第4話 勇者の娘は、モンスターに包囲される

「アーシュラ、大丈夫?」


「ああ、問題ない」


 体液まみれになったアーシュラは、犬のように体を振る。ねっちょりした液体があちこちに飛び散る。ミルはしかめっつらで上半身を反らして、臭い液体を避けた。


「汚い!」


「ミミズ風情が我をコケにしおって!」


 ミルの抗議を無視し、アーシュラは目に怒りの炎を宿し上半身部分に突進する。だが、暴れる頭部にぶち当たりミルの足元へと転がり戻る。スカートを覗かれる位置だが、スパッツを穿いているので特に気にしない。


「アーシュラの体の頑丈さと体力だけはホント、凄い。

 でも、弱いんだから無理しないでよ」


「ぐっ……! 我は魔王だぞ!

 弱いはずがなかろう!

 手加減しておったのだ。我が本気を出せば、このようなザコひとひねりだ」


 もう、その台詞が四天王最弱的な感じだし、魔王らしくないなあと思いながら、ミルは立ち上がるアーシュラの膝がしっかりしているのを見て、本当に頑丈だなあと、ちょっと呆れた。


「はいはい。アーシュラ、肩を借りるよ!」


 ミルは返事も待たずにアーシュラの肩を踏み台にして高く飛び上がる。上空で体を捻り、剣の切っ先からワームの眉間へ向けて降下。


「たああっ!」


 命中。体重を使って魔剣を眉間深くに差しこむと、ワームの上半身は急速に動きが鈍くなり、やがて動きを止める。

 ミルは剣を抜いて頭から飛び降り、くるっと空中で一回転し、アーシュラの隣へ戻る。


「やたっ。私、凄いでしょ!」


「我を踏み台にするとは」


「ナイスアシストだよ!

 アーシュラの足腰がしっかりしているから、踏み台になれるんだし」


「む……」


「最初の攻撃もアーシュラのおかげだよ。

 アーシュラを食べて動きが鈍くなってなかったら……。

 私一人じゃ倒せなかった。ありがとう、アーシュラ」


「む。褒めているのか?」


「もちろん! 最高のアシストだったよ!

 さすが魔王様。状況判断が的確!

 私に経験を積ませてくれたんだよね!」


「ふふっ。そうか。分かっているのならば良い」


 もちろんミルはアーシュラを煽てて扱いやすくしているだけだ。戦闘を傍観していたヴリトラはそのことを察したが口にしない。ジャイアントワームが大人しかったのはアーシュラを食べたからではなく、ヴリトラが睨んでいたからだということも口にはしない。

 そして、もう一つ、ヴリトラだけが気づいていることがあるが、彼女は二人に伝えない。何故か。それは、秘密にした方が面白そうだから。


「アーシュラ様、お体が汚れてしまっています。

 水とタオルとお着替えをお持ちします」


「うむ」


 ヴリトラは頭を下げ、一瞬で姿を消す。そよ風が吹き、葉っぱが数枚、空に向かって浮く。

 アーシュラは何気なく見送ったが、ミルは大きく目を見開いた。魔力ゼロのミルは、素早さと反射神経を武器にして勇者武器所有者になった。公式戦では中等部最速の評価を得ている。にも拘わらず、ヴリトラはミルの速さを超えている。


「ほんと、なんなのよ、あの子……。

 とりあえずモンスターを倒したし成績に反映してくれるかな。

 うっ。アーシュラ、臭い……」


「お前が倒したミミズの血の臭いだ」


「はっ、ははっ……。臭い……」


 ミルは鼻を押さえて苦笑いしながらアーシュラから距離を取る。


「おい、こら!

 まるで我が臭いみたいではないか!」


 アーシュラは両腕を振り回しながらミルを追いかける。初等部のような身長も相まって、生意気なガキにしか見えない。


「本当に臭いでしょ! ……ん?」


 ミルはアーシュラをからかっていると不意に視界の片隅で何かが動いたのに気づく。立ち止まり、背中にアーシュラがぶつかってくるのを無視しつつ、気になる方に注意を向ける。

 唐突に遠くで木が倒れた。さらに倒れる。そして、次々と木が倒れていく。


「嫌な予感……」


「急に止まるな。追突したではないか。

 むっ。背中にぶつかったかと思ったが、胸か」


 アーシュラはからかわれた仕返しとばかりに、ミルの背中を撫でて体格をからかうが反応がない。


「どうした? 胸が平坦すぎて両面背中になったか?」


「冗談を言っている場合じゃないかも……」


「む」


 地中を何かが移動しているらしく、隆起した土の小山が近づいてくる。背後から物音がして振り返れば、同じようにボコボコと地面が盛り上がっている。


「同じのが五体くらいまでなら何とかなりそうだけど……」


 ドンッ、ドンッ、ドンッと土砂をまき散らしながら、二十体前後のジャイアントワームが出現した。神殿の列柱の如く、太くて硬そうなものが、ドドンと左右に列をなして屹立した。


「げ……。ちょっと多すぎ……。こんなの何処に潜んでいたの」


「格好の餌場だからな。繁殖したのだろう」


 奥に一際巨大な二体がいる。群のボスらしき二匹はグレートワームに進化している。大きいとはいえ鱗を纏ったミミズという形は同じなので、全身が濃い灰色になっただけのカラーバリエーションモンスターにも見えるが、グレートワームは、高等部の魔法剣士課程から成績優秀者を十名は連れてこなければ敵う相手ではない。中等部最強のミルなら一対一なら勝てるが、複数相手にすれば勝ち目は薄い。


 最初の個体がミルやアーシュラには聞こえない悲鳴を上げて他のジャイアントワームをおびき寄せていたのだ。群は仲間の死を知り、感情を昂ぶらせている。どす黒い口腔内から、歯ぎしりのような音をギチギチと鳴らす。ミルは顔を青ざめさせ、一歩後ずさる。


「アーシュラ、これ、ちょっと拙くない。

 地中にもまだいそうなんだけど」


「ふん。こんなザコ。

 我が本気を出せば敵ではない」


「なら、本気を出してよ」


「くくくっ。いいだろう。

 転生してから一度も発現していない魔王の力、今こそ、その一端を見せてやろう」


「あっ!」


 ミルが制止しようとするのよりも早くアーシュラは駆けだす。


「おおおおっ!」


 アーシュラはジャイアントワームの隙間を縫うようにして走り、よりにもよって敵群の中で最も巨大なグレートワームに突進。巨頭に立ち向かう羊のような体格差。アーシュラは頭上に大きく振りかぶって、ぶん殴った。

 しかし、強固な鱗に阻まれダメージを与えることはできない。アーシュラの拳は跳ね返されて皮が裂けた。


「くくくっ。下等生物が、生意気な!」


 グレートワームが上から伸し掛かってくる、いや、単に身じろぎしただけだろう。アーシュラは押しつぶされそうになり、這う這うの体でミルの横に戻る。


「くそっ。人間の体は脆すぎる」


「ちょっと、アーシュラ、無茶しないでよ。血、出てる!」


 二人は完全に包囲されていて逃げ場はない。ジャイアントワーム達は距離を保ったまま、円を描くようにして這う。徐々に包囲の輪を縮め、逃げ場を奪うつもりのようだ。


「……このままじゃ駄目。やるしかない!

 囲まれる前に切り裂く!」


 ミルは群の最も手薄な箇所を見つけると、姿勢を低くして疾走。

 跳躍し体を高速回転、必殺のコークスクリュー・スラッシュを放つ。


「たああああああああっ!」


 命中。しかし、ジャイアント・ワームの鱗に弾かれてしまう。先程の個体よりも固いだけでなく、動いているため、魔剣が真っ直ぐ入らなかったのだ。


「くっ!」


 体勢を崩したミルは、ワームの至近で受け身をとる。押しつぶされる前に素早く立ち上がり、魔剣を振り上げるが、再び弾かれる。


「さっきのは倒せたのに!」


「動揺しすぎだ。劣勢に立った途端、剣筋が鈍っている」


「今のは偶然よ。

 ジャイアントワームなんかに私が手こずるはずないでしょ。

 見てなさい!」


 ミルはその場跳びでコークスクリュー・スラッシュを繰りだすが、やはり効かなかった。踏みこみによる加速がないため威力は落ちており、当然の結果だ。体勢を崩したミルは背中から地面に落下し息を詰まらせる。


「ぐっ……」


 短い間とはいえ、ミルは体が膠着し動けなくなってしまう。そこへ、ジャイアントワームの巨体が迫ってくる。


「きゃあっ!」


「ちっ。世話の焼ける奴め!」


 駆け寄ったアーシュラがミルの両腋に腕を突っこんで引っ張る。


「ちょっと! どこ、触ってるの! 胸っ! そこ、胸!」


「暴れるな! 胸なら、掴みやすいように大きくしておけ!」


「痛い! 痛いッ! 掴むな! 信じられない! 最低! 最低!」


「うるさい!」


 アーシュラはミルが足をばたつかせて抵抗するのを無視し引きずる。

 距離をとることには成功。だが、二人は相変わらず包囲網の中だ。


 単なる偶然だが、二人が大声で騒いだことにより、ワーム達が警戒を強めたため、攻撃までの猶予が伸びた。地中に生息するワーム達は視力が衰える代わりに聴覚が発達している。その聴覚が怒鳴り声を間近で聞いて、獲物は大きくて数が多いのではと、混乱したのだ。


「なぜ魔王たる我が、勇者の娘を助けねばならんのだ……」


「ここから脱出したら、絶対、ちんちん抓って泣かせてやる……!」


「我が母の胎内に魔力を残してきてしまったように、

 貴様も母親の腹に女らしさを残してきたようだな?」


「元気が残っているなら、

 まだ包囲網が広いうちに、なんとかするよ!」


 ミルは自分の頬を張って気合いを入れなおすと、再び突進。魔法が使えないミルは愚直にも近接戦闘を挑むしかないのだ。

 ワームの直前で全身を横回転させ、右腕を鞭のようにしならせて魔剣を水平に振るう。魔剣と三つ編み、青銀色の軌跡が地上に二つの円を織りなす。直後、紫色の鮮血が弧を描いた。魔剣はワームの胴体を深く裂くことに成功。だが、致命傷には至らない。何度か追撃を放ち、細かい傷を増やしていくが、長大な体のモンスターからしてみれば、大したダメージではない。


「さっきのやつは倒せたのに……!」


「ミル。身軽さがウリの貴様が立ち止まって戦うのは愚策だぞ」


「分かってる!」


「魔剣の類いは、装備している者の魔力や精神力に威力が比例する。

 焦りが剣を鈍らせている」


「知ったようなこと言わないでよ!」


 ミルは半ば自棄気味に何度も斬りかかるが、大した効果を得られない。認めたくはないが、アーシュラの指摘するとおりであった。冷静な状態であれば、二、三体は倒せるだけの技量はあるが、包囲されて焦るあまり、集中力を欠いている。

 さらに不幸なことに、ワーム達は植物園内に群生するマドガルの葉を食べ、魔力が上昇している。魔力値の増大により、鱗が強固になっているのだ。

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