第16話 受け取り

 封筒を受け取りに行く当日、午前中に女性用のウィッグとダテ眼鏡を買い、バッグに詰め込んだ。店のトイレで身につけて鏡の前に立つと、我ながら知的に見え、ちょっといい女だと思い苦笑いした。見栄えを確認した後、アイテムをバッグに戻す。タワーマンションの最寄り駅のトイレで再度女装するつもりだ。服装はユニセックスのカジュアルウェアを持っていたので、それを着てきた。これで少し大柄な女性の出来上がりだ。凛から預かったネックレスはアパートの自室の引き出しにしまい、もちろん持ってきていない。万が一紛失したり奪われたりしたら取り返しがつかない。

 買い物した足でファミレスに向かい昼食をとる。それから駅まで歩き、約束の時間には早いが電車に乗り込んだ。早めに行って、周囲に怪しげな人間がいないかどうか確認しようと思ったからだ。特にマンションの近くで身を潜めることができそうな場所を入念に探った。さいわい誰も隠れてなどいない。こんなことまですると大げさだと思われるかもしれないが、相手は子供の頃の話ながら、私の顔面を切りつけた凶人だから無理もない。

 時間になったので、マンションのエントランスホールに入れてもらった。だが、どんな凶暴なやからが待ち伏せているやも知れぬ丸橋の部屋まで行く気は毛頭ない。インターフォンで愛川すみれと話し、封筒を持って一人で下まで来てほしいと頼んだ。愛川は意外なほどすんなりとそれをうべなった。

 おりてきた愛川は、女装した私を見て笑った。

「もっとましな女装できないの?お金ケチって安物ばかりで固めるからバレバレよ。よく職質されなかったわね。そんなことだから丸橋にあなどられるんだわ」

「鳴かず飛ばずの愛川なんちゃらってグラドルよりは美人に仕上がったと思うけどな」

「ふん、たかだか営業マン風情にそんなこと言われたくないっつうの」

「ふん、丸橋の囲い者が偉そうな口をたたくんじゃねえ。グダグダ言わずにさっさっと封筒を渡せ」

「渡してやるからそのヅラと眼鏡を外してちょうだい。あんたがちゃんと受け取ったところを写真に収めるよう丸橋に指示されてるから」

 私がウィッグとダテ眼鏡を外すと、愛川が封筒を差し出した。受け取ると、女がスマートフォンをこちらに向ける。封筒を逆さまにして中身を確認した。中からはテープと免許証のコピー、それと、小さなビニール袋に入った白い粉末が出てきた。

「なんだこの白い粉は?」

少し考えてからそう問うた時には、すでに愛川はエレベーターの中に収まっていた。

「しまった。やはり罠だった」

本物かどうかわからないが、この白い粉を麻薬に見立て、それを手にしている私の写真を撮って悪用するに違いない。愛川を追いかけてスマホを分捕ぶんどるしかない。しかし、すでに女は自室に入り施錠してしまっているだろう。そのうえ、伏魔殿ふくまでんのごときあの部屋には文字通り悪魔のような暴漢が伏せっているかもしれない。私は追いかけるのをあきらめ、対策を考えた。

 とりあえずビニール袋をあけ、中身の匂いを嗅いでみた。馴染なじみのあるかすかに甘い香りがする。恐る恐るほんの少量だけ舐めてみた。やはり砂糖だ。こんな子供だましのやり方で私を犯罪者にしようというのか。しかし多寡をくくれる状況ではない。相手は権力者側の人間だ。やりようによってはいくらでも白を黒にすることができる。腹立ちまぎれに砂糖を床にばらまいて帰ろうと思ったが、考え直してそのまま持ち帰ることにした。もしかすると逆利用できるのではないか、そう考えたからだ。

 

 マンションの管理人に一番近くの出版社を尋ねたところ、白陽舎という社が二つ先の駅に近い場所にあると言われた。早速タワマン近くの駅に向かう。電車で10分ほど揺られ、教えられた駅で下車すると、改札で白陽舎までの道順を尋ねた。駅から歩くこと約5分、比較的新しいビルの2階にある出版社の受付で、警視庁の警官にまつわるスキャンダルをリークしたいと告げる。すると、奥まったところにある雑誌編集部に通され、村西という中年の編集者に紹介された。無精ひげを生やし、安っぽいネクタイをだらしなく締めた村西は、いかにも面倒くさげにたずねる。

「警官のスキャンダルだって?いくらで売ろうっての?」

「お金はいりません。恨みを晴らしたいだけです」

「なるほど、そんなら話を聞こうじゃないか」

 私は丸橋とのやり取りを詳細に説明し、証拠品として例の封筒を差し出した。

「記事にしてもらえますか?」

記事になれば、警察も丸橋のことを調べないわけにはいかないだろう、と考えた末の行動だった。

「上に掛け合ってみるよ。その前にテープを聞いておく必要があるな」

村西は席を離れ、専用の再生機をもってきた。そこにテープを入れ、再生ボタンを押す。しかし、人の声どころか何の音も聞こえてこない。数分待ってもテープからは入っているはずの声が聞こえず、ついに再生終了の音が鳴った。

「あんたさ、こっちは忙しいんだから、からかうのはやめてくんねえか」

「いえ、これは事実なんです。本物のテープは丸橋が持っているはずです。調べてもらえませんか」

「だめだめ、仮に事実だとしても、警官がそんなもん出すわけないでしょう。悪いが帰ってくれ。ほかに仕事があるんでね」

悔しさが胸中を満たし、テープを床にたたきつけた。そして、絶望を抱えやむなく

出版社を後にした。

 

 

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