第13話
「うわぁぁああああああああぁぁぁああああああああ!」
頭の中が真っ白になっていくのが分かる。思い出したくない、そんな記憶。
俺はやってない、そんなこと決して。
信じられない、信じたくない!
全部全部……っ!
「どうしちまったんだっ!」
「……ああああああああっ!」
俺の中に渦巻く俺の知らないナニカに飲み込まれそうだ。怖い。怖くて堪らない。
「落ち着けっ!」
「記憶の混乱によって意識を失っているんだ。ここは僕が何とかするから、死にたくなければ逃げろ!」
「っ……誰だよあんた、んなこと言ったって!」
「いいから早く!」
「落ち着いてくれ、そんなの君らしくないだろう?」
誰かの声が聞こえる。意識保たないと、ダメなのに……俺が暴れたらみんなを傷付けちゃう。人狼が暴れたって噂になったら今までしてきたこと全部全部無駄になっちゃう……。
「ぐああああああ……っ!」
なのに、俺の身体なのになんで言うこと聞いてくれないんだよ。
東、雲……。
凛祢……っ……みん……なっタス……ケテ……。
「容赦なしか、このまま放置じゃ本当に危ないな……せめて一瞬でも隙ができれば」
「オレが囮になって隙を作る。だからあんたはその隙にあいつを!」
「本気を出していない久遠に手も足も出なかったんだ。次は本当に死ぬぞ」
「黙れ、あいつはオレの仇なんだ。このままで居られたら困んだよ!」
「ほらこっちだド阿呆……っ」
「ヴァあああ……ッ!」
やめてくれと何度願っても身体は動かない。頭と身体が別の生き物みたいだ。
ああ、そうか。やっぱり俺は化け物だったんだ。こんな風に人を襲って自分のからだも自分で制御できなくて。
「くそっ! はやすぎるだろ。時間稼ぎすらできないってのかよ……」
「あーもう、言わんこっちゃない」
「く、久遠くん……! はあ……はあ……」
「あ……ッ」
この声……凛、袮……なのか……?
うぐっ……!? 身体が動かない。
「ぐああああううう!」
「ナイスタイミング……帰ってきちゃったのは褒められたことじゃないが、正直助かったよ」
「久遠くん……!」
「離れろ! そいつに近付くのは命を捨てに行くようなもんだ!」
「その通りだ。僕が拘束したとはいえ完全に動きを封じたわけじゃないんだ」
「大丈夫だよ。久遠くんは人を傷付けたりなんかしないもん。ねっ、久遠くん」
突然柔らかな感触が身を包んだ。俺の背中を撫でる暖かな手はまるで聖母のようで。
それはどこか懐かしくて。きっとあの日凛祢が俺の背中を撫でてくれたときと重ねているんだ。
先程まで俺を蝕んでいた邪悪な心が浄化されていくように瞬く間に消えていく。
「凛祢、俺……」
「久遠くんが今みたいに自分を信じれなくなっても私がずっと信じていてあげるから。もう怖がらなくていいからね」
気が付くと俺はベットの上で眠っていた。
でもどこか見知った人の匂いがする。
紅茶と洒落た香水の匂い、きっとここは東雲の家のベットで間違いない。
「あれ、あの後どうなったんだっけ」
ふと目を開けて辺りを見渡すとすぐ近くに凛祢が座っていた。
「やっと起きた……もうずっとこのままなんじゃないかってずっと心配してたんだからね!」
俺と目が合った瞬間疲れ顔のまま怒り始めた。そうか、フードの話聞いてその後暴れちゃって。そしたら東雲さんと凛祢が止めてくれたんだっけ。
「二人とも心配かけさせた。沢山迷惑かけて本当にごめん……助けに行ったのに助けられてたんじゃ世話ないよな」
「僕じゃない。君が助かったのは彼女のおかげだよ」
「それに彼女は三日も眠りっぱなしだった君を健気に横で看病していたんだ、彼氏としてなにかしてあげてはどうだい?」
「東雲さん、それは……っ!」
あれだけ暴れて今まで築いた関係も壊れるんじゃないかって。元通りなんていかないって思ってたはずなのに、そこにはいつも通りの光景が広がっている。
申し訳ない気持ちで押し潰されそうだけど、過ぎたことや自分を過剰に責めたって現実逃避にしかなりはしない。
「そんなに長いこと俺のことを。凛祢、なにかして欲しいことあったら言って。それからありがとう」
「う、うん……考えとく」
そう言って恥ずかしそうにはにかむ凛祢を見ると俺を押し潰しかけていた重荷が少し、ほんの少しだけ軽くなった気がした。
「斗賀様、お目覚めになられたんですね! 本当によかった……もう目を覚ましてくれないんじゃないかと思ってたんですからね……」
「もう、話は終わったか?」
慌てた様子で黒燕が部屋に飛び込んできた。普段は落ち着いてみえるのに彼女はわりと情に厚い。
それともう一人、見覚えのある男がドアにもたれるようにして立っている。
「黒燕もありがとう。それでそっちはどちら様で?」
「彼は
「ああ、近くに居たのに俺のこと殺さずに居てくれたんだ」
東雲の説明を聞いて納得した。不撓響希、懐かしい響きだ。あの時と殆ど変わらない。
「まだ話が済んでないからな。それより少しは思い出したか?」
「そっか。ああ思い出したよ」
「今すぐ教えろ。お前の中にある過去の記憶全て」
「久遠様はさっき目覚めたばかりなんですから……」
「大丈夫だよ、もう彼を長いこと待たせちゃったから」
「結論から言うと、君の姉さんと俺の父さんのことを殺したのは俺じゃなかった」
「じゃあどうして。何故あのときお前は逃げた、血塗れで包丁を握ってたんだ」
やはり響希から疑いの色は消えない。まあそうか、やってないで済んだらここまで来てないはずだ。
「あのとき君が帰ってくる少し前に俺は家に帰った。そして響希と同じ光景を目の当たりにした。父さん達を中心にできた赤黒い血溜まりを見て、そして絶句した——」
「じゃ、じゃあ既に他の誰かに殺されてたっていうのか!?」
頷くことしかできなかった。彼の辛そうな顔を見るのが心苦しい。
やめてあげたい、いっそ二人とも忘れたままの方がよかったんじゃないのか。
「はやく続けろよ」
「もう十分じゃないか。そんなに辛そうな顔でいられたら話せない……」
「ふざけんなよ。それで話したつもりかよ。お前は自分の無実を証明したつもりなのかもしれないけどさ、オレは事の顛末が……あの日なにが起きてたのかが知りてぇんだよ。それじゃ全然足りねぇんだよ……」
きっと続けたくなかったのは俺だけだ。耐えられなくなりそうなのは俺の方だったんだ。弱いのはいつだって俺だけだ。俺達の問題なんだからケジメつけないとってわかってるのに、腹括ったふりしてそれでもまだあと一歩踏み出せない。
「凛祢?」
不意に左後ろから裾を引っ張られて振り向くとそこには凛祢がいた。
俺の顔を見つめているだけなのにひとりじゃない気がして勇気が湧いてくる。
ひとりじゃなにをしたって満足にこなせない俺に、凛祢はいつもあと一歩踏み出す勇気をくれる。
「俺が、俺がすぐに家を飛び出していったのは新しいニオイが残ってたからそのニオイを追って——」
「ちょっと待て、ニオイってなんだよ」
「父さん達を刺した犯人のニオイ、だと思う。でも追いついたときにはそいつも死んでた。自殺してたんだ……首吊って。そのまま精神の脆い俺は耐えられなくなって過去の記憶と共に閉じ込めてこの街へ帰って来たんだ」
きっと記憶をなくしてもここに戻ってきたのはそれでも微かに覚えていた凛祢との再開の約束があったからだ。
「どうして。犯人を追うときオレに一言伝えてくれなかったんだよ。一言そう言ってくれるだけでオレの心は救われた。お前を恨むこともなかった。お前を攻撃することも誘拐なんて過ちを犯すこともなかった……!」
嗚咽しながら叫ぶ響希の言葉が俺の心を抉る。俺の判断ミスで響希の人生を棒に振らせたのだとしたらどうやって償えばいいんだ。
「こんなこと言っても言い訳にしか聞こえないけど——闘えないお前を連れて行くのは危険だと思ったからなんだ。お前には普通に生きてて欲しかっただけだったんだよ。言ったら絶対ついて来ると思ったから。でも何か伝えるどころか帰る前に記憶を閉じ込めてしまった俺の弱さが響希の未来を潰した。こんな結果を招いたんだから全部俺のエゴだよ。何度言葉を重ねても許されないけど俺には謝ることしかできないから謝らせてくれ、すまなかった」
2分程静寂が続いた。きっと響希は自分の中の葛藤と戦っているんだ。
「許すか許さないか、それはオレが決めることだ……あんたが決めるな! オレがしたことは全部オレの責任だ。あんたは既に罰だって受けただろ! なにも辛いのはオレだけじゃねぇ。あんたも被害者だ……なあ、オレはもうあんたのことを恨んじゃいねぇんだよ……。だからそんなに自分を責めるのはやめてくれ」
「ああ、ありが……とう……響希」
我慢していた涙腺が限界を迎え、決壊したダムのように我慢していた雫がとめどなく溢れ出る。周りは静かにそれを見守り暖かな温もりに包まれてゆく。
申し訳ないけれど嬉しくて、満たされるような締め付けられるような混沌とした感情が胸の内を支配した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます