第17話 沈黙

 明けて木曜日、とても出社する気分ではないが、凛にネックレスを返さねばならない。やむを得ず、待ち合わせの甘味処へ向かった。少し待ってやって来た送迎車に乗り込み、ポケットからハンカチに包んだネックレスを取り出す。ハンカチを開き、なるべく自分の手垢がつかないように丁重に扱ってきたその大事な品を凛に渡した。

「守ってくれたんですね、約束。無事に帰ってこれて何よりです。それと、このハンカチ、洗って返しますね」

笑顔の彼女に返す言葉が見つからず、はぁーっと大きなため息をついた。

「また何か難題を抱えてしまったみたいですね」

ため息の理由を聞かれるかと思ったが、聡明な彼女はすぐに察したらしい。

「実は・・・」

言うべきか言わざるべきか逡巡しゅんじゅんした。話せば少しは気分も変わるかもしれないが、結果としてますます彼女をトラブルに巻き込んでしまう恐れもある。凛がなんらかの行動をとることが予想されるからだ。やはり話すことはできない。私は沈黙した。

「話したくなければ構いませんよ。自惚うぬぼれれかもしれませんが、わたしに迷惑がかかると思って黙っているのでしょう。でも、正直言うと、元木さんとはいろいろ相談し合う仲に、というか、何て言えばいいのかしら、その、お友達、そう、いろいろ相談できるお友達になりたいんです」

「お友達ならたくさんいるでしょう。凛さんなら、男女の区別なく誰でもお近づきになりたいでしょうから。別に私じゃなくてもいいじゃないですか」

「岩井さんに聞いたんです、元木さんのこと。ちょっと口は悪いけどやさしい人だって。やさしいからお客さんのことを考えすぎて、手練手管てれんてくだで契約させるようなことができないんだって」

「買い被りですよ、そんなの。ただ口下手だから売れないだけのことです」

「いいえ、私のネックレス、ハンカチに包んで大事に持っていてくれたんでしょう。その行為一つとっても、岩井さんの言葉にうなずけるものがある気がするんです」

それから凛は私の顔をちらっと見た。

「寝てないんですね。目の下に隈ができてますよ。色男が台無しだわ」

「色男か。はは、凛さんもそういう冗談を言うんですね。大丈夫です、眠くなったら訪問途中に仮眠をとりますから」

そんな他愛のない会話が楽しく感じられて、欝々とした気分がいくらか晴れるようだった。うまく言葉にできないが、凛の周りの空気は柔らかくて暖かくて、接する者の心をやさしく包み込んでしまうような包容力がある。例えるなら、母親の腕に抱かれた幼児が感じるであろう心地よさだ。

「ぼうっとして何を考えてるんですか?いいですか、元木さん、誰かの助けが必要になったら、必ず私を頼ってください。あなたから見ればまだまだ若さゆえの未熟な人間ですけど、何かできることがきっとあるはずです。ですから、これを」

そう言って、携帯電話の番号をメモ帳に記し、それをちぎって私に手渡した。


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