第10話
なくはない――。
なくはない……。
雛形が好きな男は、俺の可能性、ワンチャンある……。
昨日の夜から、そのことだけが頭の中をぐるぐると回っていた。そのおかげで今日は相当な寝不足で、眠れたのは明け方だったと思う。
むしろ、いつも通りの時間によく起きれたなと自分を褒めてやりたいくらいだった。
制服に着替えてダイニングに向かうと、テーブルには母さんの書き置きと朝飯が置いてあった。
弁当がないぞ、弁当が。
まあ、今日は食堂行くか購買で適当に何か買うことにするか。
食事と準備を済ませ、足早に家を出る。人も車もたまに通りがかる程度の道で、見晴らしがいいため、たまに雛形らしき女子が遠くを歩いているのが見えることがあった。
けど俺が家を出るのが遅かったせいか、今日は見当たらない。
すると、自販機の奥に人影を見つけた。
こっちを窺ったと思うと、すっとまた陰に隠れた。
「……雛形?」
道からは見づらいところに彼女は立っていた。
「遅刻するぞ?」
「え。ああ、うん……」
とくに何かあったわけではないらしく、俺が歩き出すと隣に並んだ。
「おは……おはよう」
「おはよ。あんなところで何してたんだよ」
「えと……」
……俺を、待ってた、とか?
いや、考え過ぎだな。いつもそんなことしないし。
ワンチャンあるっていうことに気づいてしまってから、雛形の行動の中に俺への好意を探してしまっている気がする。
「お母さんが、昨日の残り物だけどよかったらって……」
鞄から青いハンカチに包まれた弁当を出して言った。
「おぉ。助かる!」
母さんが夜勤の日は、弁当作り忘れがちなんだよな。……っておばさんに言ったことあったっけ。
「母さん、夜勤の日はよく忘れるから」
「うん。前、それ言ってたのを思い出して」
昼食代が四〇〇円だとしても、それが浮くってのはありがたいもんだ。
お礼言っておいて、と俺は雛形に頼んで、このことについてはとくに気にすることなく、二人で登校した。
「今朝、自販機のところで何してたの?」
「えっ……」
昼休憩に入り、俺と雛形はどちらも移動することなく自分の席で弁当を広げた。
机を前後にくっつけたり、前の席を借りてひとつの机で食べたり、隣同士なのでそんなことをする必要がないのもあり「一緒に食べてる感」はあまりない。
今日も杉内はどこかに行ってしまい、気づくとすでに教室にはいなかった。
それはそれでちょっとだけ寂しいというか……。
雛形の友達の内之倉さんも然り。
何の気なく尋ねた俺は、二段重ねの弁当を分離させ、蓋を開ける。
言葉に詰まったままの雛形は、右に左に、視線を右往左往させていて、返答に困っていた。
「ああ、別に大した意味はないから。どうしたんだろうって思っただけで」
「たまたま」
だよな。うんうん。そりゃそうだ。
「……」
たまたま……自販機の陰に隠れるってどういう状況だ?
いや、これ以上深くは聞くまい。
男子が気安く触れてはいけない話だったら困るし。
「涼花が朝、りゅーくん今日来るの? ってずっと訊いてきて――」
思い出し、くすりと笑う雛形が広げた弁当をつつく。
その弁当と俺の弁当を見比べてみると、中身は一緒だった。
唐揚げ、卵焼き、ウインナー、ブロッコリーを茹でたもの……。
でも、残り物だって話だったよな……?
昨日はこれらは食卓に並んでいない。
母さんもそうだし、おばさんの弁当もそうだ。
作り慣れてるから冷凍食品っぽいものが多いのに、今日に限ってそれがない。
卵焼きを箸でつかみ、口に放る。
なんかちょっと濃ゆいけど、ご飯に合う。
「……」
心配そうな目で雛形は俺を注視していた。
「どした」
「ううん。何でもない」
「……なあ、これ」
びくん、と肩をすくめた雛形が、恐る恐ると言った様子で尋ねた。
「な、何」
「美味しいっておばさんに言っておいて」
「う、うんっ! お、お母さんに、言っておく!」
頬を上気させ、ぱくっと嬉しそうに卵焼きを食べた雛形。
「りゅ……殿村くんに、ひとつあげる」
卵焼きの残り一個を俺の弁当に置いた。
「おう、ありがとう」
他のおかずも、こんなふうに感想をこぼすと、雛形はおかずをひとつ分けてくれた。
おばさん、女子と男子の違いがわかってねえ。女子と同じ量を作られても物足りないんだ。でも、雛形がそれを察して?おかずを分けてくれるので、不足することはなさそうだった。
「涼花も、彩陽も、殿村くんに会いたがってるみたい」
妹を理由に俺を家へ呼ぼうとしている、と聞こえなくもないし、この弁当も自分で作ったように感じなくもない――「ワンチャン俺の可能性もある」って思ってから、そんなふうに勘違いするようになってしまったらしい。
二年になって久しぶりに同じクラスになった幼馴染は、俺のことが好き――。
そりゃちょっとファンタジーだろう。
「彩陽は別にいいけど、すーちゃんが待ってるってなると、行かざるをえねえ」
「殿村くん、やっぱり涼花に甘い」
「一人っ子だから雛形姉妹がちょっとうらやましいんだよ」
「うるさいだけだよ?」
とくに彩陽がな。ていうか、彩陽だけがな。
「ないものねだりってやつで、俺にはそれがいいんだよ」
「そう?」
彩陽とすーちゃんの姉ってのも、なってみればそれはそれで大変なんだろう。
雛形より早く弁当を食べ終えた俺は、手を合わせてご馳走さまをする。
「ごちでした」
「お粗末様でした」
無表情を笑顔に変えて、お弁当こっちで洗うから、と雛形は空になった弁当箱を回収した。
至れり尽くせりでなんか悪いなと思うけど、幼馴染の距離感って本来こういうものなのかもしれない。
何気なく家に行ったり、夕飯をご馳走になったり、朝一緒に登校したり。
席を立ち、トイレに向かう。
小学生の頃は、似たようなことをしてお互いの家を行き来していた。中学生になってからは、野球部とバスケ部に入って、どっちも県内でも強いほうの部活だったからそれなりに厳しくて、疎遠と言わずとも、接する機会は格段に減った。
俺のほうは、厳しい部活ってやつが去年の一二月までそれが続くんだけども。
「いい感じじゃん」
手を洗っていると入ってきた杉内が後ろを通り過ぎた。
「何が」
「雛形さん」
「雛形が、何?」
「踏まれたい、蹴られたい美少女ナンバーワンの雛形さんが、おまえとしゃべっているときは、なんか雰囲気違うから」
変なイメージ持ってんな。こいつ。
頼めば不思議そうな顔して蹴ってくれそうだけど。
学校の雛形は、あまりしゃべらないし無表情がちだからそういうふうに見えるのも、わからなくはない。雰囲気が違うように感じるのも、そのギャップのせいだろう。
「雛形に蹴られたいのか?」
半目で用を足している杉内に目をやると、皮肉そうな笑みを浮かべた。
「まあな」
何だその顔。
トイレをあとにすると、見慣れない三年の男子がうちのクラスに入っていくのが見えた。
不思議に思って中を覗くと、雛形に何か話しかけているところだった。
確か、サッカー部の人。
教室内は変に静かで、俺と同じく中の生徒みんなも、さりげなく会話に耳を傾けているのがわかる。
はっきりと会話は聞こえないけど、雛形の表情が、少し緊張している。
「何の話?」って、割って入れるような度胸は俺にはなかった。
「何してんだよ、早く入れよ」と振り返った先にいた杉内に言われた。
「今ちょっとあれだから」
「あれって何だよ」
いいから。何がいいんだよ? とやりとりしているうちに、その三年が教室から出ていった。
室内までやや緊張していたのか、空気がふわっとゆるんだ。
中に入って席に戻ると、雛形は次の授業の準備をしていた。
「あー。あの、雛形」
「?」
ああいうシーンを、間近に見るのははじめてだけど、十中八九そうだろう。
「こ、断るんなら……別に、この場で断っても、いいと思う」
「何が」
「だって、おまえには、その、好きな人が、いるわけで……」
何で俺のほうが緊張してんだ。
「放課後呼び出されたんだろ?」
「うん」
やっぱり。
「話があるって」
たぶん、それはあれだろ。あれしかないだろ。わざわざ二年の教室に来て、雑談なんかしねえよ。
表情を見ても、不思議そうにするだけで、あまりわかってなさそうに見える。
「この鈍感女」
「隆之介には、言われたくない」
「何でだよ」
つん、とそっぽを向いた。
何だその反応。
「もう、茶道室前に行くって言ってしまったから、行く」
どこか意固地になっているような言い草をする雛形。
「行くな」そう言えたらよかった。
でも、俺にそんな権利はない。それが少し悲しかったし、言ったところで雛形が従う義務もない。
断ることはわかっているけど、モヤっとした気持ちになるのは確かだった。
どうしてモヤってしているのかもわからなくて、余計にモヤってした。
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https://www.youtube.com/watch?v=-L8CjReIkkI&t=139s
ヒロインの雛形栞を演じてくださるのは
ウマ娘のサイレンススズカ役やリゼロのペトラ役などをご担当されている高野 麻里佳様です。
最高なのでぜひ一度聞いてみてください!
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