第23話 勇者の娘は、魔王の転生者に告白される。

「……」


 攻撃範囲外に退避していたミルは言葉を失い、アーシュラに抱きつく力を強くする。


「ふむ。

 これほどにミルがしおらしくなってくれるのなら、

 我が膺懲する前に邪竜に暴れてもらうのも悪くない」


「……」


「胸が当たっているぞ。

 いや、すまん。当たるほどなかったな」


「……」


 アーシュラはからかうが、ミルは顔を青くしたまま震え、声を発することができない。それどころか、瞬き回数は極端に減り、呼吸すらおぼつかない。竜咆哮の余波、未だ収まらず、周囲を死に神の鎌が起こす旋風のような音が包んでいる。


「む……。

 邪竜の咆哮は、間近で見るには刺激が強すぎたか」

 アーシュラは、ミルから恐怖を取り除くために精神が高揚する魔法を使った。しかし、狂戦士を生みだしかねないので、最小限の効果のみになるよう加減する。それで、ようやくみるは、形のよい唇を震えさせながらではあるが、言葉を発せられるようになる。


「……ねえ」


「なんだ」


「無理だよ。こんなの、どうにもならないよ。天変地異だよ……」


「ふむ。恐怖は正しい感情だ。

 神世の防衛拠点である神獣ヴィーグリーズすら、

 怯えて手足を引っ込めている。

 人の身なら恐怖はさらに大きいだろう。

 だが、どうする。逃走を選ぶか?

 学園都市に逃げこんでも助かりはしないぞ」


「それは……」


「見ろ。

 理性を失い本能のみで放った竜咆哮の代償だ。

 魔法で己自身を強化できなかった反動は大きい。

 体が崩壊している」


 アーシュラが指摘するように、邪竜の肩や首などから肉が崩れ落ちる。右肩からは滝のように轟轟と腐肉が流れ落ち、その重さで地面を穿つ。それにより状況が好転するわけではない。地に落ちた腐肉は泡立ち、新たに眷属の竜を生みだす池となった。

 そして、邪竜の欠損した箇所もまた泡立ち、肉が盛り上がって再生し鱗で覆われていく。


「ふむ。

 現状回復程度の再生力はあるか。

 だが、あの様子なら、竜咆哮は連発できないだろう」


「こんな化け物、どうにもならないよ」


「ミル。重要なことを忘れていないか」


「……何?」


「アレを大地に縫いとめて一千五百年におよぶ封印を施したのは我だ。

 その我に抱かれて、何を恐怖する」


「でも……。

 アーシュラ自分で言ってたよね。

 全盛期よりも遥かに力が減っているって……」


 邪竜の腐肉から誕生した竜が飛び立つ。アーシュラ達を敵と認識しているらしく、真っ直ぐに進んでくる。ミルが塔内で倒した個体と同程度のサイズだが、今のミルでは一体も倒せそうにない。それが、十、二十と数を増やし、猛進してくる。


「仕方ない。

 ヴリトラよ。五分ほど時間を稼げ。

 ミルを安全な所に置いてくる」


「分かりました」


 ヴリトラは竜を引きつけるように、雷魔術を派手に放ちつつ、アーシュラ達から離れていった。


「邪竜の累が及ばぬ所へ送ってやる。希望はあるか」


「でも……」


「気に病むな。元より人の子が抗える存在ではなかったのだ」


「……なんか馬鹿にしてる?」


「していない」


「……私が怯えているの、失望した?」


「いや。

 貴様が常に虚勢を張っていたのは知っている。

 勇者武器所有者とやらの責任感は重荷か?

 首席卒業とやらはそれほど重要な夢か?」


「う……」


「ミル。

 貴様が父親や我等と同じ景色を見たいのなら、ここが帰路だ」


「……して」


「ん?」


「励まして!

 頑張りたいから励まして! 逃げたくない!」


 ミルはアーシュラの襟元を引っ張り、顔を近づける。少女の要求に応える術がないからか、魔王は珍しく、額に汗を浮かばせ、焦った顔をした。


「むう……。

 頑張れ」


「やだ」


「……我が儘だな」


「もっと他にあるでしょ」


「貴様、女子が喜ぶ方法を魔王に考えさせるか……。

 ……む。よかろう。この戦いが終わったらパフェを奢ってやる」


「違う!」


「パフェでないというのか……!

 そうか! ミル。目を閉じよ」


「えっ」


 アーシュラはミルを抱く腕に力を込め、隙間をなくすように密着する。


「ちょっ、ちょっと……アーシュラ?」


 ミルはもっと言葉を尽くせとか、頭を撫でてくれとか、そういう意味で励ましてくれと言った。しかし、目を閉じさせるのだから、キスではないかと気づき、動揺する。


 少し前に読んだ少女漫画で見たシーンをミルは思いだしてしまった。エレベーターに取り残された少女を勇気づけるために、普段喧嘩してばかりの乱暴者の幼馴染み少年がキスするのだ。それから少女は幼馴染みのことが気になって、目を離せなくなってしまう。


「ちょ、ちょっと待って。

 私、アーシュラのこと嫌いじゃないけど、そういうことするなら、

 先にアーシュラの気持ちを言葉で教えてよ。

 そ、そうしたら、私も真剣に考えるから……。

 い、いきなりは、無理……」


「いいから目を閉じろ。世の中には言葉では伝わらないものがある」


「で、でも……」


「すぐに絶頂へと連れて行ってやる」


「や……」


 弱い拒絶の言葉を口にしつつも、淡い期待もあり、ミルは動けない。顔は好みだし、喧嘩してばかりだけど、一緒にいて不快ではないのだから、気が合うような気もしている。


 しかし、キスとなるとは話は別だ。


 アーシュラのことは好きだが、それは、友情のはず。恋愛とは、まだ、別のはず……。


 目を閉じ、数秒が過ぎた。しかし、唇に触れる感触は何時まで経っても訪れない。


 もしかしたら、アーシュラも緊張しているのだろうか。赤くなった顔を見てみようと薄目を開けかける、ちょうどその時。


「いいぞ。目を開けよ」


 ミルが恐る恐る瞼を開けると、それはまったく知らない光景。


「わっ」


 大きく開いた目に映るのは一面の青。

 地上がない。邪竜どころか、常に視界に入っていたはずのヴィーグリーズも『神至の塔』も見当たらない。

 天壌無窮ともいえる澄んだ空間に、透明な空気の層が紗幕のように敷かれ、その上に陽差しが波紋のような光環を描く。光に惹かれて視線を下ろせば、刈り取ったばかりの羊毛のように、白くてふわふわしたものが、一面に広がっている。


「ここ、空? 雲の上」


「うむ」


「あれ? 何か聞こえる」


 晩鐘のように遠く響く風の音に紛れて、チュイチュイと甲高い音が流れてくる。首だけ振り返ると、渡り鳥の群が高度を上げながらミルの前を横切っていく。鳥達は高空に浮く姿を見つけ、好奇心で寄ってきたのだろうか。一斉にチュイチュイと鳴く。

 音を遮るもののない空で、俄に始まったコンサートだ。ミルは大きく開いた目も、耳も左右にせわしなく動かした。


「鳥! アーシュラ、右! 右!」


「うむ」


 ミルは群の行き先を視線で追う。群の遥か向こうでは雲が途切れ、地平線が陽を反射し銀弧を描く。地平と空の境界は、光の神と闇の神が争い、まさに光の神が勝利したかのような、壮大な光景である。


「どうだ」


「凄い。綺麗」


「励まされたか?」


「分かんないけど、凄い!」


「今回の件とは関係なく、この景色はいつか見せてやりたいと思っていた」


「なんで?」


「貴様はよく、試験や卒業を口にしていたから、それが気になっていた。

 見ろ、世界は広い。地平の彼方にはまだ見ぬ世界が広がっている。

 この見果てぬ世界に生まれたのだ。

 戦果を上げて学園を卒業することを目標にして生きるなど、

 つまらんと思わないか?

 小さな学園で一番になって、それに何の価値がある。

 それよりも、貴様、砂漠を見たことがあるか?

 海は? 氷山は? 世界を見たいとは思わないか?」


「変なの。なんでそんなこと言うの」


「単なるお節介。

 いや、この光景が貴様を強くすると思った。

 我は人として生まれた以上、人間の女との間に子を成すのが道理。

 魔王の妻となる者は人類最強でなければ困る」


「……は?

 待って、待って、待って! 何言ってるの!」


「告白というやつだ。我が子を産めと言った」


「デリカシーゼロ!

 なんでそんなこと、今、この場で言うの?!」


「これが、ロマンティックというやつだろう」


「平然とした顔で言わないでよ。

 せめて照れながら愛の告白をしてくれないと、本気に聞こえないよ?」


「むう……」


「なんか、色々と呆れたというか……。

 気が楽になったんだけど、

 何処から何処までがアーシュラの本気で、

 いつから私、アーシュラの掌の上だったんだろう」


 ミルが視線を下ろすと雲海の裂け目から、遥か下の学園都市が見えた。火災が発生しているのか、光点が現れたり消えたりする。黒煙が尾を引く様は、まるで大地にヒビが走ったかのようだ。


「学園が!」


「うむ。眷属の竜が暴れているようだな。

 貴様が恐怖した邪竜も、空から見れば小さな点にすらならない。

 怯える必要などなかっただろう?」


「急いででかヴリを倒さないと。きゃっ」


 アーシュラが体を入れ替えて正面から抱きしめてくるので、ミルは思わず悲鳴を上げてしまった。


「震えは止まったようだな」


「ちょ、ちょっと……」


「母がな」


「母?! いるんだ?!」


「あたりまえだ。

 人の身に転生した我が、人並みに恐怖を覚えたとき、

 母はこうして抱きしめてくれたのだ」


「アーシュラが怖いものって何?」


「さて、な。それは魔王の弱点になるから教えるわけにはいかん」


「パフェ奢るから」


「たかがパフェで聖剣を超える武器を手に入れるつもりか」


「プリンやショートケーキがのってるデラックス奢るから。

 あ、それともアーシュラはサラダの方がいい?

 いつも葉っぱや根っこ食べているし」


「別に好き好んで葉っぱを食べていたわけではないが……。

 ふむ。いつものミルに戻ったな」


「アーシュラの思惑どおりみたいで、悔しい……」


「くくくっ。

 もちろん、すべて我の思い描いた筋書きだ。

 今の貴様は我と同等の魔力がある。

 我が全盛期よりも力を失っている以上、

 貴様を戦力として使わない手はない」


「そういうことは言わない方がいいよ?

 でも、なんで私に魔力があるの?」


「貴様には元々二つの魔力があった。

 一つは両親から遺伝した光魔力。

 そして、もう一つが闇魔力。

 十五年前に貴様の両親が自らの体内に封印した我の魔力だ。

 親から譲り受けたらしいな。

 普段は光魔力と闇魔力が相殺しあっているから、

 貴様は魔力ゼロになっている」


「今は闇魔力がアーシュラに移ったから、

 私には光魔力だけが残ってる?」


「そうだ。

 貴様には魔王すら切り裂いた親譲りの光魔力がある」


 アーシュラが飛翔魔法を解除し、二人は自由落下を始める。


「ちょっ、ちょっと、速い!」


「我が隣にいる。目を開けよ」


「う、うん」


「いつも跳ねて独楽のように回っているのに、高さが怖いとは驚きだな」


「高いのは別種でしょ。こんな高い所に来る機会なんてなかったんだし」


「貴様が望むなら慣れるまで何度でも連れてきてやる」


「えー」


 高度が下がるとアーシュラの魔法により落下速度も衰え、学園都市の至る所で発生している戦闘が見えた。邪竜は常に崩壊と再生を繰り返し、その都度、眷属の竜を生みだしている。ヴリトラや学園都市が奮戦しているようだが、倒した数と誕生した数に大差はないようだ。

 多くの建物が瓦礫と化している。原形を留めているものも壁は亀裂が走り、窓ガラスは割れている。見慣れた光景は、幼子にひっくり返されたおもちゃ箱のように無秩序に荒れ果てていた。

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