第一章 勇者の娘と魔王の転生者は、少し仲良くなる

第2話 勇者の娘は、魔王転生者と校外学習をする

 ヴィーグリーズ学園都市東区に在るローゼル植物園は絶好の鑑賞日和であった。前日に雨が降ったため、水滴が陽を反射して草花を飾っている。課外授業や遠足で訪れた生徒達の、景観を楽しむ笑い声があちこちに咲く。


 王立サイファングル学園の中等部魔法騎士課程一班の生徒も植物園に来ていた。五人の少年少女が園内を観察しながら歩いていると、そのうちの初等部と見間違えられそうな程に小柄な二人が、順路を無視して列から離れていく。


「植物園?

 ヴィーグリーズ内にも草花が自生しているというのに、

 わざわざ檻の中に植物を集める意味はあるのか?」


 人族の少年アーシュラ・ティエリアルが、尖った八重歯を覗かせながら呟く。騒動に首を突っ込む性分なので生傷は絶えないし、途中入学してから一ヶ月しか経っていないのに、既に制服はあちこちが破れてボロボロだ。


「アレもコレも、道ばたに生えている草と何が違うというのだ」


荒蕪地こうぶちを楽しむなど、いつの世も人間の考えることは意味不明ですね」


 アーシュラの三歩後ろに控える魔族少女ヴリトラが応えた。ピンク髪の頭には角が、お尻には鱗の尻尾がはえている。


「む、アレはマドガルの樹か?

 よく見えんな」


 アーシュラは柵に飛びついてよじ登っていく。ヴリトラはアーシュラに追従し、柵を軽やかに跳び越える。ここでようやく他の班員が、後方の二人が順路を外れていたことに気づく。


「あっ! アーシュラ、ヴリトラ。

 柵を越えたら駄目!」


 魔法剣士課程一般の班長ミル・キーラライトは、側頭部で三つ編みにした青銀色の髪を揺らしながら駆け寄り、協調性のない二人に注意する。


 小柄なミルは最小サイズの制服を着ているのにも拘わらず、袖がやや余るし、腰に下げた鞘の先は地面を擦る。そのミルですら、アーシュラやヴリトラを前にするとおでこ一つ背が高い。ミルは柵を挟んで、初等部のように小さい二人を威圧するように見下ろす。


 アーシュラは丈が余るあまり、制服はさながら燕尾服だし、ヴリトラは上着の裾がスカートのようになっており、角度によって下に何も穿いていないように見える。


「アーシュラ、戻って」


「たった今貴様が柵を越えたら駄目と言ったではないか。戻ることはできんな」


「己の発言に責任を持てないなんて、人間は身勝手な生き物ですね」


「屁理屈禁止!

 こっちに戻って!」


 アーシュラもヴリトラも既に怒られ慣れているし、二人とも元々ふてぶてしい性格なので、ミルの怒りを意にも介さない。

 まったく悪びれない態度の二人にミルは長期戦を覚悟し、他の班員を先行させることにした。


「ベリオ、タロリー、先に行って。

 私はこの二人を注意してから追いかけるから」


 他の班員達も普段のアーシュラやヴリトラの様子を知っているだけに、ミルの手を患わせないように素直に従う。


「植物園はね、貴重な植物を保管したり研究したりするための施設なの。

 だから勝手に柵を越えて中に入って荒らしたら駄目なの。

 って、アーシュラ、観賞用の植物を食べたら駄目!」


「軟弱な人間が毒性のある植物を食べて死なないように、

 我が事前に研究してやっているのだ。

 そのための施設であろう?」


「さすがアーシュラ様。

 下賤な人間になんたるお心づかい。されど、朽木は雕るべからず。

 人間如きには魔王様の崇高なる叡慮えいりょは理解できないでしょう」


「なんで私の班には問題児ばかり揃っているのよ……」


 ミルは二人と出会ってから癖になりかけている溜め息を吐く。


「アーシュラ、魔王ごっこはやめてよ。

 植物繊維が足りていないんだったら、お店で野菜を買って食べて」


「面倒だな。

 地に生えている物の方が新鮮だし、俺の故郷ではそうしていた。

 見ろ。マドガルの樹だ。

 先客がだいぶ食い散らかしたようだがな。

 これの葉には魔力を増大させる効果がある」


「授業を聞いてないのに何でそんなこと知っているの……。

 ねえ、変なことはしないでよ。

 ほら、こっちに戻って。分かるでしょ?

 入ったら駄目だから、柵で囲ってあるんだよ」


「なるほど、認めよう。貴様の言葉にも一理ある。

 ……ところでミル」


「なに?」


「舌…が…痺……れ……」


 んべっとアーシュラが舌を出すと、端から見ても分かるくらい、ビリビリと電気が走っていた。


「生えてる物を食べるから!

 魔力を宿した植物だってあるんだからね!」


「アーシュラ様お口を」


 ヴリトラがアーシュラの口を間近から覗きこむ。


「舌が腫れています。毒を吸いだします」


 ヴリトラはアーシュラの口元に唇を近づけ、触れる寸前。


「ていっ!」


 パコンッ。


 ミルは柵を跳び越えて侵入し、ヴリトラの脳天を鞘で叩く。

 硬い。もう何度も経験があるから分かっていたこととはいえ、ヴリトラは超石頭だった。鞘から振動が伝わったので、ミルの手の方が痺れて痛いくらいだ。


「怖れを知らない人間ですね。

 私を怒らせたら、煙焔天に漲り国単位で人が消滅しますよ」


「公衆の面前でやめなさい」


 ミルが視線で示す先には、初等部らしき児童が五人ほど歩いている。

 ヴリトラはじと目そのままに口元だけで笑うと、ミルの眉間に指をつきたてる。


「柵の中に入っていいんですか。

 小さい子に見られてますよ。教育に悪いですよ」


「小さい子にふしだらな場面を見せるよりかはマシ」


「毒を吸いだす行為を淫奔いんぽんとでもいうのですか?」


「い、いんぽん? 難しい言葉を使って誤魔化そうとしてない?」


「もしかして、それは嫉妬という感情ですか? 人間は見苦しいですね」


「アーシュラとヴリトラが何をしようと、

 私が嫉妬なんてするわけないでしょ!」


「なら問題ないではないですか。

 私はアーシュラ様と濫倫らんりんの限りを尽くします」


 再びヴリトラがアーシュラの舌に口を近づける。

 ミルはヴリトラの口を手で押さえる。


「あのね、人族にとって唇を重ねる行為は特別な意味を持つの。

 人前ですることじゃないんだから」


「むーむー」


「きゃっ?!」


 ヴリトラがザラッとした舌で舐めてきたからミルは手を放す。掌がしっとりと濡れる。


「そういうことも、女の子がしちゃ駄目なの!」


「人間じゃないので」


「亜人種でも女の子でしょ!」


 言い争っていると、アーシュラが二人の肩を叩き、目で「いいから、何とかしろ」と訴える。どうやら声を出せないようだ。


「ほら、万能薬あげるから。アレルギーないよね?」


 ミルはポケットから錠剤のケースを出して渡す。ごく希に、魔族が万能薬アレルギーを起こすがアーシュラは人間なので問題ないはずだ。


「はい。錠剤だけど飲んでも噛んでもいいよ」


「お、あ、あー。

 ……おっ。よし。声が出る。助かったぞミル」


「まったく二人とも、

 どういう衛生観念や貞操観念をしているの……」


「少なくとも私は人間のように汗をかかないので、清潔です。

 それに、大地を埋め尽くすほどに繁殖した年中発情期の人間の方がよほど貞操観念が緩いですよ。

 この暴淫種族め」


「はいはい。分かったから、早く班のみんなと合流するよ」


 ミルは手を叩き、じゃれあいの中断を促す。他の班員は先に進んでしまっているし、柵の中で初等部生から注目を集めているのは、いささか恥ずかしい。


「本当にこいつらを卒業させられるのかな……」


 ミルは本日何度目かの溜め息を吐く。ミルは学園長から直々に二人の面倒を見るように指示されている。途中入学の二人は、卒業に必要な戦果が圧倒的に足りていない。その不足分を少しでも補うために、特別授業の一環として植物園に来ているのだ。


「ほら、柵の外に戻って」


 ミルはスカートの下にスパッツを穿いているが、アーシュラに先に行くように促す。アーシュラとヴリトラが柵を出てから、ミルもスカートを押さえて柵を跳び越え、順路に戻った。

 しかし、アーシュラはすぐに順路を外れようとする。


「む。アレはモレンドルの樹か?

 食い散らかされているようだが、魔力増強の効果があるぞ」


「こら、アーシュラ。

 ナチュラルに柵を越えようとしない。通路に沿って前に進む!」


「アーシュラ様、

 向こうには筋力増強効果のあるバルテインも生えているようです」


「ほう。珍しい木々が揃っているな。

 薬物に転用できる希少な植物ばかりとは、何者かの意図を感じるぞ。

 人間め。薬漬けの強化兵でも作るつもりか?」


「だから、植物園は希少な植物を集める所なんだって。

 ねえ、植物園の概念、ちゃんと理解してる?」


「理解していないからこそ、我は学習のためにここに来たのだ」


「それ、格好良く言っているけど、内容はダサいと思う……」


 弛緩した空気の中で雑談しながら少し進むと、急にヴリトラが歩みを止め、アーシュラにも止まるように手で示す。


「む」


 後れてアーシュラも何かに気づいたらしく、眉がピクッと跳ねる。

 ミルは二人につられて足を止める。


「アーシュラ、瞳に封印された魔王の力でも疼くの?

 それとも右腕?」


 まだ何も感づいていないミルが冗談でからかう、その直後。


 ッズドオオオオオオオオオオオオオンッ!


 前方から、小山でも噴火したかのような爆音。暴風が吹き荒れ、周辺の木々が音をたてて激しく揺れる。体が浮きかけたミルは腰を低くして、両腕で顔を庇った。


「わっ。何の音?!」


 爆音の方を窺ったミルは両腕の隙間から、アーシュラとヴリトラが駆けだしていくのを見る。


「ちょっと、待ちなさい!」


「くくくっ。面白いことが起こりそうだ!」


 薄らと粉塵の漂う順路をアーシュラとヴリトラは駆け、カーブを曲がり、あっという間にミルの視界から姿を消す。


「ああっ、もうアーシュラの馬鹿っ。

 絶対に騒動を大きくしに行ったでしょ!」


 ミルは二人を追いかけようとするが、踏みとどまる。

 背後から幼い泣き声が聞こえたからだ。

 振り返ると、数名の初等部生が爆音に怯えて身を小さくしていた。爆風に耐えきれずに転倒した子も居る。


(あ……。

 ちっちゃい子がいっぱい泣いてる。

 なんとかしないと……。あっ、そうだ!)


 ミルは抜剣。魔剣デュランダルを天高く掲げ、声を張る。


「注もーく!

 デュランダル所有者のミルだよー!」


 ミルの髪と同じ、青銀色の刀身が陽を反射して煌めく。

 幼いといえどもヴィーグリーズ学園都市に住む者なら、成績優秀者に渡される勇者武器の権威を知っている。デュランダルは学園内において細剣の使い手として最強であることを意味する。

 子供達は一人、また一人とミルを見て泣きやんでいく。

 ミルは最年少で勇者武器の所有権を有する、学園の有名人なのだ。仮にさっきの爆音が、強盗団が火炎魔法で暴れるものだとしても、勇者武器所有者なら簡単に制圧してしまうだろうという、信頼がある。


「ほら。泣いていると勇者武器を見逃しちゃうよ」


 やがて子供達は全員が泣きやみ、目に憧れの輝きを宿してミルを見つめる。


「本物? 本物のミル?」


「ちっちゃい……」


「私、試合で見たことあるー」


「偽物じゃないの?」


「ちっちゃーい」


「はーい。本物です。

 身長のことなら、ちっちゃいと言われても許すけど、

 胸を見ながら言った子は、ここに置いてっちゃうよ」


 剣を収め、冗談じみた口調で胸を張ると、子供達の間に笑みが零れた。


「ん。私が出口まで誘導する。

 みんな、二人一組で手をつないで、絶対に友達の手を放さないでね。

 私についてきなさい!」


 ミルは居合わせた初等部の子供達を率い、入り口へ足を向ける。


(先ずは小さい子の避難。

 次に管理事務所に通報。

 爆音が聞こえてきた現場はアーシュラに任せるしかないか……)


 ミルは本日何度目かになる溜め息。

 爆音の方に何のためらいもなく駆けていった自称魔王の転生者が気になる。

 知り合ってから一ヶ月だけで、アクマナルドの爆破に、コンビニ乱闘、他校に乗りこんでの喧嘩……既に色々やらかしている。


 つい先週は、初等部の魔族を率いて都市内の空き地に秘密基地を建造し、誘拐騒ぎとなってしまった。基本的に学生による自治が行われている学園都市内で、大人まで動員する騒動になってしまったほどだ。


「凄く嫌な予感がする……」


 ミルは情けない顔になると、アーシュラが駆けていった方向に視線を送る。


(私、主席で卒業しないといけないのに、

 アーシュラが問題を起こすと、私の評価まで下がっちゃうんだよ!

 絶対に、やらかさないでよ!)


 子供達に聞かせるわけにはいかないので、内心で祈っておいた。

 ただ、本心では、どうせ問題を起こすだろうなあと、諦めている。

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