売れない営業マン、刑事に喧嘩を売る

深谷惣太郎

第1話 同級生

きのうの夜、丸橋から電話があった。

「おれ、丸橋、おぼえてる?」

丸橋俊則、20年以上も会っていないがすぐにピンときた。小学校の同級生で、ちょっとした因縁のある相手だ。知っていてあえてシラをきった。

「丸橋? どちらの丸橋さん?」

「狭山の松井田小学校で一緒だったろ」

私はじらすように間をおく。

「ああ、あのかご屋の丸橋か」

ことさら『かご屋』を強調して返してやった。

 

 奴は小学校のころ、『かご屋』と呼ばれるのをひどく嫌がっていた。先祖代々の稼業で、昔は需要も多く、生計を立てるには十分だったが、プラスチック製品が大量に出回り、生活は一気に苦しくなった。学があるわけでもなく、かご作りしか能のない丸橋の父親は、つぶしが利かず、他の仕事に就けないうえに大酒呑みとくれば、

しわ寄せはいやおうなしに妻や子供に回ってくる。丸橋の妻がパートに出て、かろうじて糊口をしのいでいたという。


 そんな家庭内の事情を誰が広めたか知らないが、丸橋は校内で貧乏人呼ばわりされていた。奴は、貧乏人と呼ばれるたびに相手を三白眼で睨め付けた。が、同情する仲間はなく、多勢に無勢では殴りかかる勇気もない。目を吊り上げ、歯を食いしばり、ひたすら怒りを内に込めてこらえていた。だが、そんなことがあった翌日は、決まって何らかの事件が起きた。生徒たちがウサギを飼育するために作った小屋が焼かれ、ウサギが死んだ。へちまを育てるために土を掘り起こして土壌を作った小農園に、

大量のごみが捨てられていた。トイレで小火ぼやが起こった、などなどである。

きっと丸橋の仕業だろうと、生徒たちが担任の教師に訴え、担任が丸橋を問い詰めたが、証拠がないのをいいことに知らぬ存ぜぬの一点張りで、とうとう一件も解決を見なかった。


 「よく電話番号がわかったな。興信所にでも頼んだか。相変わらずコソコソといやらしいヤツだ」

「ほお、あの無口な元木君がずいぶん饒舌になったもんだな」

「ほお、かご屋の口から『じょうぜつ』なんてシャレた言葉が出てくるとは思わなかったよ、丸橋」

「気弱なもやしっ子だったてめえこそ、ずいぶんと悪意を身につけたもんじゃねえか」


 奴の言うとおり、子供のころは気の弱いもやしっ子だった。友達も少なく、休み時間になると図書室で本ばかり読んでいた。一人でも味方を得たい丸橋は、そんな私に近づいてきた。友達にならないかという丸橋に、

「貧乏がうつるから付き合うな」

と父から言われていたため、バカ正直だった私はその通り言ってしまった。思わぬ口撃を食らった丸橋は、顔を朱に染めわなわなと体を震わせたが、図書室係の手前、手荒な真似はできず、しばらく例の三白眼で睨め続けてから出て行った。


 翌日、トイレから出ようとすると、丸橋が出口をふさいだ。そして、おもむろに右手を振り上げると、黒光りする鋭利な物体で私の顔面に切りつけた。一瞬何が起きたかわからず茫然としていたが、切られて出血していることがわかると、泣きながら保健室に駆け込んだ。傷は左目のすぐわきを走っていた。一つ間違えれば失明するところだったと、医務員から告げられた。大人になった今でも、うっすらと細い線になって傷跡が残っている。今思うと、凶器は下敷きの破片だったように思う。


 帰宅してありのままを話すと、父は私を車に押し込め、丸橋邸へ向かった。玄関ドアをノックもせずに乱暴に開くと、たった四畳半ほどの茶の間に土足で踏み込み、一升瓶を片手にしたたか酔って視点の定まらぬ丸橋の父親の胸ぐらをつかんで怒鳴りながら叱責した。

「おい、貧乏かご屋! お前んとこのガキがうちの息子に何したか知ってんだろうな。酒なんか飲んでねえで、真っ先に謝りに来るのが筋だろうが。ええ、どうなんだ、何とか言いやがれ。危うく失明するところだったんだぞ!」

丸橋の父親は相手の鬼のような形相に臆したか、酩酊して言葉が理解できないのか、

何ら言葉を発しない。丸橋の妻は土下座してひたすら謝っている。

「警察に届け出て裁判沙汰にしてやる。おまえのガキを少年院送りにして、

慰謝料も取れるだけ取ってやるからな。内臓でも売って金の用意しとけ!」

 

 その頃父は農業を生業なりわいとしていた。代々受け継いできた広大な田畑を有し、株式会社化して少なからぬ人足も雇っていた。それで地元では社長と呼ばれていた。町内会では会長を務め、近所の冠婚葬祭時には惜しみなく金を出してやった。そうして町の名士となった父は、鷹揚なところもある半面、怒らせると手が付けられぬほど気性の荒い内面が顔を出す。


 父がなおも言葉を発しようと荒い息を吐いていると、どこかに隠れている丸橋の怒声が響いた。

「子供のケンカに親がしゃしゃり出てくんなっー」

それを聞いた父は、修羅のごとき面で丸橋の父親から一升瓶を取り上げ、声の方角めがけ投げつけた。一升瓶が割れて中の液体が畳に吸い込まれる。それを丸橋の父親が恨めしそうに眺めている。父はついにこぶしを振り上げた。それを丸橋の妻が身を挺して止めに入り、父はやっと幾分か落ち着いた。


 翌日、丸橋は学校に来なかった。切りつけ事件のせいだと思った。事情を聞かされていた担任の教師も、あえて言及しなかった。しかし、次の日もその次も欠席した。さすがに何もしないでは済まぬと思ったのか、担当は丸橋宅に電話を入れたが、何度かけても出ないという。しかたなく、私を案内役にして伴い、丸橋宅を車で訪問した。

 丸橋邸に着くと担任が玄関ドアをノックするが返事はない。二度三度ノックしても無駄だと知ると、ためらいがちにドアノブに手をかけた。施錠のされていないドアは簡単に開いた。教師がのどを鳴らしてつばを飲み込み、緊張した面持ちで宅内を見渡すと、家財道具一つないもぬけの殻だった。ほかの部屋も同様で、かび臭い饐えたにおいだけが残っていた。

「夜逃げか。とりあえず一家心中でなくてよかった」

担任は安堵したようにつぶやいた。

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