第15話 形見
凛と会ったその夜、丸橋との
「元木だ」
「おう、お前からかけてくるなんて珍しいな。やっとこっちに来る気になったか」
「行ってやる。ただし、封筒とその中身は女から受け取る。あの女以外のやつがいたらすぐに帰る。それでいいか」
「いいだろう。おれはガキの頃、お前やほかのやつらに貧乏人よばわりされた屈辱を晴らすためにタワマンを買った。そこにはいい女も住んでる。それを見せつけてやるためにわざわざご足労願おうってだけだから、その目的が果たせればそれでいい」
「それなら来週の水曜午後3時に行く。おまえのことだ、どうせすんなりブツを渡すとは思えんから、そのときのための手立てを用意しておく。万が一のときは差し違える覚悟もあるからそのつもりでいろよ」
「そいつは楽しみだな。まあ、せいぜい用心しろよ。別に何もせんがな」
実は手立てなど何も用意していない。単なるハッタリだ。しかし、そうでも言わない限り、何をされるかわかったもんじゃない。とりあえずスタンガンでも買って持っていこうかと思ったが、丸橋がどこかに隠れていたりしたら、拳銃を持っているあいつにかなうはずがない。金の無駄だと思い買うのをやめた。
明けて翌日。今日からは凛と同じ車に同乗しての出勤になる。例の甘味処の外で待っていると、黒塗りの高級車が私の前に止まった。凛は運転席のうしろに座っている。私が助手席に乗り込もうとハンドルに手をかけると、運転手がすかさず後部座席のドアを開け、凛の隣に押し込んだ。
「おはようございます、元木さん」
今日のお嬢様はなんだかいつもより美しく見える。気のせいだろうか。
「おはようございます、
私はあえてよそよそしく名字で呼んだ。
「ご機嫌いかがですか、雅也さん」
逆に下の名前で呼ばれてドキッとした。私をもてあそんで楽しんでいるらしい。
「この通り元気です。お嬢様におかれましてもご機嫌うるわしゅうお見えになり何よりでございます」
ことさら紋切り型のバカ丁寧な言葉でお返しした。凛は下を向いて笑いをこらえている。
その後の長い沈黙に耐えられず、私から口を開いた。
「先日お邪魔したとき頂いた食事とてもおいしかったですよ。特にお味噌汁が。あんなおいしい味噌汁は初めてです」
「あれは私が作ったんですよ。かつお節とそうだ節、それとさば節を5対3対2の割合で合わせて出汁を取り、香味野菜を数種類煮込んでとったスープと混ぜるんです。今度いらっしゃるときは豚汁をお作りしますから、前もって教えてくださいね」
「あ、いえ、真一さんとの打ち合わせは展示場でしますので、残念ですがその機会はなさそうですね」
「真一兄さんには手付金100万円の貸しがありますから、元木さんをうちに連れてきてもらうくらい、訳なくできるんですよ」
凛はにっこり笑った。まったく、なんでこうも年下の女性にやり込められてしまうのだろう。私も頭は悪くはないと自負しているが、どうやら凛のほうが聡明らしい。
「ところで、丸橋さんのところへはいつ行くんですか」
面倒な質問だ。はぐらかそうとしたが、無意味だと思い正直に言った。
「来週の水曜です」
「そうですか」
と言った凛は、首にかけていた唯一の装飾品である銀のネックレスを外した。
「これ、亡くなった祖母の形見なんです。祖母は誰よりも私をかわいがってくれました。遺言で、このネックレスを私が身に着けるようにと。迷信でしょうが、厄除けの効果がある石を使ってると言ってました。水曜日にはこれを持っていって下さい」
凛がネックレスを私のほうへさし出す。
「とんでもない。そんな大事なものを受け取れるはずありませんよ」
「勘違いしないでください。誰も差し上げるなんて言ってません。お貸しするだけです。ですから、必ず無事もどって木曜の朝には返してください。お願い、約束して」
凛のやさしさが痛いほど胸にしみた。しかし、約束はできない。
「ごめんなさい。約束はできません。相手は陰険な人間です。悪知恵も働く。私は何をされようが構いませんが、もしその形見に何かあったら、どう
私がかたくなに固辞すると、凛はネックレスを無理やり私の上着のポケットにねじ込んだ。返そうとしたところで車は本社に到着して、凛はビルの中へ消えた。
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