第9話 身体と心の満足


「詩織さんには許婚の方がいますよね?」


 影は詩織に許婚がいる事を知っているのでそれとなく正論で反論をしてみる。

 しかし影の正論は詩織の前では無力となる。


「ならその許婚から私を奪ってとお願いしたら影は私を助けてくれる?」


 詩織は影の顔に自分の顔を近づけ目を見てくる。後数センチ詩織が影の顔に近づけば二人の唇と唇が触れ合う。詩織の吐息が影の理性を奪っていく。二人だけのベッド上で部屋の電気はいつの間にか消えており、詩織の吐息、影の身体を触る詩織の手から伝わる温もり全ては詩織の思惑通りとなる。


「それは……」


 戸惑う影に詩織は更に影の心を揺さぶる。


「私は自分の好きな人と結婚してずっと一緒に過ごしたい。だからお願い」


「…………」


「ふふ。冗談よ」


 詩織はどうしていいか分からない顔をする影の頭を撫でる。

 後ちょっとで触れ合う距離の顔を少し遠ざける。


「でも影が私と結婚したいって言ってくれたらその時は真剣に考えてあげてもいいのよ?」


「ありがとう。でも毎回会う度に俺をからかうの辞めて下さい」


「ふふ。困ったらすぐに顔に出ちゃって可愛いんだもん。それに困ると黙るか話し方が敬語になるからとても分かりやすくてついね」


 詩織が満足そうに影を見ながら口元を手で隠して笑う。


「それにしても巫女達が自分達以外に素を出せる相手が、まさか年が近い男の子ってのも何か複雑よね」


「勇者の人達にも見せたらいいのに」


「それはダメ。巫女が勇者の前でしっかりしないと村の統率に亀裂が出る可能性があるから」


 影の提案に詩織はもっともな理由で断る。確かにどの村でも皆が巫女に共通して求めている一つが常にしっかりしている巫女である。しっかりしている人を見ていると安心感を得られると言えば聞こえはいいがそのせいでどの村の巫女も素の自分を隠して生きている。影はこの二年間ずっとそんな彼女達を見て可哀想だと思っている。巫女だって皆と同じ一人の女の子だ。それなのに十五歳になると同時に巫女と言う重責を背負う事を決められた運命はあまりに残酷だと思う。大勢の人間の為に心をすり減らし日々頑張る巫女。その姿を見ているからこそ影は巫女達のお願いにはとても弱く、基本自分が叶えられる事は叶えてあげたいと思う。だから未來と一緒にいた時も出来る事は全部していた。


「運命か……俺があの日過去の日本で死んで、違う世界の未来の転生者となるのも運命……」


 本人の意思とは関係なく詩織の言葉を聞いた影の口から自然に言葉がこぼれる。


「影は私達が転生者にしたことやっぱり恨んでたりするの?」


 影の何気ない一言に詩織が表情を曇らせ聞いてくる。


「そんな事はない。これでも巫女の五人には感謝している」


「本当に?」


「あぁ転生者になってこうして皆と会えたんだ。それだけでも皆の転生者になってよかったって思ってる」


 影の一言に詩織が安堵したように見える。


「ねぇ一つ聞いてもいい?」


「これは私の勘だけど。影の素はいつになったら見せてくれるの?」


 影は予想外の一言を言われて驚く。この二年間今までそんな事を言われた事もなければこの世界に来て巫女達相手でも基本は勇者達と変わらいようにしか接していないつもりだった。


「どうゆう意味?」


 影は詩織に向かって微笑む。

 その微笑みは詩織の言葉を認めての物だった。


「たまに話し方が柔らかい時があるの気づいてないの?」


「……」


「その様子から見てどうやら気づいてないみたいね」


 詩織が黙る影を見つめ話しを続ける。


「それに巫女である私達は今まで気づいていながら黙ってた事があるの。影にはあえて何も言わなかったけどこの二年間守護者達の襲撃頻度がかなり減ってると皆感じてるわ」


 影は詩織の言葉を黙って聞く。


「そう影が転生者となって瞳の村に来た日からよ。襲撃頻度がかなり減った理由は影が私達との約束以上に裏では結構動いてくれてたからじゃないの?」


「俺は何もしていない」


 影は詩織の言葉を否定する。


「なら何で五人の巫女の力を得たはずの影が未來より少し多いぐらいしか龍脈の力をいつも保持してないの?」


「それが俺の力だからだろう」


 影は詩織の言葉を否定し続ける。詩織はそんな影を逃がさなかった。本当だったら全て本人の口から話してくれるまで待つつもりだった。けど影の顔が祈りの村に来てからずっと何処か寂しそうにしている事に気づいていた。もしこのまま明日になったら影がいなくなってしまう気がしていた。だから寝る前に真実を知りたかった。詩織も影に命を救われてから色々考えていた。誰かをこの世界に転生させるには元の世界で一回死を与え、魂が死んだ肉体を放棄して新しい肉体を再構成してからこの世界に召喚される。あの日影を殺したのは私達であり、その事に薄々影は気づいているように心の中で感じていた。


「あの日私達を助けた貴方の龍脈の力は少なくとも私達五人の総量と遜色なかったわ。龍脈の中で何があったの?」


「詩織さん今日は疲れてるみたいだ。明日話すから今日は寝た方がいい」


この時、影は詩織が何かを心配している感じがした。だから一旦落ち着かせようとしたがそんな影の気持ちとは裏腹に詩織が目に涙を浮かべ、影に抱き着いてくる。


「詩織さん?」


「詩織でいい……お願い……私達の前からいなくならないで……」


 影の服を掴む詩織の手が震える。


「……あぁ」


 影は詩織を優しく抱きしめる。

 二年ぶりに感じる人肌の温もりは影の心を締め付けてくるものだった。


「影が私達や勇者達の前で人の姿にならないのは龍脈の力を探知される事を恐れてでしょ?」


 影は詩織の質問に今度は肯定で返す。


「あぁ」


 詩織の声が涙声になる。

 そんな詩織の頭を影は優しく撫でる。


「部屋に入って影の龍脈の力を探知してるけど、一向に回復しないのは回復する分だけ龍脈の力を何かに使っているからよね?」


「あぁ」


「教えて。何に使ってるの?」


「五つの村にある巫女達の結解の外に簡単には分からないように細工した探知結解と龍脈の力を使って使役した使い魔達の制御」


「それで今までの全ての出来事に巫女以上にいち早く気づいて先手を打ててたのね」


「まぁそんな所だ」


 流石詩織だと言うべきだ。頭の回転が本当に早い。影がハムスターとして生活し常に擬態して龍脈の力を完全に周りにばれないように隠していた理由に今日会って一時間程度で気づいてくるとは影の予想を完全に超えている。もしかしたら未來の同伴で数回影と会った時に気づいていたのかもしれないが。こうなった以上流石五人の巫女の参謀にして軍師と褒めるしかない。


「ならあの日未來の村が襲われる事も本当は知ってたんじゃないの?」


「あぁ。村の人間に結解は万能ではないと言う事を村の民達に身をもって教える為に俺は気づいていながら見て見ぬふりをした」


「そう……」


 詩織が何処か納得したのかさっきまで泣いていたが泣き止み、それと同時に手の震えがとまる。


「ねぇ誰にも本当の自分を見せないでキツくないの?」


「キツいよ。今も誰かに甘えたいし全てを話して楽になりないと思う」


「そのよくボロが出ながらも棘がある言葉遣いを使うのは自分に何かあった時に私達を悲しませないように距離を作る為よね?」


「あぁ」


「私じゃダメかな? 影の重荷を一緒に隣で担ぐの」


「ダメじゃないが詩織がそこまでする必要はない」


「なら私もありのままの自分を見せるから影も見せて?」


「……」


 影は戸惑う。この世界で人間の姿を見せれば見せる程、巫女達が自分の隠している真実に凄いスピードで気づいていく事に。いや影の嘘が下手なだけかもしれない。仮にそうじゃないとしても、この世界における巫女は神の信託を受けたとされている。神の力の信託を受けた彼女達からすればきっと影の嘘は最初からすぐにばれていたのかもしれない。未來は優しいから本当は影の嘘なんて最初から気づいていながら気づかないふりをしていただけかも知れないと影は思った。今まではそれでも人間の姿を皆に隠す事で誤魔化せていたと自分に言い聞かせていたがそれも限界だと知る。


「私ね本当は影の事がずっと前から好き。あの日、影に一目惚れしちゃったの。だから私に出来る事なら何でも言って欲しい。影が裏で巫女以上に頑張る必要は何処にもないから。だから本当は許婚とじゃなく影と結婚したい」


 詩織は影に自分が今まで隠して来た思いを告げる。そして影の頬っぺにキスをする。未來から影が村を出て行ったと聞いた時、もう会えないかもと思った。だから一匹のハムスターが祈りの村に入ってこようとした時、真っ先に護衛を連れハムスターがいる場所まで向かった。


 未來から影は普段ハムスターの姿に擬態して生活をしていると聞いていた事もありその僅かな希望にかけた。そして会えた。しかし影は又何処かに行ってしまいそうな予感が頭の中にあった。それは自分達の弱さが原因だと今日影と話していくうちに分かった。今まで自分達巫女は世間の前で窮屈な思いをしながら自分の役目を務め、二週間に一回の巫女会議の数時間しか羽を休めないと文句を言っていた。それは詩織以外の巫女全員がそうである。しかし目の前にいる影はそれ以上に二年間誰にも文句を言わずに巫女の為に黙って働いた。そして愚痴を言いたい時、誰かに甘えた時、たまには羽を休めたいと心で一度は願ったはずだ。詩織は巫女である自分達が一番大変な立場だと思っていた。しかしそれ以上に自分達が召喚した転生者は大変だった事を知った。


「俺は詩織や未來や他の巫女達の事も好きだよ。だから何も気にしないでいいよ」


 影は詩織の告白に対する返事を少し濁したが、詩織が自分に対する気持ちを素直に言ってくれたので影も自分の気持ちを素直に伝えた。 


 初めて聞く影の優しい言葉に詩織が目を大きくして自分の目の前にある異性の顔を見る。


「あ……違和感がない。影の声女の子みたいに高いんだね。それに言葉から優しさを感じる」


「そうかな?」


 影はびっくりしている詩織を安心させる為に手を引っ張り近くに寄せ優しく頭を撫でる。すると詩織が幸せそうに微笑む。その笑顔は一人の女の子が初恋の人と手を初めて繋ぐときのように新鮮な笑顔だった。顔を少し赤くし照れながらも目を瞑り甘えた声になる。


「うん。影本当は誰にでも優しいでしょ? それで人の気持ちに敏感だったりするでしょ?」


 詩織は甘えた声ながら自信満々に影に聞いてきた。

 きっと私はそれだけ影の事を密かに見ていたと言わんばかりな感じだ。


「自分で自覚はないけど、前いた世界でもよく言われてた」


「やっぱり」


 影はこの時自分の性格がただのお人好しな気がしたが今更分かった所で変わらないのでもしかしたら程度に頭の片隅に置き考えるのを終わられる。


「詩織もそう思うの?」


「うん。ねぇ今日はこのまま甘えたまま寝てもいいかな?」


「詩織? それは婚約者に怒られちゃうよ?」


「お願い。今日だけ特別にね……ダメ?」


 詩織が影に得意の上目遣いでお願いをする。


「分かった。今日だけだよ?」


 影は甘えん坊の詩織のお願いを一夜限りで聞く事にする。

 内心は自分が甘えたかったが男としてそこは我慢する。


「ありがとう。ならお休み」


 詩織は満足したのか影の腕の中に移動しそのまま寝る。

 影はそんな詩織の温もりを感じながら寝る。


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