第3話 魔王転生者は、巨大モンスターと対峙する

 ミルと同じ一班に属するオークのベリオとサキュバスのタロリーは、順路の途中で突然、事件に巻きこまれた。地面が隆起したと気づいた直後、砂埃が爆発的に広がり、二人は視界を奪われた。


「ひゃわわ~」


 タロリーの悲鳴にあわせて、サキュバスらしい大きな胸が上下に弾んだ。衣装は、豊満な胸を覆うにはあまりにも布面積が狭くて心許ないが、秘所を隠す役割は果たした。


「くそっ。いったい何が! よく見えない!」


 オークと人間の混血児ベリオは、外見は太った少年にしか見えないが、父親の血が濃いらしく、級友のサキュバスに視線を送った。爆発よりも、隣で揺れる爆乳の方が気になる年頃オークなのだ。深刻そうな口ぶりではあるが、内心ではサキュバスおっぱいを隠す砂埃に憤っている。


 学園都市内には野生のモンスターはいないはずなので、タロリーもベリオも危機感は薄い。しかし、砂煙の中に突如としてそびえ立った巨大な影は、タロリーに恐怖心をもたらすには十分な迫力だった。


「ベ、ベリオ、前、なんかおっきいのがいる……」


「で、でかいのが動いている!」


 なお、タロリーは心底恐怖しているのだが、ベリオは未だにサキュバスのおっぱいばかり気にしていて、眼前の脅威に気付いていない。

 砂煙の中で巨木にも似た何かが倒れるようにして、勢いよく迫ってくる。押しつぶされれば、胸以外は華奢なサキュバスはおろか、樽体型のオークもひとたまりもないだろう。


「きゃあっ!」


「うおおっ!」


 タロリーが悲鳴をあげると、ベリオはどさくさ紛れにサキュバスのおっぱいを触ってやろうかとゲスな思考を抱いた。ただこれは、オークの血が濃いことよりも、サキュバスの種族特性によるところが大きい。危機感を抱いて体温の上がったサキュバスは発汗し、男を誘惑する甘い香りを周囲に漂わせるのだ。これにより、元からすけべ少年だったオークは過剰に、エロい思考が強くなっていたのだ。


 パーティーを組むには相性の悪い種族二人が押しつぶされかけた瞬間、台風を凝縮したような突風が吹き、砂煙を一瞬で消し飛ばしす。


「おわああああああああっ!」


「きゃああああああああっ!」


 二人は風圧に耐えきれず転倒し、なすすべもなく地面を滑る。ベリオは事態がまるで呑みこめないが、風でタロリーの匂いも散ったため冷静さを取り戻し、周囲を観察する余裕ができた。そして、通路に倒れたまま、威容を見上げる。


「な、なんだ、こいつは!」


 そこにいたのは、全長十メートルを超え、全身を鱗で覆ったジャイアントワーム。巨大なミミズに瓦のような鱗をびっしりつけたようなモンスターである。地中に巣くうが、まるで海辺の生物のような光沢を放ち、ぬめっとした紫をしている。


「ジャイアントワームの成体……。

 おい、タロリー、立て。逃げるぞ」


「む、無理~。腰が抜けちゃった……」


「しっかりしろ!」


 正気を取り戻せば仲間想いのベリオは左手でタロリーの腕を掴んで逃走を試みる。だが、タロリーは腰が抜けているため、立ち上がるのにさえ手間取る。

 謎の突風により砂煙が晴れて視界はクリアになったが、ジャイアントワームから逃れることは不可能だろう。しかし、ベリオは握った手を放し、腰に吊した棍棒を右手で取って構えると、ワームを睨み付ける。そして、巨体を挟んで反対側に小さな人影が二つあることに気づく。

 ベリオと同じ魔法剣士課程一班に所属するアーシュラとヴリトラだ。


「アーシュラ! ミルは何処だ!

 すぐに呼んできてくれ!」


 中等部で最優秀成績のミルなら、大人が手を焼くような巨大モンスターでも倒せるかもしれない。ベリオは光明が見えたからアーシュラに援護を要請した。


 しかし、ツンツン黒髪の背の低い少年は腕を組んでふんぞり返っているだけ。ミルを呼びに行く様子がない。


「おい! アーシュラ! 逃げろ!」


「ベリオよ、仲間を見捨てない気概、見せてもらった。

 研鑚せよ。いずれ我が軍門の末席に加えてやろう。

 だが今は退け。これの相手は貴様では荷が重い」


「なに言っているんだ、アーシュラ、お前も逃げろ!」


「こんなザコを相手に逃げる必要などない。

 それにな、魔王に逃走という選択肢はない」


「アーシュラ、こんな時まで魔王ごっこをするな!」


 魔王ごっこと揶揄されたアーシュラは無反応だが、代わりにヴリトラのピンク髪の下にあるじと目の虹彩がキュッと細まる。


「ごっこ?

 ……不遜な混血オークですね。殺しますか?」


「やめよ。ミルが怒る。

 我等の真の目的を達するためには、人間どもの箱庭遊びに付きあうしかあるまい」


「アーシュラ! ヴリトラ! 何を言っているんだ! 逃げろ!」


「ヴリトラよ。先にアレを排除しろ」


「はい。……オークとサキュバスよ、立ち去れ」


 ヴリトラの囁きは、ただ言葉に魔力を乗せるだけ。

 ベリオの意識は軽く混濁し、言われるがまま踵を返す。タロリーも目を虚ろにし、背中の小さな翼で羽ばたいて去っていく。


「邪魔者はいなくなったようだな。

 ヴリトラよ、これは俺の獲物だ。手を出すなよ」


「分かりました」


「くっくっくっ。

 下等モンスター風情が、どうやら魔力強化効果のある植物を食べて成長したようだな。

 なるほど。これが植物園」


 八重歯を覗かせて上機嫌に笑いながらアーシュラが拳を鳴らし、前に出る。ヴリトラは深く頭を下げ、後ろに下がる。


「こんなザコでも、少しは楽しめ――」


 ズドンッ!


 ジャイアントワームの突進が直撃し、アーシュラは自信たっぷりに大物ぶっていたとは思えないほど、呆気なく簡単に吹っ飛んだ。「ぐおっ!」

 アーシュラは遊歩道を鞠のように弾んで、柵に激突してぶち破り、草花をなぎ倒して転がっていく。


 ドスンッ!


「……ぐっ!」


 木に背中をしたたかに打ちつけてようやく小さな体は止まる。肺から酸素が押し出され、息が詰まった。


「くっ……。

 なるほど、ただのジャイアントワームではないようだ」


 口の端から血を一筋流し、よろめきながら起き上がったところで、ジャイアントワームの大きな口腔が眼前いっぱいに広がる。アーシュラは両腕を広げ、顎の上下を掴んだ。


「我を食おうとするか、下等モンスターめ!

 このまま引き裂いてくれる!」


 アーシュラは両腕に力を込め、抵抗する。力の拮抗は刹那。


「ぐっ……うおっ」


 指がぬるっと滑り、アーシュラはパクッと呑みこまれた。

 戦闘開始から僅か十五秒だ。


 無残に破壊された柵や、抉れた地面、ヒビの入った木が、一瞬で終わったとはいえ、戦闘が激しかったことを物語っている。

 最初の獲物をお腹に収めたジャイアントワームは、次にヴリトラを標的にするが、相対した瞬間、動きを止める。知能の低いモンスターではあるが、眼前の存在が秘める力を感じ取ったのかもしれない。ミミズのくせに、冷や汗でも垂らして焦っているかのように、くねった。


 数秒の静寂。ヴリトラの聴力は、ジャイアントワームの口から「我を餌にするとは生意気な」「引き裂いてくれる」とアーシュラの声が微かに漏れてくるのを捉える。

「絶対に手を出すなと言われています。困りました」


 ヴリトラが小さく首を傾げると、その動作を威嚇として受けとめたジャイアントワームが微かに身を引き、事態は膠着。

 再び事態を動かすのは、初等部の子達を避難させ終え、全力で走ってきたミルだ。


「二人とも無事?!」


 ミルがヴリトラの横で立ち止まると、右側頭部で結っている大きな三つ編みが体の前に揺れた。ミルは息を軽く弾ませながら周囲を見渡す。


「アックの爆破事件とか空き地の一夜城とかあったから、

 ジャイアントワームくらいじゃ驚かないからね?

 ねえ、ヴリトラ、アーシュラは何処?」


 ヴリトラはじと目でミルを一瞥するとジャイアントワームに視線を戻す。


「ヴリトラ?」


 ミルはヴリトラの視線を追い、ジャイアントワームの胴体の一部が膨らんでいることに気づく。よく観察すると人の形をしている。大人にしては小さいし、子供くらいの膨らみだ。


「えっ?! 食べられちゃったの?!」


 ミルはさすがに驚いて声を荒らげると、否定を求めてヴリトラの無表情に視線を送る。


「体内から敵を切り裂く作戦かと」


「そんなわけないでしょ!」


 ミルは鞘擦れの音もなく抜剣。髪と同じ青銀色の剣が現れ、陽の光を反射する。


「アーシュラ、じっとしていなさいよ!」


 姿勢を低くして駆けだすミルは僅か一歩でトップスピードに到達。脚力に長けた獣人すら置き去りにするであろう速度に、ジャイアントワームはまったく反応できない。

 ミルは魔力値ゼロ。一部の例外を除いて全生徒が魔法を使える学園都市において、致命的ともいえるハンデを抱えていてなお、ミルを中等部最優秀成績者たらしめるのは、その圧倒的速度。

 そしてバランス感覚。ミルはジャイアントワームの胴体を飛び越えながら体を横向きにして全身で回転。


「たああっ!」


 さながら地面と水平に回る竜巻。コークスクリュー・スラッシュと名付けた必殺剣だ。遠心力を乗せた魔剣は易々とジャイアントワームの胴体を裂く。

 ワームは既に二分されている。だが、斬撃が速すぎて、ワームの胴体はまだ一つのまま。

 ミルは着地と同時に振り返りながら腕をしならせて、魔剣を下から上へと振り抜く必殺技バック・ブレイド。


「はあっ!」


 魔剣はワームの胴体を難なく両断。魔剣が残す青銀の軌跡に沿い、剣から散ったワームの血が宙に一瞬、弧を描く。


 ドズンッ。


 一呼吸の間に三分割されたジャイアントワームが青い体液をまき散らしながら地に落ちる。


「やたっ。凄い、私!」


 ミルは小さくガッツポーズ。足をパタパタさせながら、飛び散る体液を器用に躱す。

 コークスクリュー・スラッシュからバック・ブレイドの連撃はミルが最も得意とする連続攻撃だ。先代の勇者武器所有者を倒して魔剣の所有権を奪ったのも、この連携だ。


 幼い頃から元勇者パーティー一員の母親に剣術を教わっていたミルにとって、ジャイアントワームの一体くらいは容易い相手であった。この巨大モンスターを単独で撃退できる者は、学園都市の中等部には極一握りである。

 ようやく体の異変に気づいたらしきジャイアントワームが、上半身と下半身を暴れ狂わす。

 ミルはビチビチ跳ねているワームを避けながら、切り取った箇所からアーシュラを引っ張りだす。

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