エピローグ 勇者の娘と魔王の転生者は、これから

第25話 勇者の娘は魔王の転生者と、

 晴れた日に雲の上でお昼寝したような温もりと柔らかさの中、ミルは目を覚ました。そこは自室のベッドであった。


「わ~ん、ミル、良かった~」


 タロリーがくしゃくしゃな泣き顔でミルに飛びつく。


「えっと」


 ミルはタロリーを抱きとめ、体重差があるため支えきれずに押し倒されると、窓の外を見上げた。空の青は透明度を失い、夜の吐息を浴びたようにやや暗んでいる。なら、意識を失ってから経過したのは数時間のようだとミルは判断した。


「どうなったんだっけ?」


「邪竜が復活して~大暴れしたでしょ~。

 保健室のベッドは埋まっているから軽傷のミルは自室治療なの~」


「あ、うん」


 室内にはタロリーの他に、アーシュラとベリオ、ヴリトラがいる。

 アーシュラは見慣れた子供状態だ。遠慮がないのか、アーシュラとヴリトラはミルのベッドの足元に座り、部屋にあった買い置きのお菓子を勝手に食べている。よりにもよってポテトチップスだ。非常識人達のことだから、塩がついた指でベッドに触れているかもしれない。気になってしょうがないが、先に確認することがある。


「アーシュラ、あのあと何があったの?」


「ふむ」


 アーシュラはタロリーとベリオを一瞥してからミルに視線を送る。

 言っても良いのかという確認だ。ミルは小さく頷く。

 ミルが首席卒業に拘るのなら、アーシュラの正体は隠さなければならない。だが、半日に過ぎない経験ではあるが空を飛び世界の広さを知り、邪竜の威容を目の当たりにした。だから、今更主席卒業程度のことに拘るつもりはなかった。たとえ主席にならなかったとしても、アーシュラと行動を共にしていれば、いつか父が目の前に現れるはずだ。


 要するに、魔王の悪影響を受けて、ちっちゃなことはどうでもいいやという、雑な思考回路ができてしまったのだ。


「あの時――」


 アーシュラはミルの理解がついてこられるように、ゆっくりと語りだす。

 神族の放ったミストルテインの矢は確かにミルの心臓へと直進した。


 しかし、矢が突き刺さることはない。


 ミルが着ていたのは、邪竜との決戦を前にアーシュラが「丈夫に作れ」と指示しヴリトラが魔法で作った制服だ。それは、ヴリトラの肌を材料にしている。魔剣デュランダルや穿帝弓ミストルテインと比べても遜色のない、伝説級の防具であった。下着も同様に、メイドインヴリトラで、あらゆる魔法を弾く素材だ。


 ミルの無事を確認すると、子供状態のアーシュラは、赤く小さな塊を神族に投げつけた。それは、『神至の塔:下側』の四階でブロック化していた炎だ。魔力を使い果たしていたアーシュラに行使可能な唯一の攻撃手段であった。


「神族が怯んだ隙に我はミルに駆け寄った。

 矢は刺さらなかったが、衝撃で心臓が止まっていた。

 我は心肺蘇生を試みた」


「そっか、ありがと」


「再び魔王状態になった我は神族を倒して、

 意識を失ったままの貴様をここに運んだというわけだ」


 アーシュラが淡々と要点をかいつまんで説明するので、ミルは適当に相づちを打つだけで知りたい情報を得られた。


「ん?」


 ふと、タロリーが頬を赤くしつつ目を輝かせていることに気づく。隣のベリオもソワソワとアーシュラやミルの顔を見比べている。


「どうしたのタロリー?」


「ミル~。心肺蘇生ってことは~。

 アーシュラ君とキスしたんだ~」


「んなっ?!」


「ミ、ミミミ、ミル、俺達まだ中学生だぞ?!」


「違うよ?! キスじゃないよ!

 人工呼吸でしょ?!」


「な、なあ、アーシュラ、ミルとのキスってどんな感じなんだ?」


「ストップ! アーシュラ、答えたら駄目」


「む」


「じゃあ、魔王になるって、どういうことだ。

 そっちは教えてくれるんだろ?」


「我の魔力はかつて勇者の体内に封印された。

 それが娘に受け継がれていた。

 どういうわけか我とミルがキスをすると、ミルの中に眠っている魔力が我に移る」


「じゃ、じゃあ、アーシュラは……」


 信じがたい事実はベリオを強く打ちのめしたらしい。プルプルと震えながら、アーシュラとミルの間に視線を往復させる。


「ベリオ……。

 アーシュラは本物の魔王だったけど――」


「塔の上でも魔王になっていたってことは、

 アーシュラとミルは、もう、何度もキスを」


「うむ、しまくりだ」


「言い方!」


 実際はミルとアーシュラが唇を重ねたのは最後の一度きりで、それ以前は一度も唇は触れていない。ミルの涙がアーシュラの口に入ってしまったのだ。ミルの体液に何かしらの効果がある、とヴリトラやアーシュラは気付いているが、黙っている。


「ミルとキスをすると胸が熱くなる。これが恋というやつか」


「知らない! 馬鹿!」


「なぜ我をディスる」


「デリカシーないからでしょ!」


「む。デリカシーなら学んだぞ。

 貴様をこの部屋に運んだとき、ベッドの上が下着だらけだったからな。

 他の者に見られないように片付けてやった」


「んなっ?!」


 塔での実習授業が始まる朝、ミルは着替えを悩んで、下着をベッド一面に並べていたのだ。結果として、ミルは手持ちの全下着をアーシュラに見られたことになる。


「どれも洗濯済みだった。

 汚れがないかしっかり確認したから間違いない。

 すべて丁寧に畳んでタンスにしまっておいた。

 どうだ、我のデリカシーっぷりは」


「思いっきり見てるし触ってるでしょ!

 馬鹿! 変態!」


 ミルはアーシュラに枕を投げつける。さらにベッドに立てかけてあったデュランダルの鞘を取り、アーシュラ目掛けて振る。


「それよりも」


 ヴリトラが割って入り鞘を掴んで止める。


「私はお腹が減っています。

 早く行かないとお店が閉まってしまいます」


「……はあ。分かったわ。

 着替えるからみんな外で待ってて……。

 ん? あれ、ちょっと待って」


 ミルは気絶する前はメイドインヴリトラの制服を着ていたはずだ。しかし今はパジャマを着ている。


「タロリーだよね?」


「何が~」


「お願いだから、タロリーだって言って」


「え~。何が~。分からないよ~」


「着替えのことか?

 なら、我だ。感謝しろ。

 汗をかいていたからきちんと拭いてから、ちゃんと下着も替え――」


「わあああああっ!」


 ミルはデュランダルの鞘を全力スイング。

 ドゴンッ。


「ぐふっ……。

 何故だ! 何故殴る!」


「変態! 馬鹿! 最低!」


「邪竜の私でもアーシュラ様が悪いと思います……」


「ヴリトラもいたんでしょ?! なんで止めてくれないの?!」


「いえ、私は戦場に残って、でかヴリが復活しないか見張っていたので。

 ミルミルを部屋に運んだのはアーシュラ様一人です。

 それに――」


 その先は口にしない。

 ミルが矢を喰らって意識を失ったとき、アーシュラが見せた泣きそうな顔と、悲痛な叫び声。

 神族を蹴散らした後、他のことには目もくれずにミルを抱きかかえ、不慣れな回復魔法を使ったこと。自身が最強であるが故に、魔王は回復魔法を使った経験が殆どない。孤独であったが故に仲間を回復させることもなかった。

 アーシュラは回復魔法を使っても目を覚まさないミルを大事そうに抱えて飛び去った。

 ヴリトラはそのすべてを見ていた。邪竜が復活する可能性はゼロではない。だから監視は必要だった。それくらいのこと、アーシュラだって知っているはずだ。

 しかし、我を忘れてまでミルを救いたかったのか、邪竜の監視はヴリトラを信頼して任せてくれたのか。どちらが答えか分からない。


「アーシュラ様」


 ヴリトラはじゃれあっている二人の間に割って入る。膝を曲げ、首を傾げ、上目遣いで訴える。


「ちヴィはお腹空きました」


 ヴリトラは千五百年前、アーシュラに心臓を貫かれて大地に封印された。胸に幻痛を感じているのだろうと思った。邪竜が滅びたため、胸の痛みはなくなった。

 だから、やはり幻痛だったのだろう。

 しかし。


「胸の辺りがモヤモヤしくしくします。

 お腹が減りすぎているのかもしれません」


「そうだな。

 行くか、ヴリトラ。

 じゃあな、ミル。安静にしろよ」


 アーシュラはミルに背を向けると、ヴリトラを伴い退室する。

 心配してミルが目覚めるまで待っていてくれたはずなのに、あまりにもあっさりと出て行ってしまった。


「あっ……」


 ミルは、名残惜しそうに何度も振り返るのを期待していたのだが、アーシュラにそんな素振りは一切なかった。

 閉じられたドアの向こうからアーシュラとヴリトラの声が聞こえるが、どんどん小さくなっていく。

 室内にいた最も恋愛感情に敏感な少女タロリーは、ミルやヴリトラの表情や仕草を、しっかりと見ていた。


「あれ~。ミル~。追いかけなくていいの~?」


「でも……」


「世話が焼けるな。

 俺が適当な話で二人を引き留めておくから、すぐに着替えて追いかけてこい」


 ベリオはアーシュラの名前を呼びながら小走りで部屋を出て行く。


「うう……」


「ほら~。

 アーシュラ君、鈍いから、

 少しでも一緒にいる時間を長くしないと駄目だよ~」


「そ、そんなんじゃないから!」


 と言いつつもミルは追いかける気になったので、タンスを開ける。

 実家の公爵家から持ってきた華やかなドレスと、学園に来てから購入した動きやすい服がずらっと並んでいる。


「ど、どうしよう。どれ着ていこう。これでいいかな」


「迷ってる時間ないよ~」


 ミルが舞踏会にでも行きかねないドレスを手にしたので、タロリーは阻止。


「もう~迷うくらいなら、これ~。急いで~」


「わ、分かった」


 ミルはタロリーに押しつけられた制服を慌てて着て、部屋を飛び出すのであった。

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パパ(勇者)を殴るために魔法学園を主席卒業したいのに、自称魔王転生者の転校生の面倒をみることになっちゃった。お願いだからもう問題を起こさないで…… うーぱー(ASMR台本作家) @SuperUper

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