第8話 商談

 御代川家のダイニングルームでの食事を終えると、長男の真一に案内されて2階の彼の部屋で商談を始めた。改めて名刺を差し出した後、間取りの要望や予算を訊こうとすると、「はい、これ」と言って、手書きの図面を渡された。

「雑誌とか見ていてみたんだけど、変かな」

採光、通風、動線、家相などなど、隅々までチャックしてみたが、おかしなところは一つもない。プロも顔負けのプランニングである。私は真一の頭の良さに思わずうなった。

「いや、いや、完璧ですよ。直すところがどこもありません」

「じゃあ、この部屋を防音仕様にして、見積り出してみてよ」

と言って、2階の音響ルームと書かれたリビングより広い部屋を指さした。バンド仲間を集めて練習する部屋だろう。

「それで、ご予算のほうは?」

「うーん、それがねえ。親父は頭金も出してくれないし、修行中の身でおれの給料も安いから、できるだけ安く上げたいんだよね」

「かしこまりました。何とかやってみます」

なかなかシビアな要求に不安をおぼえながら答えた。

「ところで元木さんよ。凛のことなんだけど、あいつ彼氏とかいんの?」

「さあ、部署が違いますし、話す機会もめったにありませんから存じ上げませんが」

「そうか。いい見合い話がいくつも来てんのに、全然興味ないみたいなんだよね。まだ25だから早いと思ってんのか、誰か意中の人がいるのか知らないけど、いちおう兄貴としては心配なわけよ」

「そうですか」

とだけ言って、翌日また会う約束をしようとしたところ、京都に反物の買い付けに行くため月末まで会えないとのこと。やむを得ず31日に商談日を設定し、部屋を辞去した。

階下に降りると、凛がそばに来て商談内容を訊いてくる。

「どうでした?」

「うーん。正直申しましてご予算のほうが・・・」

安請け合いして、できますなどと言ったら、あとあと困るのは目に見えているので、本音で答えた。

「もし贅沢を言うようでしたら、私が説得しますので、商談に同席させてください」

「31日の午後、展示場での商談ですけど、よろしいんですか」

「展示場回りが私の仕事の一つです。31日はそちらの展示場に伺うよう調整しますから、そのついでに商談に加わります」

凛の言葉に勇気を与えられた私は、早速商談のための準備をすべく御代川邸をあとにした。


 真一が展示場を見たいというので、本日31日の商談は展示場内で行うことになった。約束の時間になると、凛と真一、妻の美沙がやってきた。

「これ、つまらないものですけど、よかったら皆さんで」

凛が、高級和菓子店で有名な松林堂の袋をさし出す。恐縮して受け取ると、茶を運んできた岩井に手渡した。

 展示場を一通り案内し終えた後、リビングに三人を招じ入れた。まずはCAD(コンピューター図面作製機)できれいに仕上げた図面をテーブルに広げる。真一はしばし眺めていたが、自作の図面通りだから何の異論も出ない。そして、問題の金額の話になった。

「建物本体と、蔵の解体、それに登記費用などの諸経費と消費税を合わせますと、トータルで3280万円になります。先日お話ししましたように、弊社の利益分をまるまる値引いていいとの許可を得ておりますので、最終的な金額は2630万円となります」

「で、月々の支払いは?」

「はい、35年ローンで頭金とボーナス払いなしで、月々87,630円です」

見積書と資金計画書を前に、ペンで金額を指し示しながら説明する。

「そんな払うの、35年も」

やはりそうきたか。頭の中に暗雲が立ち込めた。

「頭金もボーナス払いもないんだから、それくらい当然よね、元木さん」

凛が私の言いたいことを代弁する。

「普通のサラリーマンならそうだろうけど、こっちは安月給でこき使われる見習い店員なんだぜ」

「なら、それに見合った大きさの家にすればいいじゃない。50坪なんて贅沢よ」

凛はいつになく強気だ。どっちが営業マンだかわからない。

「しょうがないだろ、音響ルームが幅取ってんだから」

「なら小さくすれば、その音響ルームを」

「だめだ」

「なら、いっそのことリビングを防音にして、音響ルームなんて無くせばいいじゃない」

「それもできないね」

話は兄妹きょうだい喧嘩の様相を呈してきた。

「ちょっとは現実を直視したらどうなの」

「うるさい。だいたいおまえの出る幕じゃないだろ」

そのとき美沙が遠慮がちに割って入ってきた。

「あの、私パートに出てもいいわよ。そうすれば月々2,3万円くらいは何とかなると思うんだけど」

「だめよ。美沙さんは御代川呉服店の貴重な戦力なんだから」

「じゃあ、どうすればいいんだよ」

「元木さん、何とかならないんですか。契約したいんでしょ。アイデアの一つでもひねり出してくださいよ」

凛がいつになく真剣なまなざしで訴える。なんでそんなにマジなんだ、御代川凛。

「そーですねー・・・たしか本宅に余ってる部屋があると伺いましたが」

「ええ、3部屋ありますよ」

「どうでしょう、お子さんがお生まれになってご自分の部屋が必要になったら、そちらに住んでいただくというのは?そうすれば6畳二間の12畳、坪数にして6坪削ることができますが」

「美沙はどう?それでもいい」

「わたしは構わないわよ」

「6坪削ったらどれくらいになるの」

「えーと、そうですね、月々ざっと5、6千円の減額かと」

「そんなもんなの?」

「はい、実は意外とお金がかかってますのが、蔵の解体費なんですよ。ここ」

わたしは見積書の解体費用を指さして言った。

「工事担当者に見させたところ、127万と見積もってきまして。大きい上に頑丈な造りなものですから、解体費と処分費でそれだけかかってしまうということなんです」

「ご自分で解体なさいよ、お兄さん」

「どうやって」

「ハンマーでたたいて壊せばいいじゃない」

「何年かかんだよ、ばか」

「お知り合いに重機を扱える方はいらっしゃらないですか」

「そういえば、バンド仲間で工藤ってやつの親父が土建屋だったはずだな」

「じゃあ、解体だけその人に頼んだら?」

「タダってわけにはいかないだろう」

「重機だけお借りできれば、うちの工事監督に扱わせますよ。同期で仲がいいから、飯でもおごってやれば引き受けてくれるでしょう。がれきの撤去作業をバンド仲間の皆さんに協力してもらえれば127万浮きますよ」

「さすが元木さん。たよりになるわ」

凛に褒められた。

「では、プランを作り直してきますので、少しお時間いただけますか」

そう言い残して、2階の事務室へと急ぐ。


 それから半時間ほどして、新しい図面と見積もり、それと資金計画書を提示した。

「月々73,510円か。どうする美沙?」

「わからない、あなたが決めて」

「頭金とボーナス払いなしでこの金額はそうないわよ。決めちゃいなさいよ、男でしょ」

凛が強力に真一の背中を押す。

真一はしばらく考え込んだが、意を決したように膝をたたき、

「よし、分かった、これでいこう。元木さん、よろしくお願いします」

「ありがとうございます、御代川さん。凛さんも本当にありがとうございます」

 その後、契約書を作成し、真一が署名すると、凛がハンドバッグから帯のかかったピン札の束を取り出す。

「はい、これ、手付金の100万円。これがないと本契約にならないでしょ」

「いいのかよ、凛」

「もちろん後で返してもらいます。特別に分割無利息で、ある時払いでいいわ」

「なんだよ、初めから契約させるつもりでついて来たのかよ。まんまとしてやられたな」

張りつめた空気が流れ去り、そこにいた一同から笑いが漏れた。

 こうして、土壇場で起死回生の一発逆転ゼロ回避が達せられた。







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