第5話 お嬢様
午後になって出社すると、展示場には設計担当の三村正樹と営業アシスタントの
岩井美紀が残っていた。岩井に尋ねる。
「みんな営業に出てんの?」
「店長と梅野さんは宮本君のアパート行ってる。あれから全然連絡なくて、店長から電話しても全然出ないみたい。しかたないから二人で様子見に行くって」
梅野義邦は店長の腰巾着で、私より二つ上の33歳。常に店長の顔色を窺い、ご機嫌取りに余念がない。私はいいかげん宮本のことは忘れたかったので、それ以上何も言わなかった。
事務仕事を片付けようとしているところへ、本社秘書室の
御代川女史は社長の大のお気に入りで、数年前、彼女の実家の老舗呉服店を訪れた社長が、一人娘を手元におきたい両親に懇願し、三顧の礼をもって迎えた賓客並みの社員である。厳格な家庭の育ちであることは、その佇まいからも一目瞭然だ。ピンと背筋を伸ばして椅子に座り、話をするときも茶を喫するときも、その姿勢を保って微動だにしない。よほど小さいころから仕込まれていることが察せられた。つややかな黒髪を後ろで束ね、首にかけた質素なネックレス以外、宝飾類は一切身に着けていない。多くの女子社員がピアスをつけているのとは対照的に、彼女の耳には一ミリの穴もない。おそらく、親が授けた体に穴をあけるなど言語道断というところだろう。
彼女の私服姿を何度か見たことがあるという岩井によると、長めのワンピースを好んで着用し、夏でも肌の露出は最小限にとどめているという。
また、岩井の話では、住まいがある市内の一等地には千坪を超える敷地を有し、数寄屋造りの
そんな彼女が定期的に展示場回りをしているのは、常に社長の目があることを営業マンたちに知らしめるためであり、一方で、その凛とした麗々しい姿を営業マンたちに鑑賞させ、士気を高めるという狙いがあると推察した。この展示場でも彼女が来るのを皆楽しみにしているが、店長だけは愛人と御代川女史が鉢合わせになることを恐れ、あまりいい顔はしない。女史と同じ本社勤務の愛人である竹内に調べさせ、彼女の訪問日を常に把握していた。
誰とでもすぐ打ち解ける岩井美紀とはウマが合うらしく、ひとしきりおしゃべりを楽しんだ女史は、話をこちらに向けた。
「元木さん、今月はどうですか」
やわらかい口調の中にも厳しさが込められている。
「ええ、まあ、何とか」
プライベートをさんざん丸橋にかき乱され、正直、営業のほうは苦しい。
「社長は元木さんのこと結構買ってるんですよ。もう少し愛想よくできれば、頭はいいんだから伸びるはずだって。それなりの実績を残せば本社に呼んで企画でもやらせようかとも」
社長が役職もつかない一営業マンのことをそこまで知っているとは思えない。御代川女史が報告しているとみた。ということは、女史が私のことをそう評価していると考えていいのだろうか。そう考えると、ちょっと嬉しくなった。実のところ、私も彼女に少なからず憧憬を抱いている一人なのだ。憧憬といっても、恋人にしたいとか結婚したいなどという大それた考えはなく、ただ眺めて目の保養にするといったところである。
「いやいや、買いかぶりですよ」
「とにかく、期待されてるということを忘れず頑張ってください」
うまいというかズルいというか、自身の影響力を熟知したうえで相手をやる気にさせる。意外と
女史が帰るのと入れ違いに、店長と梅野が戻ってきた。
「お嬢ちゃん何か言ってた?」
あからさまに私に視線を向け岩井に尋ねる。
「がんばって下さいとだけ。あとはどうでもいい世間話ですよ」
空気の読める岩井は、余計なことは言わない。
「それもそうか。あのお高くとまったお嬢が痴情のもつれなんて話題にするわけないもんね。ところで、宮本のことだけど、やっぱいなかったわ。鍵がかかってたから中にも入れなかったし。人事課に問い合わせて、実家の住所と電話番号聞いといて。
たしか茨城だったよね。まったく世話の焼けるやつだ。あー、めんどくさ。ことを起こした張本人はしれっとして出てきてんのによ」
いつもの愚痴を聞かされたうえ、あてつけられて腹が立ったので、商談中の客のところに行くことにした。アポもなく具体的な用件もないが、世間話でもしてつないでおくのも仕事のうちだ。何せ、その客を2週間以内に落とさなければ、今月は『ゼロ』だ。御代川凛の言葉を思い出し、いそいそと出発した。
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