第15話


 チリチリ、と杉内が押している自転車が小さな音を鳴らす。


「本間? ああ、あの本間ちゃん?」


 と、名前を出すだけで誰かすぐに杉内は思い浮かんだらしい。


「ウチに入ったのか。へえ」


 まあ、普通はこの程度のリアクションだよな。


 あのあと、雛形が無言のまま部活に行き、教室に取り残された俺に、杉内からメッセージが届いた。

『まだ学校だろ? チャリでそっち行くから待っとけ』というので、それを受信してから一五分ほどで学校に制服姿で現れたのだ。


「何でまたバッセンなんて」


 バッティングセンター。略してバッセン。最寄りのもので、隣町まで行く必要があるから自転車で二〇分くらいはかかる。


「どうせ暇だろ?」


 まあそうだけど。

 誰も見てなさそうなところで荷台に座り、杉内に漕いでもらう。


「可愛いよな、本間ちゃん」

「まあなー」


 アイドル予備軍みたいな容姿をしていて、雛形と肩を並べるくらいうちの中学では人気だった。もしかすると、塩分多めの雛形より、分け隔てない人付き合いをしていた本間のほうが人気だったかもしれない。


「内之倉さんにジュースもおごれなかった杉内に、バッセンの金なんてあるのかよ」

「手持ちがなかったってだけで、あるところにあるんだよ」


 こいつもこいつで、内之倉さんを待つ間は暇だから、暇つぶしに俺を付き合わせようって魂胆のようだった。


「久しぶりだろ、バッセン」


 まあなーと俺は気のない返事をした。


 自転車の荷台に乗ってしばらくして、目的地に到着した。座った荷台の痕が尻につくんじゃないかと心配になったが、放っておけば元に戻ってくれるだろう。


 古い施設には管理人のおじさんが一人いるだけで、客は俺と杉内だけしかいない。


「さっそくやりますか」


 打席に入った杉内を、その後ろのベンチに座って眺める。


「うわ」とか「シクった!」とか、一人でもうるさい杉内に、会心の当たりはなかなか出ない。


「本間ってどんなやつ?」


 ピッチングマシンのアームがボールをのせてビュンと回る。


「え、誰かさんのことが好きって話が――って今訊くなよ!」


 ファールチップになった打球がネットに受け止められ、杉内の足下をてんてんと転がった。

 やっぱその噂って本当なんだな。


「左打席、空いてんぞ」

「しゃーねーな」


 腰を上げて上着を脱ぎ、バットを手にして杉内の隣の打席に入る。一〇〇円を二枚機械に入れると、ウゥン……とマシンが小さく唸り、投球開始の赤いランプが灯る。


 バットの重みと打撃の構えが、妙に懐かしく感じる。

 まだ離れて三か月ちょっとだっていうのに。

 初球。タイミングが合わず空振りすると、杉内がケタケタと笑った。


 二球目。スイングすると、バシン、と軟球特有の打球音が響く。捉えた打球は、投げ込まれた方向へ角度を変えて飛んでいった。


「本間ちゃんがうちに入学したことはどうでもよくて……殿村は、さほど野球強くないうちに、何で来たの?」


 終わった杉内が、ネット越しに尋ねてくる。


「……近いから。大事だろ、距離は」

「まあな」


 俺がしたような気のない返事をした。

 杉内の所持金がなくなるのは早かった。

 バッティングに数百円。そのほか、併設されているゲーセンのUFOキャッチャーにかなり注ぎ込んだのがその原因だった。

 当然のごとくぶつくさ文句を言う杉内を宥めながら、来た道を戻った。




 学校に戻ったころにはもう夜七時になろうかという時間だった。


「栞は、まだいると思うよ」


 出くわした内之倉さんがそう教えてくれた。


「うっちー、後ろ、どう? ちょうど、チャリあるし……お、送る、よ……?」


 くいくい、と杉内が荷台を親指で差す。

 ああ。こいつ、それが目的だったのか。


「ごめん。私二人乗りできないんだ」

「そ、そっか……」


 杉内の目論見は一瞬にして砕かれた。

 ドンマイ。

 やってみれば簡単だけど、たまにいるよな、後ろ乗れない人。


 すたすた、と去っていく内之倉さん。そのあとを、チリチリチリと車輪を鳴らしながら自転車を押す杉内は追いかけはじめた。


 何を思い立ったのか、自転車を駐輪場に停めた。


「これ! 返せよ!」


 もやはただの荷物と化した自転車の鍵を投げて寄越した。


「別にチャリなんて要らな――」


 鍵をキャッチしたときには、内之倉さんを追いかけた杉内は、もうずいぶん遠くにいた。

 このまま駐輪場に置いといて、鍵は明日渡せばいいか。


「慌ただしいやつ……」

「何が?」

「うおっ!?」


 隣を見ると、いつの間にか雛形がいた。


「隆之介、今日も、待っててくれたの?」

「……待ってたっていうより……待つのに付き合わされてたって言ったほうが正確かも」

「ふうん」


 不機嫌モードは解除されたのか、雰囲気が柔らかかった。


「杉内がチャリ貸してくれたんだけど、乗る?」

「二人乗りは、交通ルール違反」


 言うと思った。


「じゃ、普通に帰るとするか」


 鍵をポケットにしまって歩き出すと、制服の裾を引っ張られた。


「二人乗りは交通ルール違反」


 NPCか何かみたいに同じセリフを繰り返すなよ。


「ああ、うん。さっき聞いた」

「……後ろ、乗りたい」


 乗りてぇのかよ。

 たぶん、雛形は後ろに乗れたはず。小学生のとき、遊びで何度かやったから。


「こっそり、静かに、バレないように……」

「わかったって」


 自転車まで歩きながら、家までの人通りが少ない道を考える。

 カシャンと解錠して自転車に跨った。校門を出てしばらくしたところで、雛形の鞄を預かりカゴ

に入れた。


 荷台に座ったことを確認すると、ゆっくりと自転車を漕ぎ出す。

 なるべく車も人も通らない道を選ぶと、街灯もまばらでめちゃくちゃ暗い道を進むことになってしまった。


 何も言わない雛形は、まだ制服の裾を握っている。


「も」


 も?


「もうちょっと、ゆっくりで……」


 怖くてしゃべれなかっただけだったらしい。


 要望に応えて、のんびりとペダルを漕ぐ。バレたらバレたで、俺がそそのかしたってことにすりゃいいか。

 雛形家がもう間もなくという距離になると、裾から手が離れ、腕が腰に回された。


「……もう、家、着くね」


 雛形家の明かりが見える距離まで来ると、背中から温かさを感じた。

 首だけ振り向いても顔が見えない。どうやら、頭を俺の背中にくっつけているらしい。


「もっ……」


 も?


「もっ……う少し……このままで、いい……?」


 雛形家を通りすぎ、自転車は夜道を進んでいった。




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https://www.youtube.com/watch?v=-L8CjReIkkI&t=139s


ヒロインの雛形栞を演じてくださるのは

ウマ娘のサイレンススズカ役やリゼロのペトラ役などをご担当されている高野 麻里佳様です。

最高なのでぜひ一度聞いてみてください!

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