第三章 勇者の娘と魔王の転生者は、覚醒する

第10話 魔王転生者は、スカートをめくる

 移動型学園都市ヴィーグリーズは、神々により造られた亀型の人工魔獣だ。その甲羅の上に都市と五つの学園が存在する。魔王と勇者が戦った人魔戦争よりも遥か昔、神魔戦争時代に神の軍勢の本拠地だったヴィーグリーズは、数千年の時を経て学園都市として生まれ変わった。

 都市に五つ有る学園の一つ、王立サイファングル学園の中等部は多種族共学。人間と魔族や亜人種の子弟が通っている。


「珍しいな。ミルがまだ来ていないとは」


 ツンツン黒髪の小柄な少年アーシュラ・ティエリアルは自席に鞄を置くと室内を見渡し、ミルがいないことを確認する。


「うーっす。アーシュラ」


「うむ。

 ベリオよ、我に拝謁できた喜びをもってして勉学の励みにすることを許そう」


 樽体型の少年ベリオは人間の女騎士から生まれた父なしハーフオークだが、腐らずに明るい性格をしている。同じように父なし子であるアーシュラに共感を抱いているようだ。アーシュラが尊大に振る舞っても気にせずに、話しかけてくる。


「お。ミルがまだ来てないのか。

 アーシュラ、せっかくだから人間流の正しい挨拶を教えてやるよ」


「ほう。我に教えを説くか。面白い。

 述べよ、ベリオ」


「述べさせて頂きますよ、魔王様」


 ベリオはアーシュラの正体を知っているわけではない。本人が魔王を自称するから「まあ、中学生なら誰でも魔王ごっこは通る道だよな」ということで、付きあっているだけだ。


「――というのが、人間の正しい挨拶でございます。アーシュラ様」


「なるほど。

 人間の学生は奇妙な挨拶をするな」


「これで好感度が大きく変わるからな。

 ししし……」


 ベリオはそばかす顔に悪戯小僧の笑みを浮かべる。アーシュラが人間のくせに魔王のような尊大な物言いをするから、からかってやろうというのだ。


「さっそく試してみるか」


 アーシュラはミルが教室後ろのドアから入ってきたことに気づく。三十名の生徒は大半が登校済みで親しいものと雑談をしている。

 さっそくアーシュラはミルからの好感度を上げるため、ベリオから教わった異性への挨拶を実践してみることにした。席を立ちミルの元へと向かう。


「ん。アーシュラ、おはよ」


「うむ。ミルよ。今日も美しい」


「そういうことは軽々しく言うと駄目なんだよ?」


「ふむ」


「え、何?」


 ミルが困惑して後ずさると、右側頭部で青銀色をした大きな三つ編みが揺れる。


「アーシュラ、ちょっと、近い」


「朝の下着チェックだ」


 アーシュラはミルのスカートをおもむろに掴み、捲る。真正面から堂々とごく自然に捲ってきたのだから、ミルは何をされているのか理解できずに反応が遅れる。


「えっ? ……えっ?」


「薄めの水色か。似合っているぞ」


 ミルは下着を見られたとようやく悟り、一瞬で顔が赤く染まる。一時間目に着替えてジャージになる予定だったので、普段と違い、今日はスパッツを穿いてこなかったのだ。まさか、念に数回のノースパッツ登校デイに、スカート捲りなんて奇行に遭うとは思いもしない。


「何するのよ!」


 ミルはスカートをさっと押さえて直すと、アーシュラに肘打ちを叩きこむ。


「ぐあっ!」


 アーシュラは勢いよく吹き飛び、机を二つ巻きこんで転がった。ミルは魔法剣士課程の戦闘技術で最優秀の成績を収める生徒だ。剣だけでなく、徒手空拳での戦闘力にも優れている。

 一瞬だけ教室中の視線を集めたが、殆どの生徒はすぐに興味を失った。おなじみの光景なのでクラスメイトは「またか」という反応を見せるだけで、大した騒ぎにはならない。


「貴様、珍しく我が先に登校したから丁寧に挨拶してやったのに、何をする!」


「うるさいエッチ!

 まさか登校早々のこのタイミングで見られるなんて思わなかったわよ!」


「エッチというのは不名誉な称号だったと記憶しているが、貴様、我を愚弄するか」


 頬を押さえながらアーシュラは倒れた机の隙間から立ち上がる。


「女の子のスカートをめくったら、

 愚弄も軽蔑も、されて当然でしょ!」


「世俗を知らない奴だな貴様は。

 男が女を出迎えるときはスカートを捲るものだ」


「変な常識を捏造するな!

 ……待って、アーシュラ。

 ……それ、誰に聞いたの?」


「ベリオだ」


 アーシュラが犯人の名を挙げると同時に、こっそりと前方のドアから退室をしようとしていたベリオの頭部に、ミルが投擲した鞄が命中。


「げへえっ!」


 ベリオが白目を剥いて力なく崩れ落ちる。凶行ではあったが、魔法剣士課程なので生徒のほぼ全員が荒事に慣れているし、訓練中に失神した経験もあるので、やはり大した騒ぎにはならない。むしろ、教室内からは、またベリオがやらかしたのかと苦笑が漏れている。


「今まで、男子が女子のスカートを捲っているところ見たことある?

 アーシュラはベリオにからかわれたの!」


「む。

 言われてみれば見たことないな。

 魔王を謀るとはベリオめ、軍師の才があるかもしれないな」


「アーシュラがチョロいだけだと思う……」


「すまんな。

 スカートを捲ることは好きな女性への親愛表現と聞いたのでな」


「なっ」


 ミルは不意打ちにたじろぎ、両手を胸の前で縮こまらせ防御姿勢をとってしまう。何故か二日前の変身アーシュラの姿を思い出してしまう。認めたくはないが、間近で視線があったとき、ちょっとドキッとしちゃうくらいのイケメンだった。確かに、八重歯剥きだし生意気な糞ガキ小僧顔を成長させたら、あの野性的なイケメン顔になる気がする。ミルは急にアーシュラの顔を直視できなくなり、視線を逸らして指先で三つ編みをイジイジと弄る。


「何を驚く。

 我とて、過ちを認めれば謝るくらいの度量はある」


「あ、いや、そうじゃなくて……」


「ん?」


 ミルの気勢が削がれて話は一段落。というタイミングで、新たな人物が話を混ぜっ返す。

 教室後ろのロッカーに座って、いつもの無表情じと目で傍観していたヴリトラが飛び降りる。


「アーシュラ様」


「どうした、ヴリトラ」


 ヴリトラは胸を張り脚を交差させながら、ファッションショーのような足取りでアーシュラの前まで移動する。腰の動きに合わせてスカートがふわり、ふわりと揺れる。


「アーシュラ様」


 ヴリトラは相も変わらず無表情じと目だが、甘えるような口調で主の名を呼ぶ。


「だから、どうした、ヴリトラ」


 アーシュラは、ヴリトラがスカートをアピールしながら近寄ってきた意味を、これっぽっちも察していない。スカート捲りが親愛表現なら、ヴリトラは自分のスカートも捲ってくれと、甘えているのだ。


「むう……」


 ヴリトラは頬を小さく膨らませてから、その場でターン。

 スカートがふわりと浮き、太ももが際どいところまで顕わになる。もともとお尻から尻尾が伸びているため、スカートはめくれやすいのだ。


「ストップ!」


 ミルが慌ててヴリトラのスカートを押さえる。


「なんですか」


 ミルはヴリトラの耳元に口を当て、小声で指摘する。


「パンツ見えちゃうよ」


「パンツ?」


 せっかく周りに聞こえないよう小声にしたのに、ヴリトラは普段と変わらない声量だ。


「だから、パンツ見えちゃうって……」


「私の体以外の何が見えるのですか?」


「え?」


「え?」


 ミルとヴリトラは視線を重ね、同じ方向にちょこんと首を傾げる。アーシュラはいまいち話についていけず、とりあえず間を保つために「ふむ」と口にする。


「まさかとは思うけど……。

 そんなはずないけど……」


 ミルはしゃがみ、ヴリトラのスカートの裾をつまむ。


「ヴリトラ、ちょっと、いい?」


「ええ、構いませんが」


 許可を得たのでミルはヴリトラのスカートを、他人からは見えないように少しだけ捲って、顔を突っこむようにして覗きこんでみる。


「スカートを捲ることは親愛表現とのことですし、

 勇者の娘は私のことが好きだったのですね。

 私は性別差を気にしないので問題ありません。

 女性同士ですが、魔法で子をなせるようにいたしましょうか?」


 ヴリトラはからかっているのだが、ミルからの反応はない。

 ミルはスカートをそっと戻してから立ち上がると、視線をけしてヴリトラにあわせずに、ごにょごにょと歯切れも悪くしゃべりだす。


「ヴリトラ……。パンツ、穿こ……」


「パンツ?」


「そう来たか……」


 ミルはがっくりと肩を落とす。魔族が人間文化に疎いことはままあるが、まさかパンツの存在を知らないとは思いもしなかった。ヴリトラは女子生徒の外見だけを参考にして魔法で制服を作っているので、下着を見たことすらないのだ。


「えっと、パンツというのは下着のことで……」


「見た方が早いです」


 ヴリトラはしゃがみ込み、ミルのスカートを捲る。ミルは慌ててスカートを押さえる。


「なんで!」


「なぜ、隠すのです」


「恥ずかしいでしょ!」


「恥ずかしいような物を穿いているのですか?」


「スカートを捲られること自体が恥ずかしいの!」


「おかしいですね。スカートを捲ることは親愛表現と聞いたのですが」


「だから、そこから間違いなの。スカートを捲ることは失礼だし、嫌われるの」


「人間とは難しいですね。アーシュラ様」


「うむ」


「いま私は魔法でパンツを精製しましたが、スカートを捲らないでくださいね」


「ああ、分かった」


「絶対に捲らないでくださいね」


「二度も言うな。分かったと言っている」


「ぜんぜん、分かってくれません……」


「もう、朝から疲れる……」


 ミルがぐったりと肩を落としていると、教室前のドアから教師が入ってくる。

 おふざけタイムは終了だ。

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