第22話 勇者の娘は、邪竜に挑む
ミルとアーシュラは四階に移動し、タロリーとベリオに合流した。二人の服は汚れ、息を乱しているが、大きな怪我はないらしく、竜を撃退したことに興奮していた。
ヴリトラは戦闘には加わらなかったらしく、いつもの無表情で尻尾を揺らしている。
ミルは壁の穴から学園を見下ろす。
小さな黒い点がいくつも学園都市の上空を飛んでいる。上から見下ろす分には、クッキーに集まる蟻の群のように見えた。
「さっきの竜があんなに……。
それにでかヴリ、ここからでも分かるくらいでかい……」
ミルは倒壊した『神至の塔:上側』と学園都市を見比べる。邪竜は動けないのか、動かないのか、塔の跡地近くに居座っている。クッキーに近寄るゴキ……と想像したところで、ミルは思考を中断。黒い悪魔はモンスターとは別の理由で恐ろしいから、あまり考えたくないのだ。
外の状況を確認しているとアーシュラが隣にやってきた。
「ヴリトラの全長は二百メートル程。
生物としては確かに大きい方だが、ヴィーグリーズに比べれば小さい」
「都市と比較したら駄目でしょ……。
でかヴリが動いていないのはなんで?」
「翼が再生するまでは動けないのだろう」
「じゃあ、何とかするなら今?」
「ああ」
「学園都市の中にいる人達は、
巨大なドラゴンが直ぐ隣にいることには気付いていないよね」
「おそらくな。
塔から見下ろした者のみが、ヴリトラの存在に気付いている。
都市内の者は、小型の飛龍の群が襲ってきたと思っているだろう」
「なら、アレは私達が退治するしかないんだ……。
アーシュラが昔封印したんだよね。同じことできる?」
「当時より弱体化した我では無理だ」
「そっか。どうしよう……」
「ふむ」
「ん? なに?」
アーシュラが、書店でお気に入りの本を見つけた人のような笑みを浮かべた。人の目があると分かっていても、つい隠せなかった、そんな様子だ。
「貴様は怯えているくせして逃げようとはしない。
それどころか、自分で解決しようとしている。
勇者の血か、貴様個人の資質か。
ミルは見ていて飽きないな」
「理由は色々でしょ?
首席卒業したいし、勇者の娘だし、王族だし、
勇者武器所有者だし、やらなきゃいけない理由はいっぱいあるよ。
でも、やっぱ、あんなのが空を飛べるようになったら、
人が死んじゃうかもしれないし、そんなのやだし」
「くくくっ。
貴様は本当に、一緒にいて飽きないな」
「アーシュラ、なんか上機嫌?」
「ほう、分かるか?」
「そりゃ、一ヶ月も一緒にいるんだし」
「アレと再び戦えるのだ。上機嫌にもなる。
心臓を貫かれ、陸の形が変わるほどの時を閲してなお生きているのだ。
そのような千古不易の対手と干戈を交えることに、
無上の喜びを感じずにはいられん」
「生意気小僧のくせに、たまに魔王っぽい……」
「魔王だからな」
アーシュラは微笑すると、分かりやすく足音を立てて踵を返し、会話を区切る合図とした。
「ヴリトラよ、善後策は失敗に終わった。強攻策に出るぞ」
「かしこまりました」
「ねえ、強攻策って何?」
「離れた位置から命令しても聞かないのなら、
接触して命令をするしかあるまい。邪竜の頭部に乗り命令する」
「いっぱい飛んでる竜をなんとかして、
ちびヴリをでかヴリの頭まで連れていくってこと?」
ピンク髪の少女ヴリトラが目を僅かに細める。
「その呼び方、変えてくれません?」
「ちヴィとでヴ」
「悪意しか感じません」
「じゃあ、ちヴィも私達のこと、
人間とかサキュバスとかオークとかじゃなくて、
名前で呼んでよ」
「ミルは竜の個体差、分かります?」
「うわっ。
いきなり名前で呼ばないでよ。びっくりするでしょ」
「自分から言ったくせに」
「竜の違いなんて分かるわけないでしょ。
全部、一緒に見える」
「ですよね。
私も、人間の違いが分からないんですよ」
「嘘くさい……」
ミルはヴリトラの表情から嘘を見抜こうとするが、相変わらずの無表情じと目。話を続ける意味はないと諦める。
二人の様子を見てアーシュラは頬を緩める。
「ミル。安心しろ」
「何が?」
「恐怖は必要な感情だ。なくせば慢心と油断に繋がる」
「べ、別に怖がってないし」
「いつもより早口で、普段以上に明るく振る舞おうとしている」
「うっ……」
「安心しろ。
後でまた恐怖が消える魔法をかけてやる。
それまでは、恐怖心と向かいあえ。敵の気配を察知するために、
上手く使いこなしてみせよ」
「なんか、色々とお見通しみたいで、悔しい……」
「一ヶ月も一緒にいたからな」
アーシュラは八重歯を覗かせて、少し前のミルの発言をそのまま返した。普段と変わらぬ悪がきの表情が、ミルをリラックスさせる。
「そ。私はいつでも行けるよ」
「分かった。ちヴィも問題ないな? でかヴリ退治に行くぞ」
「アーシュラ様まで……」
ちヴィと呼ばれたヴリトラが無表情のままがっくりと肩を落とす。
「む。不服そうだな」
「いえ、ちヴィは何の不満もありません。いつでも元気です……」
「むう……。
愛称をつけて呼ぶのは人間共の親愛の証しだと聞いたから真似してみたが、
上手くいかんな」
「親愛の証し?!
ちヴィ、頑張ります!」
ヴリトラは一瞬で瞳がキラキラ。無表情じと目なのに、瞳の周りに確かに星が飛んでいる。
「あ、ようやくヴリトラの表情の変化が少しだけ分かったかも。
よく見ると喜んでいる……」
「行くぞ、ちヴィ」
「はい!」
「タロリー、ベリオ、下の階はお願い。
ルーヴィラス学園の護衛は任せたからね」
戦力の分散は避けたいが、非戦闘員の護衛は必要だから、どうしても二手に分かれるしかない。戦闘能力を考慮するなら、ミルも階下でドワーフ達を護る方が良いのだが、アーシュラは意図的にそれを口にせず、ミルに戦闘経験を積ませるために邪竜退治に同行させることにした。
「ミル、気をつけてね~」
「ミル、怪我するなよ!」
「うん」
ミルはアーシュラと共に壁に開いた穴の手前に立つ。
「う……。やっぱ怖いけど……。
アーシュラ、お願い」
「うむ」
アーシュラが腰に手を回して抱きよせてくるから、ミルは抵抗せずに、任せる。
「しっかり掴まっていろ。行くぞ」
「う、うん」
二人が穴から外に身を投げだし、ヴリトラが後ろに続く。
「わっ」
ミルは瞼をギュッと閉じ、アーシュラにしがみつく。
落下が始まると全身で空気を切り裂く音が轟轟と響き、ミルはまるで水中にいるかのような圧力を感じる。己の足で地上に流星を描く時と異なり、ただ落下するだけの加速度は、言いようない恐怖となり、腰の辺りを撫でまわし、怖気を生んだ。
「ミル。我がいる。何を恐れる」
「う……」
ミルは恐る恐る瞼を開け、落下方向を薄眼で見る。空気と水分が幾重にも折り重なった透明なヴェールの先に、暗黒色の巨影が浮かぶ。高度が下がるにつれて、邪竜の巨体が輪郭を明確にし、塊に見えていた背中に鱗の境目が見え、ディテールが際立ってくる。
邪竜が上半身で馬乗りになっているのは、倒壊した塔の先端部分だ。
「塔のママかな……」
「理性を失ったから塔を敵と思って馬乗りしたか?」
「いやあ、案外、
一千五百年の孤独に耐えかねて、
同胞に抱きついているつもりなんじゃないんですか」
ヴリトラが軽口を言いながら頭を下にして加速。アーシュラ達よりも高度を下げていく。
一瞬で高度二百メートルに達する。そこは邪竜の眷属が支配する空域。黒い鱗を持つ竜の群が雲霞の如く飛び交う。
「道を空けてください、といっても聞いてくれませんね。
実力行使です。
えいっ」
気合いのまったく籠もらない声で、ヴリトラは両手から魔法を放射。
炎の帯が一面に広がり、進路上にいた竜は炎に絡め取られ一瞬で焼失。帯は何本も現れ、編み物をするように重なりあい、空を覆っていく。
「なに、これ……」
直上から見ていたミルは熱から身を護るために腕で顔を庇い、声を震わす。眼下では火炎の帯が魔方陣を描くようにして、半径数百メートル規模で展開している。
「魔法科の一位でも、あの帯を一本も作れないと思うんだけど……」
「邪竜の半身だ。学生共と比較できるはずもあるまい」
「竜の鱗に炎は通用しないって設定、どこに行ったの……」
炎の帯は支配空域を広げ、そのまま邪竜を包み込む。だが、邪竜に触れた瞬間、夢から醒めたかのように一瞬で消失。邪竜の強大な抗魔力が魔法を打ち消したのだ。
邪竜が頭部を持ち上げ、伽藍堂の眼窩で三人を見上げると、ヴリトラの魔法で熱せられた大気が巨大な首にかき混ぜられ、遠雷のような音が発生した。
「ふむ。当然、気づかれる」
広げられた邪竜の口に膨大な力が収束していく。まるで超新星爆発を逆再生するかのように輝きが一点に集中し、口腔内を光に染めた。
アーシュラは短距離転移を繰り返し、邪竜の眼前から退避を試みる。
竜咆哮。
それは、地上生物が神を殺せるただ一つの方法と伝えられる、竜種が誇る最強の攻撃。
放たれた直線上のあらゆる存在が原子レベルで崩壊し、瞬時に消滅した。
大気が鳴動し、大地すら吸い寄せられたかのように振動する。事実、表層の土砂は巻き上げられ、土の靄となる。
真空状態になった空間に空気が流れ込み長大な渦となり、その破壊力を可視化する。残滓として生まれた巨大竜巻ですら、既に自然災害の領域。塵の衝突による放電現象により、爆音と雷が周囲へと迸る。
攻撃圏外にいたため被害を免れたとはいえ、学園都市のベースとなっている神獣ヴィーグリーズは邪竜の一撃に怯えた。腹を地に着け、頭部と四肢を甲羅の中に収めて防御態勢に入ってしまう。
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