第5話 勇者の娘は、死を覚悟する
突進してきたワームの胴体側面を蹴って後方に宙返り。自身の表面を覆っていた余裕の皮が剥げたミルは、さすがに危機感を抱きつつ包囲の中央に戻る。
「ちょっと本気で拙いかも……。
実は騎士学校の人達が百人くらい遠足でここにいるなんてミラクル、ないかな」
「弱気になるな。ミルよ、貴様の父は常に冷静さを欠いたりはしなかったぞ」
「知ったような言い方しないでよ……」
アーシュラは父アルトールを見習えと助言したのだが、ミルには逆効果だ。ミルは、家庭を顧みずにヴィーグリーズ学園の創立に拘泥していた父が嫌いだった。
ミルの誕生日パーティーにも、母との結婚記念日にも、父は帰ってこなかった。
だからミルは、学園都市長である父に会うために、サイファングル学園に入学したのだ。中等部を首席で卒業すれば、高等部への入学式で生徒代表を務めることになる。挨拶で来園する父に、誕生日パーティーの招待状を直接手渡す機会が得られる。
涙を流しながら抱きつくつもりはない。招待状を叩きつけて、ぶん殴ってやるつもりだ。
「私は主席で卒業するんだから……」
「なら、ここで死ぬわけにはいかないな」
「そうだね」
ミルが少し吹っ切れたように表情を緩めた瞬間、突如の悲鳴。
「わああああああっ!」
「えっ?」
左後方から、十歳いかないであろう初等部の子供が泣きながら走りでてきた。
「嘘っ。何処にいたの?!」
ごみ箱の陰に潜んでいたらしい。ワーム達の包囲網に隠れ場所が破壊されて、逃げ場を求めて走りだしたようだ。
「こっちよ!」
ミルは魔剣を掲げて声を張るが、子供は背後のワームから逃げようとするあまり、別のワームが密集する方向へと駆けている。
「あの子、パニックになってて聞こえてない。アーシュラ、助けて!」
「ふん。仕方ない」
アーシュラが子供に向かって駆けだすのを確認すると、ミルは子供に最も近いワームに、大声を上げて斬りかかる。
「たあああっ!」
キインッ! モンスターの注意を引きつけるために、敢えて刃を寝かせて、派手な音をかき鳴らすように大振りで何度も叩きつける。
「こっち! お前の敵はこっちだから!」
ミルは子供を助けたいあまりなりふり構っていなかったせいで、周囲への意識が疎かになってしまう。
「ミル! 後ろだ!」
「え?」
アーシュラの叫びに反応して振り返ると、間近にジャイアントワームの口が大きく開いて迫っていた。
「あっ」
驚いた拍子に体が強ばり、水たまりで足が滑る。崩れた姿勢からでは、ワームを避けられない。
ミルは死を覚悟した。ぬめっとしたジャイアントワームの胃袋内で少しずつ溶けていくのか、嫌だなとか、一瞬で不吉な未来を予期した直後、何かが飛んできてミルの体にぶつかる。ミルはよろめき、尻餅をつく。ジャイアントワームはミルにぶつかった何かを呑みこんだ。
ミルの眼前をジャイアントワームの太い胴体が通り過ぎていく。
「痛っ!」
ワームの胴体と地面に足が挟まれ、ねじられる。激痛が走り、視界がチカチカと点滅する。
「おい、ミル!」
アーシュラがミルの背後に周り、両腋に腕を通して引っ張る。
「ぼさっとするな」
「ありがと……。痛っ……」
「大丈夫か?」
「うん。折れてはいないと思う……。あれ?」
「どうした」
「小さい子は?」
「ん? ガキなら」
「え?」
ミルはアーシュラの視線を追い、その先にいるジャイアントワームを見る。
「え? え?」
「そんなことよりも、足が折れていないなら立て」
ワームの胴体は、外から見る限り、特に大きな変化はない。しかし、僅かに膨らんでいる。
いつの間にか子供の泣き声はなくなり、ワームの群が這いずる不気味な音のみが周囲、至る所から聞こえてくる。
「小さい子をどうしたの!」
「怒鳴るな!」
「答えて! さっきの子は、何処?!」
「食われそうになっているお前の身代わりにした」
「え、なんで……え?」
「何を混乱している。どうやら貴様は戦えないようだ」
「話を逸らさないで!」
「貴様、いったい何にかかずらっている。
現実を直視しろ。このままだと貴様はワームの餌だぞ」
二人が言い争っているうちに包囲網は縮まっていく。筋肉がうねるミチミチという音の牢獄に逃げ場はもうない。
「中二病をこじらせただけで悪い奴じゃないと思っていたのに。
どうして、こんな残酷なことができるの。
アーシュラなんてもう知らない。絶交だから!」
「ミル……?」
ミルは怒りか悲しみか、複雑な感情でにじんでしまった涙を振り払うように走りだす。
足が痛むが、我慢できる。個体差が少なく判別が困難だが、子供を呑みこんだであろうワームに目星をつけ斬りかかる。腹の中の子供を傷つけるわけにはいかないため、胴体ではなく頭部を狙った。
「たああっ!」
顎に命中し、肉をそぎ落とす。体をくねらすワームの頭部は位置が変わりやすいため、狙いづらい。ワームは空気が抜けるような呻き声を上げ、鎌首をもたげる。
「チャンス!」
鱗の隙間につま先を引っかけてワームの喉元を蹴あがり、魔剣を振り上げて頭部を縦に両断。
「やっと一体!」
着地と同時に地を蹴り、手近にいたワームの尾を飛び越えざまに輪切り。背に飛び乗ると魔剣の切っ先を突きさし、駆けぬける。
「二体! いつも通りやればできるんだから!」
ミルの速度はワームの追従を許さなかった子供を救いたい一心で、集中力は限界まで研ぎ澄まされている。だから、訪れる危機は油断に依るものではない。
「痛ッ……」
ことが上手く運ぶかと思えた矢先、先程負傷した足首に負荷がかかり、雷撃のような痛みが走った。足から頭まで痺れるような痛みで、ミルはよろめく。左足だけで跳ねて体勢を立て直すが、ゴウッと風を巻き込みながら、右からワームの胴体が鞭のようにしなって迫ってくる。
「ぐっ!」
咄嗟に魔剣を盾にするが、自分の胴よりも太い体にぶつかられてしまえば、ミルに堪えるような体力はない。小柄な体は弾き飛ばされ、地面に叩きつけられる。
「あっ……かっ……」
圧迫された肺からすべての酸素が逃げていく。頭を打った衝撃が視界を歪める。
見上げる先に巨体。鞭のようにしなった尾が上から降ってくる。ミルは立ち上がらなければならないと頭で判断できても、体が動かない。
恐怖で瞼を閉じそうになったミルの視界に、誰かの足が割って入る。
「くそっ。何度も何度も世話を焼かせる!」
ミルの前に割って入ったアーシュラが頭を突きだす。
ズドンッ。アーシュラはワームの尾を頭突きで迎撃。裂けた額から血が霧のように広がった。
「ぐっ!」
「アー……シュラ?」
足が地面にめりこみ、膝は曲がって地に着きそうになったが、アーシュラは強烈な一撃を耐えきる。
「ミル。無事か?」
「う、うん」
「ぬうんっ!」
アーシュラはワームの尾に両腕を回して抱えると、勢いよく振り回す。地面と水平に独楽のように回転し、付近のワームを次々と打ち払っていく。
ミルは初めて目の当たりにする膂力に感嘆の息を漏らす。
「そんな力あるなら、最初から何とかしてよ」
「できん相談だ。食えば最悪、死ぬからな」
アーシュラが口を開いて出した舌には、何処かで見たような葉。
「それってバルテインとか言ってた?」
「痛みを感じない体になり一時的に筋力が増強される。だが、人の身には毒だ」
アーシュラはミルを軽々と抱きかかえて走りだす。
「おそらくワーム共もこれを喰って強化されていたのだろう」
アーシュラはジャイアントワーム達の隙間を縫うようにして包囲網を駆けぬける。
「人が食べたら毒って、どういうこと?」
「全身が痺れて体中の血液が水になる程度だ。すぐに治癒魔法を使えば治せる」
「え?!」
包囲網の最も外側にいたジャイアントワームが横合いから飛びかかってくると、アーシュラは左腕を振り下ろす。ジャイアントワームの頭骨が砕けた音と、顎から地面にめりこむ音が連続した。その一連の音の中に、ミルはアーシュラの肩関節が外れる音を聞いた。
「アーシュラ?!」
「ぐっ……。拙い。毒が回ってきて、視界が霞む。出口はこっちで間違いないか」
「え? あ、うん。大丈夫なの?!」
「あ、ああ」
数秒か数十秒程走り、ジャイアントワーム達のうごめく音が遠く聞こえなくなった頃、アーシュラの体がぐらりと傾く。
「ぐっ……」
アーシュラの口から血飛沫が飛び、水たまりに足を取られて転倒。投げ出されたミルはすぐに体勢を直しアーシュラに駆け寄って肩を揺さぶる。
「アーシュラ! しっかりして!」
反応はない。
アーシュラは水たまりに顔を突っこんだまま、動く様子がない。
ミルはアーシュラの体に腕を回し、仰向けになるように転がす。
「万能薬タブレットあるから、飲んで」
ミルはポケットから錠剤を出して渡そうとするが、アーシュラは手が震えていて受けとれない。
アーシュラの顔は青ざめ、全身が小さく痙攣している。バルテインの毒が全身を巡ったのだろう。
「アーシュラ! 飲んで!」
ミルはポケットから回復アイテムの錠剤をとりだし、アーシュラの口に押しこむ。だが、アーシュラは意識を失っているらしく、錠剤を飲まない。
「死んだら駄目!
さっきの子供を身代わりにしたこと、許してないんだから!
今すぐ助けに戻るんだから!
絶交、取り消すから……。起きてよ……。
あの葉っぱを食べたらこんなことになるって知ってたんでしょ。
なのに、なんで……こんな無茶するの!」
ミルは素早く視線を周囲に巡らせる。錠剤を飲ませようにも、付近に水道も自販機も見当たらない。
「絶対、死なせないんだから!」
ミルは水溜まりの水を手ですくい、アーシュラの口に運ぶ。残念なことに、ミルは少年漫画のヒロインみたいなメンタルを持っていないので、自分が泥水をすすって、口移しでアーシュラに薬を飲ませるという発想は出なかったのだ。
パシャパシャと小さな掌で泥水をすくってアーシュラの口にかけ、ぽろぽろと涙を零す。
「お願い、起きて、アーシュラ……」
何度も何度も泥水をすくって口に流し込み、かつて飼い犬に薬を飲ませたときのことを思い出しながら、ミルはアーシュラの頭と顎に手を当てて口を閉じ、薬を吐き出せないようにした。
随分と乱暴な救命方法にも見えるが、ミルの手は水溜まりの小石で擦りむいて小さな傷がついているし、顔はくしゃくしゃで涙は止まらない。
友人を助けたいと思う気持ちは、確かにけなげで一途であった。そうした思いがあるからこそ、奇跡は口づけではなく、涙によって、生まれた。ミルの涙が一滴、アーシュラの鼻先を濡らした。一滴、頬に当たって線を引く。一滴、唇に触れる。
「くっ……」
アーシュラの喉が小さく動き、呻き声を漏らす。
「飲んだ? 息してる。脈ある。心臓は……」
ミルは慌ててアーシュラの胸に耳を当てる。
トクン、トクン……。
「……動いてる!」
ドクンッ!
一際大きな脈動を境に、鼓動が急速に早くなっていく。正常とは思えない勢いだ。
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