運ばれた。


 母と妹は重体で意識のない日が何日も続いた。父も咄嗟に私を庇い、背中に深い傷を負っていて結果的に無事だったのは私ひとりだった。


 毎日毎日三人が回復することを願ってお見舞いを続けた。しかし現実は残酷でその甲斐もなく全員が退院することなくお別れとなった。


 人の死は私が思っていたより呆気ないものだった。毎朝ニュースで流れる凄惨な事件や事故、それによって亡くなった人達。


  全部私達とは無関係。私は、私達はそう簡単に死ぬわけない。自分達とは無縁だと思って生きてきたのに突然家族を失って今度は私があっち側。


 これからどうやって生きようだとか、そういうことを考える余裕はなくてひたすら無気力に涙を流した。


 親族は皆私の押し付け合いや遺産の話ばかりで、生きている理由がわからなくなった。いっそ一緒に死ねたらこんな思いもしないで済んだかもしれないと何度も思った。


 そんな空気が嫌で、逃げ出すようにいつもの公園へ向かった。

 きっとあの子と話してるうちは嫌なことも忘れられると思ったから。


「久遠くん今日はいないのかな」

「凛祢……! はぁ……はぁ……居てくれてよかった!」

「久遠くん……」


 来てくれた。彼だけは私を見捨てないでいてくれるんだ。

 でも彼は酷く慌てた様子で申し訳なさそうにそそくさと言葉を紡いだ。


「ごめん凛祢……俺、実は今日引っ越さないといけないんだ……」

「え……?」


 そんな淡い期待すら無慈悲に断ち切られた。

 私は大きな声をあげてボロボロ涙を流して泣いた。でも泣きじゃくる汚い声は雨音が、私の頬を伝う大粒の涙は雨が洗い流してくれたからきっと彼には見えてない。聴こえてない。


「待って……行って欲しくない……行かないで!」

「もっとはやく伝えれたら良かったのにごめん。でも俺、凛祢の家どこか知らないし、ここに来ても居ないんだもん。だからこんなに遅くなって……でもたぶんきっと、もう少し大きくなったらこっち戻ってくるからそのときはまた……」


「勝手なことばっかり! 久遠くんが居なくなっちゃったらわたし、どうしたらいいのかわかんないよ……。わたしからもお願い。いつもみたいに最後に話がしたい」

「ああ、もちろん。でも最後じゃないってば」


 そうしてひとりで抱え込んでたモヤモヤを彼に全て吐き出した。

 斗賀くんは少し複雑そうな顔をして何故引っ越すのかを教えてくれた。


 仕事の都合だと聞かされたけど本当は違うのだと、噂が流れれば噂が忘れられるまでその場所を離れないといけないのだと。


「どうして久遠くんみたいな子がそんな目にあわないといけないんだろ……」

「本当は俺も俺のこと隠さずに居たいけど、難しいからしょうがないんだ。でももし他の人と同じように俺も本当のこと言っても本当の俺を認めてくれる人が増えたら、こんな俺でも生きてていいんだって言って貰えたらきっと凄く嬉しいと思う。今は君が俺を否定しなかったのがすっごく嬉しいよ」


「じゃあこっちに帰ってきたときは二人でその夢叶えようよ」

「絶対約束な!」


 引越してしまう前に彼と話せたことで昔の私は心から救われた。

 いつか帰ってきてくれると信じることで不思議と無気力だった自分から変わることができた。


 だからまた彼と会えたときはちゃんとお礼を言って、一緒に夢を叶えてあげると決めていた。



「そう約束したのに。斗賀くんったらなんにも覚えてないんだもん……」


 そんなことがあったんだ。鳴川は七年前の約束をずっと忘れずにずっと俺が帰ってくるのを待ってたのに、俺はぜんぶぜんぶ忘れてた。鳴川は俺の夢の為に協力してくれてたのに。

何があって昔のこと忘れちまってるのかわかんないけど、今すぐにでも思い出さないと鳴川に失礼だろうが。


「絶対……絶対に鳴川との思い出、思い出してみせるから。そしたらまた……」

「そしたらなに?」

「やっぱ思いだしたらにするよ。とりあえず病院に行かないと閉まっちまう」


 なんとか滑り込みで病院に受診したが、結果どこにも異常は見られずストレス等の影響があるかもしれないとのこと。


 もう一年近く続いていることだから過去の記憶になにか原因があるかもしれないが、それを忘れてしまっていてはやりようがない。


「ここが私と斗賀くんがよく会ってた公園。懐かしくて安心するな」


 記憶にないのに俺も久しぶりに訪れたような不思議な感覚だ。

 ここで7年前に鳴川と会っていたと思うと、なんだか胸の辺りがジーンと暖まるのを感じる。


「ここが私が雨宿りしてたベンチなんだけど、どう? なにか思い出せそう?」


 7年前この場所で鳴川と。


「これ、使う?」


 なんだ今のは。ほんの一瞬10歳くらいの少年が傘を差し出す様子が脳裏に描写された。


「一瞬昔の俺が見えた気がした」

「本当!? じゃあ私ここで泣いてるから、斗賀くんは傘持って差し出してきて!」

「あ、ああ。でも傘なんてどこにも……」

「フリでいいから!」


 ベンチで泣いている鳴川に近付き、傘を手渡すフリをする。


「雨怖いよぉ……」

「こ、これ使えば……?」


 鳴川の演技に比べ、俺の演技が残念過ぎてこんなんじゃ思い出せるわけがない——。


「え、傘? いいの?」

「俺久遠っていうんだ、斗賀久遠。君は?」

「名前? 鳴川凛祢……だから傘刺さないと濡れちゃうってば」


 前言撤回。まただ、でもさっきより長い。だとしたらこの調子で続ければ思い出せるかもしれない。


「鳴川、もう少し何か思い出せるようなのを頼む!」

「え、鳴川何して!?」


 急に抱き締められたかと思うと、鳴川は優しい手つきで背中をさすり始めた。

 突然抱き締められたことにはじめこそ戸惑っていたものの、まるで7年前鳴川に狼の姿で撫でられたあのときに似た感覚を思い出す。


 あのときってあれ。なんであのときのこと覚えてんだろ。

 それだけじゃない、鳴川とここであって話したことも今なら全部ちゃんと思い出せる。


「……待たせてごめん、凛祢。君のことちゃんと思い出したよ」


 初めて会った大雨の日のこと、あのとき初めて他人に見せてしまった本当の姿、凛祢と別れたときのこと、あのとき伝えられなかった俺の気持ち。


「遅いよばか。ずっと待ってたんだからね」

「ごめん、それからただいま」


「俺から約束したのに今まで忘れてるなんてぶっ飛ばしたくなるくらい最低だけど、良かったらまた、昔みたいに仲良くしてくれないかな」

「追加で2年分一緒に居たんだから、昔よりずっと仲良くできるに決まってるじゃない」


 こんなに大切に思える人ですら俺は数年も忘れたままだったなんて何してんだよ。

  凛祢と一緒の学校に通える時間こんなに減らしちゃってさ。


「久遠くんが思い出したならより一層明日から精が出るね」

「また二人で、いや東雲さん達含め四人で探していこう」

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