第25話 解約

 翌々日、凛の兄である真一に呼ばれ、御代川邸を訪れた。

「話は凛から聞きました。いろいろ大変だったみたいですね」

真一と凛、それと両親がそろった席で、真一が最初に口を開いた。

「ええ、まあ。でも、凛さんのおかげで命拾いしました。改めてお礼を言います」

「ところで、新築契約のことなんですが、なんと言うか、その・・・」

真一が言いにくそうに言葉を途切れさせる。

「申し訳ないが、解約させていただく」

凛の父親が引き取ってきっぱりと言った。

「解約?え、なぜですか」

「誠に言いにくいが、無実だったとはいえ、いったん逮捕され、それがメディアで取り上げられた人とは縁を切りたい。うちみたいな上流社会の顧客を扱う商売はイメージが大事なんです。逮捕歴のある人間とつながりを持っていることが知れれば、客が離れてゆきかねない」

「そうですか。残念ですが、そのようなお考えであれば仕方ありませんね」

「私は反対です。その程度のことでお客様が離れてゆく人間関係しか築けなかったのなら、お父様には商才がなかったということです。そんな浅薄せんぱくなお考えで商売されているのなら、いっそのこと辞めてしまえばいいんですわ」

凛が猛然とくってかかる。

「子供のくせに生意気な口を聞くんじゃない。私は私のやり方でこの店を大きくした。そのおかげで家族全員に裕福な暮らしをさせてやっている。私が解約と言ったら解約だ。違約金ならいくらでも払う。元木さん、真一の判を押した契約書を返してください」

「真一さんはそれでいいんですか」

私は真一が異を唱えることを期待して確認する。

「はい、結構です。俺もいずれこの店を継ぐことになるから、商売に影響が出るのは困るんでね」

私はやむなく鞄から契約書類一式を取り出し、父親の誠一氏に渡す。誠一氏は受け取るなり書類を破り、ごみ箱に捨ててしまった。

「お父様のこと尊敬していましたが、そんなちっぽけな人だとは思いませんでした。今日からは考えを改めさせていただきます。お父様なんか大嫌いっ!」

凛はかつて聞いたこともないような罵声を父親に浴びせ、席を離れて自分の部屋のほうに去って行ってしまった。

「よろしいんですか、あなた。目に入れても痛くない愛娘まなむすめに嫌われてしまって」

奥方が遠慮がちに言う。

「なに、すぐに機嫌を直すさ。あ、それと、元木さん、毎朝凛と一緒の車で会社まで行ってるみたいだが、それも辞めていただきたい。代わりにプロのボディーガードを雇うから、明日からは来なくて結構です」

「かしこまりました」

これで凛と距離がおけることになり、寂しさ半分、安堵の気持ちが半分という心持ちになった。

「凛の気持ちも考えず、相変わらずの独裁者ぶりですわね」

「凛の気持とはなんだ」

「さあ、どうでしょう。本人に聞いてみればよろしいじゃありませんか」


 あくる日の午後、凛が展示場にやって来た。いつもの視察かと思いきや、私に用があると言って、二人で話せる展示場内の和室に連れて行かれた。

「わたし、家を建てます。はいこれ」

いきなりそう言って、鞄から書類を取り出した。見ると、きのう誠一氏が破り捨てた書類がセロハンテープを貼って修復され、いびつな形ながら元に戻っていた。

「図面と見積りはこれと同じでかまいません。契約書だけは新しいものに署名して、わたしの実印を押したものを持ってきました。」

「まさか、凛さんが住む家ですか」

「はい、父と同じ屋根の下で暮らすのがいやになったので、別居することにしました。建てる場所は真一兄さんが予定していたところですので、改めての調査はいりません」

「それにしてもまた急な話ですね。真一さんが建てる場所がなくなってしまいますが、許可は取ったんですか」

「いいえ、真一兄さんはずっと今の家に住めばいいんです。お父様の独断にご自分の意見ひとつ言えない意気地なしなんですから」

「そうですか」

「契約金も持ってきましたから、これで本契約の成立です。元木さんの今月のゼロはなくなりましたね」

そう言って帯のついたピン札の束を二つテーブルに乗せた。

「200万円あります。父が違約金ならいくらでも払うと言ったので、早速いただいてきました。社長にお聞きしたら、真一兄さんの契約解除に伴う違約金はいらないとおっしゃって頂いたので、わたしの契約の手付金に充てることにしました。100万円は今月の分、残りの100万円は来月分に回してください」

「来月分?」

「はい、来月契約しそうなお客様がいて、なかなか落とせそうになかったら、その100万円を現金で差し上げるからと言って契約に持ち込んでください。もちろんそのお金は直接差し上げるのではなく、手付金に充てると言ってそのまま元木さんが持っていればいいんです」

私は凛の行動力とその素早さに驚き、口をぽかんと開けてとっさに言うべき言葉が見当たらずにいた。

「それでは遠慮なく」

それだけ言うのが精いっぱいだった。

「では今後の打ち合わせは例の甘味処で」

「かしこまりました。しかし、また一つ凛さんに借りができてしまいましたね」

「貸したつもりはありませんが、そう思うならいつかきっと返してくださいね」

「わかりました。何か欲しいものはありますか」

「あります」

「なにが欲しいんですか」

「ご自分で考えてください」

思い当たるものがない私の頭には?マークがあふれた。それにしても、これでまた凛とのつながりができてしまった。再びあの感情と戦わねばならないことを思い、私は複雑な気持ちになった。


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