第21話


 駅駐輪場に自転車を止めて駅舎に目をやると、前髪を手櫛で何度も整えている雛形の姿が見えた。

 携帯で時間を確認すると、まだ待ち合わせまでには一〇分の余裕があった。


 昨日の夜。

 連絡を待っていると、八時頃にメッセージが届いた。

 試合を見に来てくれたお礼にはじまり、途中、入力が面倒になったので通話に切り替えて、話をした。気づいたら夜も深い時間になり、切ろうとしたとき、ひと言、雛形がぽつりと言った。


『相談……。で、デートが、したい』

「ああ、その練習か」

『そ……そう』


 明日の予定を尋ねると、午前は軽めに練習があり、昼前から空いているとのことなので、駅で俺たちは待ち合わせることにした。


「よ。お待たせ」


 死角から声をかけてしまったせいか、びくん、と雛形が小さく飛び上がった。


「……ま、待って、ないよ?」


 練習するって言い出しただけあって、テンプレートな回答だった。

 ただ、ちょっとたどたどしい言い方だったけど。

 練習終わりだから制服かと思ったが、一旦家へ帰ったらしい。小さな花柄のワンピースにデニムのジャケットを着ていた。


「行こうか」

「うん」


 券売機で五つ先の駅までの切符を買い、やってきた電車に乗り込み空席に並んで腰かけた。


「部活後でよかったの?」

「うん。今日は、軽めの調整だったから」


 昨日がハードだったのと、体育館の使用時間が今日は限られるのが理由のようだ。

 ふうん、そっか、と俺は適当な相槌を打つ。


「本間さん、あのあと帰っちゃったの?」

「うん。内之倉さんの脅しが効いたんじゃないか」

「ふふふ。そうかも」


 隣で静かに雛形は笑う。

 雛形の私服、ちゃんと見るのって小学校のとき以来じゃないか?

 話そっちのけで、ちらちらと見てしまう。

 昨日は柔軟剤のにおいがしたけど、今日は謎のいいにおいがする。


「部活終わりなら、制服のままでもよかったのに」


 そっちのほうが面倒がないだろう、と提案したら、首を振られた。


「……汗かいたあとだし、シャワー、したいから」


 恥ずかしげに言うせいで、シャワーシーンを想像してしまった。


「そ、そっか」

「それに……デート、だから」


 なんか俺まで恥ずかしくなってきた。


「それこそ、制服でもいいような」

「最初は……きちんと、お気に入りを着て、待ち合わせしたかったの」


 ほう、とフクロウのような相槌をして、ふと気づく。

 最初は――ってことはデート練習を何回かやる気なのか……?

 そのつもりだってことか?


「でも、制服デートも、あり」


 ありらしい。


 それから二〇分ほど無言のまま電車に揺られ、目的の駅に到着し、改札を出た。

 ロータリーには乗客待ちのタクシーが数台止まっており、バス乗り場で列を作っている人たちが目に入る。

 ショッピングや遊びに行くとすればここ、と誰もが思い浮かべるほど、近隣中高生からは聖地並みの扱いをされているこの駅前は、今日も賑わいを見せている。


 俺の記憶が確かなら、この駅前って誰かしらに会うんだよなぁ……。


「雛形、いいのか」

「?」

「……その好きなやつに目撃されて、もし勘違いされたら」

「勘違い?」

「だから……俺たちが、付き合ってるって……いう、勘違い」


 全部言わされると思わなかったので、語尾はかなり小声になった。

 考える間もなく、雛形は答えた。


「大丈夫」


 ずいぶんとはっきり言うなぁ。

 まあ、そいつが部活で忙しいなら、休みの昼間にこんなところにいるわけもないか。

 鵜呑みにした俺は、昼ごはんを食べるため、近くの商業施設を目指す。

 テナントにカフェが入っていたりフードコートがあったり本屋さんや服屋さんもあり、老若男女が困らない施設となっていた。

 本当は、もっとオシャレなカフェにしたほうがいいのかと迷って訊いたら、そこでいい、と雛形が指名したのだ。


「その後、アイツと進展はあった?」

「アイツと進展……」


 尋ねると、ううん、と困ったように雛形は唸る。

 好きな人はいない。彼女もいない。で、怪我をしてて試合に出られないっていうのは聞いた。


「他校の人だろ? ちゃんとアピってかないと他の女子に獲られるんじゃ……」

「他校?」

「え……違うの?」


 うん、とうなずいた。


「違うの?」


 うん、ともう一度うなずいた。


「……え、違うん?」


 関西弁で尋ねても反応は同じだった。


「学校、一緒」


 ぐぐぐ、と範囲が一気に狭まった。


「そ、そっか……」


 な……何で俺がドキドキしてんだよ。

 商業施設の飲食店フロアにやってくると、比較的空いているカフェにやって来て、同じランチ限定メニューを注文した。


 ……俺の可能性……まだ生きてるぞ……?

 他校の人っぽかったから、俺じゃねえなって思ってたら。


 セットメニューのサラダが出されると、お互い無言のままフォークで突き刺す。スープとメインのオムライスが運ばれてきて、やっぱり無言のまま食べる。


「……」


 好意的に……かなり好意的に解釈を広げるなら、怪我をして試合に出られないってのは、俺にもあてはまる。


 え。もしかして俺のこと?w ――ってな具合に訊けるような軽さは俺にはない。


 彩陽や本間みたいに、「なわけないじゃーん」とか「先輩、自意識過剰すぎです。ふふふ」みたいな反応をしてくれるのなら、まだ言いやすい。

 勘違いを笑ってくれて、空気が軽いまま終わってくれるだろうから。

 けど雛形は、「違う」ってばっさり斬って、空気が秒で重くなりそう。


 となると訊けねぇ……。


 小学生以来の距離感と、恋愛相談をされているのが相まって、勘違いできる要素が増えたせいだ。

 俺だった――なんてそんな都合いい展開、まあさすがにないか。


 先に食べ終えた俺がじいっと考えていると、雛形がスプーンでオムライスをひと口分すくう。


「……食べる?」


 ずいっとスプーンを差し出してきた。


「え。い、いや、いいよ!」

「……食べたそうだったから」


 握ったスプーンが小刻みに震えている。

 よく顔を見ると、恥ずかしそうに目をそらした。

 あーんの練習ってこと?


 三〇席ほどある店内をそれとなく見回す。当たり前だけど、誰も俺たちのことを気にかけてない。


「じゃあ、ひと口だけ」


 食べるなら今のうちだ、と俺は出されたスプーンをくわえた。


「……どう?」

「照れくさい味がする」

「隆之介、顔、赤い」

「……おまえもな」


 はにかんだ笑みをこぼした雛形は、続きを食べはじめた。

 水が入ったグラスを口に運ぶと、いつの間にか空になっていて、それに気づいた雛形が控えめに笑った。


 本当ならもっと男側がプランを考えたほうがいいんだろう。このままじゃ、服装と場所が変わっただけで、いつもと変わりがない。


 今さらだけど、デートって何すりゃいいんだ……? これ、練習になってるのか?

 考えているうちに、雛形が食べ終わり、俺たちは店をあとにした。

 施設をぶらぶら歩くけど、どこへ寄ればいいのかわからない。

 これじゃ、ただ歩いているだけだ。


「あんま、慣れてなくて……悪い」


 エスカレーターの一段上で、俺は顔を直視せず目をそらしながら言った。

 横目で雛形を見ると、ふるふる、と首を振っていた。


「ううん。楽しい」


 ほんとに? そう思たのが顔に出てたんだろう。雛形は笑顔でうなずいた。


「本当だよ」








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