第15話

 さっそく準備をして儀式を始めることになった。詳しいやり方を知らなかった伽々里が母親から説明を受けた。


 もし成功してもせいぜい話せて5分が限度で、それ以上は降ろせないらしい。


 そして体力の消耗が激しいので決して無理はしないこと。これが伽々里の母親からの条件だった。


「伊織、危ないけど本当にするの?」

「ボクがしてあげたいんだからいいでしょ」

「そうよね、大事な人の為だものね。頑張ってきなさい」


「う、うん……もう始めてもいい?」

「伽々里のタイミングに合わせる。くれぐれも無理だけはしないでくれ」

「ん。じゃあ始めるね」


 俺達の為に伽々里が身を削って行う儀式だ。最大限彼女に気を使い、全身に鳥肌がたつ程緊張している俺とは異なり、伽々里はいたって落ち着いている。


 そして伽々里は目を瞑った。指示されていた通り俺は伽々里に向かって話しかける。


「父さん」


 俺の呼びかけに応じるように伽々里、否、親父は目を開けた。


「久遠、それに響希、置いていって悪かった。俺のせいで響希と久遠の間に亀裂ができていたと知りなんて言っていいんだか。不甲斐ない父親で悪かった」


 昔の記憶に残っている父さんと目の前にいる伽々里の言動を照らし合わせる。

 口調や全てを悟りきったように落ち着いた態度、成功だ。


 声こそ伽々里のものではあるが、俺は今父さんと話しているのだと実感した。 

  こんな非現実的でスピリチュアルな状況であるというのに先程のような緊張はなく、すらすらと目の前で起きている情報が滞りなく脳内で処理されていく。


「時間がない、その話はあとだ。あの日父さんや茜さんはどうしてあんなことになってたんだ」

「ああ、そうだな。とりあえず一通り話すから黙って聞いててくれ。社会人7年目の頃後輩の女から熱烈なアプローチを受けたが、知っての通り俺はそのとき既婚者だった。それからその後輩は退職し特に音沙汰なかった。それが偶然を装って茜に接近し、誤って茜は女を家へあげてしまった。女はおかしくなっていた、もしかしたらあのときからおかしかったのかもしれない。隠せているはずだった俺と人間との違和感に気付いてしまった女がまず考えたのは、俺の幸せの『破壊』だった」


 父さんはその後具体的にどうなったかは言わなかった。

 たしかに昔茜さんは父さんじゃないだれかと何度か遊んでくると言って出かけて行くところを見たことがあった。


  俺はその女に会ったことはなかったが、何となくだけどきな臭さを感じていた気がする。


 ふと気になって響希を見ると、がくがくと握りこぶしに力をいれてからだを震わせ歯を食いしばりながら必死に怒りを抑え込んでいた。


「人並み外れた身体能力を持つ人狼である俺がいながらどうして。そう思うよな、響希。俺は自分が人狼であることに強い劣等感を感じ、なるだけ力を使わないようにして生きてきた。そのせいで俺は人狼の力を失ったんだ。嫌で嫌でしょうがなかったこの力を封じ続けた結果、必要になったときだけ都合のいいようには力を貸してくれなかった。本当に不甲斐ない父親ですまない」


 父さんが人狼のことを人一倍気にしているのはよく知っていた。

 生まれてきてから父さんが死ぬまで、俺は父さんが人狼になったところを見たことがない。


それ程までに親父は人狼を嫌悪し、人になった。しかしそれが原因で大切な妻である茜さんを守ることができなかった。皮肉なもんだよな。


 父さんへ返す適切な語句が見つからず、響希の反応を待った。


「悪いのはあんたじゃない、その犯人だ。久遠が犯人じゃなかったことが証明されただけでオレは十分だ。でもオレはあんたを許せない。例え人狼だろうが人間だろうがどれだって全部あんただろ。なんで信じてやらなかった、どうしてそこまで嫌えるんだ。姉貴は、茜は……人狼って種族ごとあんたを愛してたっていうのにさあ……っ!」


 響希は一切の迷いすらなく言葉を重ねていった。響希はきっと父さんのことをそんなに好きではなかったと思うし、態度を見る限りでは明らかに敵対視しているように映っていた。


  それでもやっぱり家族として茜さんのパートナーとして父さんのこと気にしてたんだろうな。そうでなければ、響希自身がそう思っていなければ父さんに向けられた言葉で俺の心がこんなに揺さぶられることなんてないはずだから。


「返す言葉もない。本当にその通りだ。久遠の母親は人狼という重圧に耐えかねて家を出て行ってしまったんだ。それなのに彼女は、茜は俺達に家族と同等の愛を注いでくれた。死ぬ間際何度も後悔したさ。短い間だけど一緒に過ごした日々の中で彼女と出会えたこと、人狼として生まれてきたことの意味を思い知らされた」


 そう言い終わると鼻をすすり、父さんは顔を上に向けて空を見上げた。父さんの視線の先には紅く染った夕焼けが見える。父さんの瞳にそれが映っていたのかは分からない。


何故なら父さんの目には大粒の涙が溜まっているように見えたから。涙の雫を落とさまいと上を向いたのかもしれない、なにせ実の息子である俺の前でも一度も泣いたことがなかった人だ。


「最後になるが、久遠。俺自身が人狼の遺伝子を拒みコンプレックスに思っていたにも関わらず、お前に人狼の遺伝子を引き継がせてしまったことを許して欲しい。きっと人狼に生まれたことで今まで辛い思いも沢山してきただろうが、俺が最後に人狼として生まれてきて良かったと思えたように、久遠にも見つけられるはずだから」


 馬鹿だなあ、まったく。人狼が家庭を持つなんて何も悪いことじゃないだろ。

 自分がそうだったからって勝手に俺が不幸だって決めつけんなよ。


 そりゃこの体質について思うことがないわけじゃないが、父さんと違って人狼として生まれてきて良かったと思う理由なんてとっくに見つけてるっての。


「一緒にすんなよ。俺は別に人に生まれたかったわけじゃないよ。この力があったからこそ救えた人がいることも知ってるし、大切な人と出会えたことだって知ってる。俺や俺の周りを傷つけてしまうことがあるかもしれないけど、俺はこの力と一緒に精一杯生きてみようと思ってるから安心しろよ」


 これは決して父さんを安心させる為に吐いた言葉じゃない。心の底から思い、溢れ出して零れた言葉だ。

 

  辛いこと悲しいこと、そして凛祢達と目指す目標に関してはどこから手を付けていいのか分からないくらいだけど、なにも悪いことばかりじゃない。それはこの短い人生の長い時の中で十分分かってるからさ。


「そうか、強くなったな久遠……っ」

「お、泣いてんのか?」

「この子が泣いてるだけで俺は泣いてない」

「泣いてるじゃん」

「これはただの嬉し涙だ」


 嬉し涙ってことはやっぱり泣いてるじゃねぇか。素直に認めればいいのに、そんな所まで懐かしい。


「最後までわがまま言ってすまない。茜とも話したいこと沢山あるだろうがあっちに行ってまで思い出して欲しくないんだ。だから頼む」


 べつにその気持ちはわがままじゃない。むしろその願いを無視して茜さんと話すこと、そっちの方がわがままだろう。


「言われなくてもオレだって茜には忘れてて貰いたいさ」


 響希に続くように俺も首を縦に振った。


「もう時間だ、この子に心の底から感謝してると伝えておいてくれ。こんなに有意義な時間は後にも先にもないだろう、俺に先はもうないが久遠と響希ともう一度話せて良かった。二人ともさようなら、元気でな」


 今度はちゃんと父さんの涙が伽々里の頬を伝い、零れ落ちた涙の一滴がぶつかってアスファルトを濡らす。それから2、3秒後、伽々里に意識が戻った。

 父さんはもうそこには居ないのだ、俺らにもさよならくらい言わせろよ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る