第16話


「公園で二人乗りの練習、したよね」

「小学生のときな」


 最初の何度かは荷台から落ちた雛形は、めちゃくちゃ泣いてた。


「隆之介が、下手っぴだから」

「え、俺のせい? 雛形が暴れるからだろ」


 無言になると、腰に回された腕がきゅっと締まった。


「隆之介のせい……」


 当時の話じゃなく、別の何かのことを言っているのだとわかった。


 あてもなく自転車をこぐ。

 かなりゆっくりなので、もう歩いてるほうがいいんじゃないか。

 そう思って口にすると、


「それは違う」


 きっぱりと言われた。よくわからないけど、違うらしい。


 田舎町だけあって、夜のゴールデンタイムに外を出歩く人は誰もおらず、歩道は貸し切り状態。交通ルール違反を咎められることもなかった。


「あ、小学校」


 ふと目についた懐かしい校舎は、まさしく俺と雛形の母校だった。職員室にだけ明かりが灯っており、校舎内は真っ暗だった。


「行きたい」

「さすがに入れないだろ」

「校舎は入れないけど、グラウンドなら入れる」


 半信半疑でやってくると、雛形の言う通り校庭とグラウンドに入れた。

 物騒な気もするけど、それだけ治安がいいってことなんだろう。


 グラウンドは当時から変わっておらず、少年野球用のバックネットがあったり、バスケットゴールがあったり、ブランコがあったり、シーソーがあったり、今では小さく感じるそれらに懐かしさを覚えた。


 入口に自転車を止めて堂々とグラウンドに入ると、体育用具室の前にしまい忘れたらしいボールがひとつ転がっていた。

 隅にきちんと置いてあるあたり、あえて「しまい忘れた」ボールのような雰囲気だ。


「ボール」


 手にした雛形は慣れた手つきでボールを弾ませる。テン、テン、テン、と静かなグラウンドにバウンドの音がよく響いた。


「イチイチ、しよ」

「いいよ、やろうか」


 イチイチというのは、当時からずっと雛形が使っているワンオンワンの呼び方だった。


「くらちゃんは、杉内くんにジュース奢ってもらったみたい」

「賭けるか、ジュース」

「のった」


 コートは幸いにも職員室の明かりに照らされており、真っ暗で見えないなんてことはなさそうだ。

 嬉しそうに走り出した雛形は、コートまで走り華麗にレイアップシュートを決める。


「……」


 軽い気持ちで受けたけど、勝てるかな……。

 男としてのプライドがへし折られないか心配過ぎる。


「部活終わりのヘトヘト少女には負けられねえ……」


 せめてカッコがつくくらいの善戦はしたいところだ。


 5本先取。負けたらジュース。じゃんけんで先攻後攻を決め、勝った俺は先攻を選んだ。


「女子にはないパワーとフィジカルを見せるときが来たらしいな」

「隆之介、積極的に負けフラグ立ててる」


 こいつ……。

 向かいに立った雛形にパスし、それが返ってくる。

 俺のターン開始。

 ダン、ダン、と雛形の手の届かない位置でドリブルしながらゴールを目指す。


 それが仇となったらしく素早く懐に入り込まれ、ベシ、とボールを弾かれた。


「ふげ!?」


 テン、テン……、とボールが転がっていった。


「ぷすす……ふふ……伏線の回収、早……」


 どうにか堪えているけど、雛形、大爆笑だった。


「おまえな……素人に花を持たせようっていう計らいはねえのかよ」

「勝負は、非情」


 ああそうかよ。

 ボールを取りに行き、戻ってくると今度は俺が守備側。

 雛形からボールをパスされ、それを返す。


 スキップするように一度大きくボールを跳ねさせると、一気に低い位置でドリブルを雛形ははじめる。


 こいつ、ガチだ!

 慌ててついていこうとした俺が進行方向を遮ると、軽やかにターンをしてシュートコースを作る。

 シュートを放った瞬間、俺の伸ばした指先がボールに触れた。

 ボールはリングとボードにぶつかり、下へ落ちてくる。


 安心したのもつかの間。

 リバウンドを拾うため同時にジャンプすると、ポジションが悪くてもどうにか奪えた。

 あ、あぶねー。

 身長差があったからよかったけど、少々高い程度なら負けてた。


「幼馴染よ、おまえにフィジカルが何なのか、教えるときが来たらしいな」

「ずるい……。フィジカル以前に、隆之介と私、一〇センチ以上も背が違う」

「勝負は、非情なんだよ」


 むう、と膨れると、鞄の中から部活着のハーフパンツを取り出し、スカートの下に穿いた。


「ガチだ」

「今日は、見えたらダメなやつだから」


 雛形、その言い方だと、見えてもいいやつがあるように聞こえるぞ?


 ガチモードに入った雛形の守備力は高く、素人の俺にシュートも打たせない。

 俺は俺で奮闘したけど、三本のシュートを決められた。そのあたりで、もう息は上がっていて、もう負けでいいような気すらしてきた。

 そんなふうに気持ちが折れたのを表すように、残りをあっさり決められ、俺の完封負けとなった。


「ジュース」

「わかったって」


 ひーこら言っている俺と違って、雛形は息ひとつ上がっていない。さすが本職……。


「女子にがっつりプレッシャーかけるのも気が引けるっていうか」


 男子にない女子特有の柔らかさ、とでも言えばいいのか、体がぶつかるたびに、それを意識させられてしまい、若干遠慮してしまった。

 まあ、負け惜しみだけどな。


「……女子?」


 雛形が自分を指差したので、俺も指差した。


「おまえだよ、おまえ」

「……嬉しい。女子扱い」


 照れたように、雛形はうつむきがちに唇を甘噛みしている。


「おい! 誰だ。そこで何してる――――?」


 話し声やバスケの音が職員室に聞こえていたらしく、先生が一人出てきた。


「あ、やべ」


 俺は走り出し、きょとんとしている雛形の手を掴む。


「行くぞ」

「え、あ、うん」

「待ちなさい!」


 と、先生が追いかけてきた。


「怒られる……?」

「たぶん――捕まればな!」


 この小学校の卒業生なんですー、なんて言って「そうだったのか、ハハハ」ってな感じの和やかモードで終わりそうな口調じゃない。こんな時間に遊んでいる生徒を叱るって雰囲気だった。


 自転車までやってきて、鍵を閉め忘れていたことが幸いし、すぐに雛形をのせて漕ぎだすことができた。

 さっきとはまるで違うフルパワーでペダルをこぎ、一瞬にして先生の足音と声は遠ざかった。

 もちろん、二人乗りを注意する言葉も飛んできた。


「あ、あぶねー」


 ぜえはあ、と息を整えながら俺は言う。

 色んな意味でドキドキしている心臓を落ち着かせようと、何度も大きく呼吸した。

 すると、後ろで雛形が弾けるような笑い声をあげた。


「あははっ。怒られるかと思った!」

「何がおかしいんだよ」


 言いながら俺も笑っていた。


「だって、隆之介の、顔、真顔で、おかしくて」

「人のシリアス顔を笑うんじゃねえ」


 あははは、と珍しく声に出して雛形は笑う。


「はぁーおかしい」


 大好物を食べて「はぁー美味しい」と言うような満足げなつぶやきだった。


 またぎゅっと腕が腰に回される。くすぐったいような、心地いいような、不思議な気分になった。


「隆之介と、放課後デート」


 少しドキりとしながらも、何でもないように返事をする。


「ずいぶん遅い放課後だけどな」

「明日は、ジュース、おごって? その次は、部活が休みの日に、町に出かけて――」


 大笑いの様子から、今の雛形はかなりテンションが高いらしく、普段言わないような要望を口にしていった。


 それで俺は別に構わない。

 でもおまえは、俺じゃない別の誰かが好きなんだろ?


 そう口にしかけたけど、喉の奥に押し込んだ。






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書籍版もよろしくお願いいたします。

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