第21話 釈放

 気がつくと、白いベッドの上に寝かされていた。どれくらい眠っていたのだろう。いくらか頭痛がする。よほど長時間眠ったらしい。ぼやけていた視界が明瞭になると、そこにまず凛のうれいを帯びた顔が映った。その大きな瞳は、今にもあふれんばかりの涙をたたえていた。その後ろには私の両親が立っている。私が目を覚ますと二人とも愁眉しゅうびを開き、ほうっと大きな息をついた。

「遅くなってごめんなさい。でも、あの映像のおかげで釈放されましたよ。もちろん罪に問われるようなこともないそうです」

凛がハンカチで目頭を押さえながら言った。見覚えのあるハンカチ。そう、あのネックレスを包んだハンカチだ。

「ありがとう。凛さんのおかげで命拾いした。ところで、ここはどこですか」

「都立西南病院です」

そういえば、腕に点滴の針がさしてある。

「御代川さんから話は聞いたよ。大変だったね。痛い目に遭わなかったかい?」

母も涙声で問う。父はひたすら丸橋をののしり、告訴して死刑にしてやると息巻いていた。

 

 釈放された理由はわかっている。逮捕される三日前、スマートフォンを買っておいた。その裏側に両面テープを貼り、部屋全体を見渡せる場所の壁にくっつけた。そして、カメラレンズの部分をくりぬいた白っぽい布で覆い、そこにスマートフォンがあることがわからないようにしておいたのだ。

 その作業を終えると、凛の携帯を鳴らし、いつもの甘味処で落ち合った。そこで自分の部屋の合鍵を渡してこう告げた。

「お願いがあります。毎日こまめにニュースをチェックして、私が逮捕されたという報に接したら、なるべく早くこの鍵で部屋に入ってください。部屋の入口近くの壁にスマホが張りつけてあります。そのなかには逮捕劇の一部始終が映っていることでしょう。それを確認できたら、最寄りの警察署にそのスマホを持って行って私の冤罪を主張してほしいんです。私の無実を証明できるのはその映像しかない。こんな重責を凛さんに押しつけて本当に申し訳ないが、一生に一度の頼みだと思って、どうか聞いてやってください」

私は深々と頭を下げた。

「それくらい喜んで引き受けます。それに、一生に一度だなんて、そんなみずくさい。でも、そんなに切迫した状況なんですか」

「丸橋のことは子供のころから知ってます。あいつは悪どいし、陰険でしつこい。あいつなら必ずやるでしょう」

「わかりました、必ずあなたをお助けします」

  

 私が釈放されて今ここにいるということは、凛が頼みをきいてくれ実行してくれた結果に他ならない。感謝してもしきれないほどだ。

「なあ、おふくろ、ちょっと頭痛がするんだ。悪いが頭痛薬をもらってきてくれないか」

「わたしがもらって来ます」

母の代わりに凛が答え、素早く病室から出て行った。

 少しの静寂のあと、母が話しかけてきた。

「ねえ、あんた、あのお嬢さんとはどうなってるの?結婚するなら早くなさい。あんないい、ぐずぐずしてると他の男にとられちゃうわよ」

「結婚どころか、つき合ってもいねえよ」

「えっ、そうなの?てっきりあんたの彼女かと思った。そんならなおさら早くアタックしてモノにしなさい。かあさんあの娘のことすごく気に入っちゃったわ。気立てはいいし、お上品でかわいらしいし、ぜひお嫁さんに来てほしいと思ってるのよ」

「彼女は大金持ちのご令嬢だ。百姓のせがれとは釣り合わねえよ。これでもおれは身の程をわきまえてるつもりだからな」

「ばかねえ、大昔の封建時代じゃあるまいし。そんな考えだから、その年になっても結婚できないのよ」

「うっせえな。きれいな花は眺めてるだけがいいんだ。下手に触れたら枯れちまうもんさ」

そこへ凛が戻ってきたため、母はそれ以上何も言わなくなった。

「空腹に直接頭痛薬を入れると胃に悪いので、胃粘膜保護剤ももらってきました。それと、胃で早く溶けるように白湯さゆもいただきました」

凛がさし出した錠剤を受け取って、白湯で胃に流し込んだ。

「そういえば腹が減った。みんなで何か食いに行こうぜ。おやじ、悪いがおごってくれ。財布を持ってない。できれば高級レストランがいい」

凛のほうをちらっと見てそう言った。

「俺も手持ちはそんなにないぞ。大衆食堂じゃだめか?」

「だめだ。良家のお嬢様で命の恩人をもてなすのに安っぽいとこじゃ申し訳ない」

「わたし吉乃屋の牛丼が食べたいです。食べたことがないものですから、会社の友達が牛丼とかラーメンの話してるのについていけないんです。だから機会があったら、と思っていたんです」

凛は明るくそう言った。

 医師の診察を受け、異常なしと判断されて退院した。身だしなみを整え病院を出て、凛がスマホで検索した店に向かう。そうして、私を含む4人は吉乃屋で一杯

350円の牛丼を食べた。

「ごちそうさまでした。大変おいしゅうございました。友達が食べに行くのがよくわかりました」

店を出ると凛は、父に頭を下げてそう礼を言った。

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