パパ(勇者)を殴るために魔法学園を主席卒業したいのに、自称魔王転生者の転校生の面倒をみることになっちゃった。お願いだからもう問題を起こさないで……
第18話 魔王の転生者は、炎に包まれる。あと、邪竜復活ッ!
第18話 魔王の転生者は、炎に包まれる。あと、邪竜復活ッ!
「さて、タロリーがミルを地上に降ろしてからここに戻ってくるまで……もたないようだな」
天井から赤い炎と黒焦げた根が雨のように降ってくる。木片の一つがアーシュラのこめかみに直撃し、血が流れる。
「機転を利かせた何者かの救助を期待して飛び降りるか?」
下の階では私立ルーヴィラス学園の生徒が魔動エレベーターを設置しているはずだ。先程開けた穴を覗きこもうとするが、落下してきた根によって塞がれる。
「ぐっ……体が急に……」
不意に目がくらみ立っていられなくなったアーシュラは膝をつく。
「くそっ。煙か……」
煙を吸って酸欠と一酸化中毒になったのだ。
「床に穴を増やせば……」
下のフロアに脱出すれば助かるかもしれない。だが、落下したブロックでミルが負傷する危険性もある。
「くくっ……。ふははっ。
まさか我が人間の心配をする日がこようとは。
人の身になって僅か十五年だぞ。
魔王たる我を箕裘せんと……」
アーシュラは辛うじて意思に応じてくれる両腕を使って床を這い、壁際を目指す。
「存外、我は魔王の記憶を有するだけで、
本質的には人間なのかもしれないな……」
アーシュラが倒れている位置から壁まで、五メートルもないのに恐ろしく遠い。
「くっ……。なんという非力な体か……」
腕力だけで這うしかないので、体は遅々として進まない。
「人間の体は、こうも脆く、弱いのか……」
不意に、かつて見た光景が脳裏をよぎる。
強大な魔法を叩きつけても、何度も何度も立ち上がってくる五人の勇者パーティーだ。
中でもリーダーらしき人間の男が最も手強かった。破壊魔法の奔流に呑みこまれ、広間の壁を突き破り吹き飛んでいったというのに、女騎士の窮地に颯爽と現れるのだ。盾も鎧もひしゃげ、血まみれの左腕は力なく垂れ下がっていた。明らかに満身創痍だった。だが、勇者が女騎士を背後に庇ってから繰りだす攻撃は、次第に威力を増していった。
「まったく……。やつは、こんな非力な生き物のくせに……我を……」
酸欠で視界が歪み、アーシュラは壁を見失いかけるが、それでも外を目指して進む。壁に穴さえ空ければ助かる可能性が高い。
「我は、この程度では、死なぬぞ……」
魔王の闇魔力は勇者達の体内に封印され光魔力によって相殺されたため、最後は魔法なしの殴り合いになった。古の魔法を極めし魔王と、神々の剣術を極めた勇者が、泥臭く素手で殴りあったのだ。
立ち上がる体力を失い、膝をつき合わせ、相手の顔面を殴りつける。
肘打ちを叩きこむ。
相手の攻撃は避けない。避ける体力がない。
拳も、肘も受けとめる。相手が疲労で腕を止めたとき、反撃する。
汗の飛沫が舞い、口から血が零れる。それでも殴る。殴られる。
ただ、それだけだ。
途中から意識はなかった。意地で歯を食いしばって殴り続けた。
アーシュラの意識は混濁している。
肘を振り、拳を前に出す。
何度も、何度も意識が飛びかけるが、アーシュラは腕を動かし続けた。
そして、塔の壁面に手が触れる。
「……」
それっきり、意識は茫漠たる闇の中に落ち、アーシュラは動かなくなる。
「アーシュラ!」
(勇者め……。忌ま忌ましい。我が名を呼ぶな!)
「アーシュラ!」
(……なんだ? 勇者の声ではない?)
「アーシュラ!」
その声に敵愾心はない。
高く幼い声音は、古い記憶ではなく、最近よく聞く心地よい声だ。
「ミ、ル……」
アーシュラは意識を取り戻し、掠れた声で呪文を唱える。
「ブロック……」
壁面に透明な線が走り、一メートル四方の範囲がブロック化した。
「ぐっ……。ムーヴ……」
アーシュラは指先に最後の力を込め、ブロックを押す。
すると――。
「わっ。危なっ!
タロリー、追いかけて!
ブロックを地上に落ちないようにして!」
「分かった~」
「アーシュラ、大丈夫?」
ブロックが抜けた先、塔の外側にミルがいた。
階段口が封鎖されたあと、機転を利かせたベリオが塔の外側に階段を造っていたのだ。ミルはタロリーに助けられた後、下へは降りずに、ベリオが造った階段から戻ってきた。
「返事して! アーシュラ!」
ミルは抜け穴に体を突っこんで、アーシュラを引っ張りだそうと試みる。しかし、全身を伸ばした姿勢では腕力しか頼るものがなく、小柄なアーシュラの体重すら引きずれない。腕力のある者と交代しようにも、ベリオは階下へ援護を呼びに行ったし、タロリーは落下したブロックを追いかけて地上へと降下していった。
「アーシュラ、寝ちゃ駄目!
起きて!
私を逃がすために自分が怪我するなんて、許さないから!」
顔を背けたくなるほどの熱風が吹きだしてきたが、ミルは耐える。
アーシュラの方がもっと危険な状況にさらされている。出血しているこめかみも、煤だらけの頬も、ミルを逃がすための負傷だ。
「ごほっ、ごほっ……」
煙に呑まれたミルは満足に呼吸できなくなり、アーシュラが酸欠状態に陥っている可能性に思い至る。ミルはアーシュラの口元に手を当ててみるが、呼気を感じない。
「アーシュラ! アーシュラ!」
頬を叩いても反応はない。
「アーシュラ! 馬鹿!
なんで何度も何度も無茶して死にかけるのよ!」
回復魔法が発達している世界において、人口呼吸による心肺蘇生の訓練は行われない。だから、ミルには人口呼吸でアーシュラを救うという発想は出てこない。知識もないし、訓練もしていない。もし、唇を当てて息を吹きこめば友人を助けられると知れば、ミルは恥じらいを捨て、一切躊躇わなかっただろう。
己の無力を感じ涙をこぼしながら、ミルはアーシュラの腋に手を回し、外壁に引っかけたつま先に力を入れて全力で引く。
「起きて! 動いて!」
返事はない。
それどころか、アーシュラの体は重みを増したかのように動かない。穴は狭く、ますます身動きは不自由になり、ミルは万策尽きつつあった。それでも諦めず、狭い穴で腹筋や太ももに力を入れて、穴の外を目指す。
「やめよ」
「アーシュラ! 意識が戻ったの! 外、出るよ!」
「逆だ。体が引っかかって、出られない」
「ん?」
煙の中、はっきりと見えないが、確かにアーシュラの体が穴を塞いでいる。
「あ! アーシュラ、おっきくなってる!」
「らしいな」
ミルがアーシュラを引きずろうとした最初の段階で涙が溢れ、横を向いていた頬に落ちて流れ、唇に当たっていたのだ。期せずして、数日前の植物園と同じように、勇者の娘の涙が魔王の力を覚醒させていた。
暗く狭い穴の中で、二人ともアーシュラの体が青年に変化していたことに気づかなかったのだ。
「ミル、教えてくれ」
「何を?!」
「お前と一緒にいると気分が高揚し、胸が熱くなるんだ。なぜだ」
もしかしたら、それは、二人がお互いに抱き始めている感情なのかもしれない。
しかし、そういった感情と過去に無縁だった二人は気付かない。
「塔が、燃えてるからでしょ!」
「そうか。確かに胸の内だけでなく、尻も熱いな。
この場をなんとかするか。
外は落下の危険がある。我と一緒なら中の方が安全だ」
瞬きの後、アーシュラとミルは塔の中に立っていた。アーシュラの使った短距離転移魔法の効果だ。神世の武具を鍛えた炉のように塔内は炎が渦巻いているが、ミルは息苦しくないし、暑くもない。アーシュラが魔力で風を操り、二人の周囲に不可視の膜を張っているためだ。
アーシュラはやはり植物園の時と同じように、髪は炎のように赤く染まり、虹彩に黄金の光を宿す。体は、禍々しい意匠の黒衣に覆われている。
驍猛さにあふれた声を聞くだけで、ミルは不安が消え去るようであった。
「ねえ、どうするの」
「塔が焼け落ちるのを貴様は望まないだろう。ならば、こうする『ブロック』」
「馬鹿っ!」
床が抜けると思ったミルはアーシュラの隣から飛びのく。
しかし、危惧した事態は起こらず、忽然と室内の炎が消えた。残るのは天井から垂れる木炭と化した根の残骸だ。灰が粉雪のように舞い、熱せられていた空間は急速に冷めていく。
「アーシュラ、何したの……。何それ?」
「さっきまで室内に充満していた炎だ。
『マジック・クラフト』の真似事をしてみた」
アーシュラの掌に小さな塊がある。ルビーよりも濃い赤をしており、透明な殻の中を何かが渦巻いている。
「え、これ? ブロック?
室内の炎を、ビー玉みたいに小っちゃいブロックに封じこめたの?!」
「うむ。見よう見まねだが上手くいった」
「なんでこんなことできるの……?」
「貴様は我の偉大さを理解していないようだな。
エルフやドワーフが開発できる程度の魔法くらい、容易に再現可能だ」
「でも、何人もの教授が何年もかけて発明したって……」
「これは後でネックレスにして、貴様に送ろう。
白い肌に鮮烈な赤は貴様の美しさをより引き立てるだろう。
これを身につければ、一人の時でも我の姿を思い出せよう」
アーシュラは自分の髪と同じ色をした宝玉をミルの胸元に押し当てる。
「どうした、顔が赤いぞ? 風邪か?」
「だ、大丈夫だから。さっきまで部屋が燃えていたから、熱いの!」
アーシュラが悪ガキから青年に変わってしまったため、ミルは勝手の違いに戸惑う。ミルが好む少女漫画は、野性的な男に迫られた少女がドキドキしちゃう物語が多い。自分より強い同世代を知らないミルは、自分に乱暴できるくらい強い男に、惹かれてしまうのだ。
「ふむ」
アーシュラが指をパチンと鳴らすと壁面に窓がいくつも出現した。呪文の詠唱なしで同時に複数箇所をブロック化したのだ。
「アーシュラ、その姿になると、なんでもありだね……」
「魔王だからな。だが、我にも不可能なことはある」
アーシュラが意味深な視線を階下に下ろすと、ゴゴゴゴゴッ……。足下が僅かに揺れだす。
「時間切れだ」
「何が?」
揺れは瞬く間に大きくなっていく。
ズドンッ。
大地が爆発したかと錯覚する程の爆音が、遥か下方から天に向かって迸った。
アーシュラは、ミルを背後から抱きしめる。
「揺れるぞ」
「きゃっ。なんの音……。って、ちょっと」
床が縦に大きく振動し、水面のように激しく波打つ。周囲の壁に無数の亀裂が走り、外から射す細かい光の線と、崩壊を思わせる破砕音が空間内に飛び込んできた。コンサートホールの楽曲のようにひび割れ音が空間内に充満し、一千年以上の時を経て天井に溜まっていた埃が降り注ぐ。
ミルは支えられていなければ、立っていられなかったかもしれない。アーシュラに背後から護られたまま、両脚をバタバタと揺らした。
「きゃああっ。でかい!
地震、でかい!」
「大地に封印して一千五百年が過ぎたが、やはりまだ生きていたか……」
「何。なんのこと?!」
「神魔戦争時代の邪竜が目を覚ました」
「邪竜?」
異変の原因はミル達のいる『神至の塔:下側』ではなく『神至の塔:上側』、その下にあった。
「知ってか知らずか、
邪竜を大地に縫い付けていた槍を、学生共が抜こうとしているからな。
そろそろ限界のようだ」
「槍? え? なんのこと?」
「今、我等がいる、これのことだ」
「もしかして、塔のこと?」
「そうだ」
「一キロメートル以上もある塔が、槍?!」
「これは『神至の塔』などではない。
我が邪竜ヴリトラの心臓を貫き、地中深くに縫いとめた槍だ」
「邪竜……ヴリトラァ?!」
その日、大気を鳴動させる轟音とともに大地は撓み、壑のごとき亀裂が走る。まるで、大地そのものが戦鼓となり、戦の始まりを告げるかのようである。太古に千載してなお神々によって討滅できなかった邪竜が復活する。
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