第17話


 駐輪場の関係で、徒歩二〇分圏内とされる地域に住む生徒は自転車通学禁止となっていて、うちも雛形家もその二〇分圏内とされていた。


「ま、杉内にはうちに取りにこさせりゃいいか」


 車庫の脇に停めていた自転車を、迷ったあげく置いていくことにして、雛形家へ向かう。


 いつもよりも早く起きたので、今日は少し眠かったけど、雛形家のチャイムを鳴らすとその眠気も吹き飛んだ。


「殿村です」

『りゅーくんだ!』


 ガサガサと雑音がすると、『はい、すーちゃん、これ乗って』と、彩陽の声がする。


『んっしょっと』と可愛らしいかけ声がすると、さっきの数倍の音量で挨拶された。


『おはよう、りゅーくん!』

「おはよう」

『ちょ、何で、出てるの』

『しーたんが、おそいから』

『私は、準備してただけで……遅いわけじゃ』

『いいじゃん、そんくらいさー』


 朝から賑やかな姉妹の会話がインターホン越しに聞こえてくる。


『りゅ、隆之介、すぐ行く。待ってて』


 通話を切ると、一分ほどで雛形が玄関から出てきた。

 ここから見える窓では、すーちゃんが手を振っていたので、俺も振り返しておいた。


「待たせて、ごめん」

「ううん。そんな待ってないし」


 今日は美化委員の当番の日。

 花壇の水やりは朝と決まっており、ほんの少し家を早く出る必要があった。

 ……といっても、水やりは一〇分もあれば終わるので、朝はそこまで早くなくていい。


 昨日、明日は当番だから一緒に行こうと俺が提案したのだ。


 意外そうな顔をした雛形だったけど、ふたつ返事でうなずいてくれた。


「昨日、夜遅かったけど、おばさんに怒られたりしなかった?」

「ううん。部活、遅いときはあれくらいになるから」

「そっか」


 ただ、俺が漕ぐ自転車に乗っているのを彩陽に見られたため、何をしていたのか、ずっと質問責めだったらしい。


「『ねーちゃんばっかズリー!』って、ずっと言ってて」

「目に浮かぶ」


 ちっちゃいときは、三人で遊ぶことも多かったので、彩陽も幼馴染といえばそうだった。


「バスケには付き合えても、空手にはさすがに付き合えねぇな」


 あいつ、結構強いらしいし。


「あの……隆之介……これ」


 ごそごそと鞄を漁った雛形は、弁当を取り出した。


「……おばさんが作ったの?」


 一瞬迷ったような間があり、雛形は首を振った。


「……わ、私が、作り、ました」


 たったそれだけなのに、酷く緊張したようだった。


「もう嘘はつかないんだな」

「くらちゃんが、バラしちゃったから」


 今日は母さんが作った弁当もあったけど、俺はお礼とともに受け取ることにした。


「どうして、今日、うちに来てくれたの?」

「自販機の陰で待たせるくらいなら、このほうがいいかと思って」


 ぼっと雛形の頬が染まった。見られまいとして顔を背けてつぶやいた。


「ま……待ってない。あれは、たまたまで……」

「じゃあ、そういうことにしておこう」




 学校にやってくると、用具倉庫からジョウロをふたつ取り出し、ひとつを雛形に渡す。

 揃って水道で水を汲んだ。

 運動部が水を飲むときによく利用する水道で、夏になると頭を濡らして涼を取ることもあった。


「先輩方、おはようございます」


 声に振り返ると、ニコリと笑っている本間の姿があった。


「よお、本間。おはよ」

「本間さん、おはよう」


 先日は殺気まで滲ませた雛形だったけど、今日はご機嫌な挨拶を返していた。


「雛形先輩、何かいいことありました?」


 引き結んでいた雛形の口元が徐々にゆるくなる。


「……いいことは、別に、ない」


 嘘が下手な人がここにいた。


「そうですか?」


 不思議そうに首をかしげる本間に、雛形が言った。


「この前は、態度悪かったと思う……ごめんなさい」


 いえいえ、と慌てて本間は両手を振った。


「気にしないでください。わたしも、先輩を見つけたのが嬉しくて、はしゃいじゃって……」


 いやいや。いえいえ。と二人はペコペコと頭を下げる。


 俺が知らないだけで、実は仲が悪かったんじゃ? ――なんていう邪推をしたこともあったけど、杞憂に終わってよかった。


 同じ委員でもある本間に、先輩委員としてあれこれと教えていく。美化委員一年生の雛形は、メモまで取りはじめた。


 やめろ、そんな大層なことは教えてねえ。


 そうこうしているうちに、登校する生徒が増えはじめた。さっそく人気者になったらしい本間は、「こなつー」とか「本間さーん」とクラスメイトに呼ばれ、手を振ったり挨拶を交わしたりしていた。


 俺のことが好きだという噂を聞いて、何か裏があるに違いないと思ったことは何度かある。

 でも、本間の噂で悪いものは何も聞かない。

 俺のことが好きなのは確かだが、俺だけが好きとは言ってない――てなオチだったんだろう、と納得することにした。


「中学の頃から思ってたんですけど」


 ん? と、俺も雛形も作業の手を止めて本間に目をやる。


「お二人って付き合ってないんですか?」


 かちん、と雛形が硬直する。

 じゃーっと傾けたじょうろの水が花壇に注がれる音だけが聞こえた。


「な、ないない、付き合ってない。ど……どうして俺が雛形と」


 こんな真正面から直球で訊いてくるなよ。朝っぱらから。


「なあ」と同意を求めるために話を雛形に振ると、微妙そうな顔で、曖昧にうなずいた。


 ……なんだ、その反応。


 その場にいられなくなった俺は、逃げるように二人から距離を取る。


「えー? 本当ですかー?」


 離れた俺に尋ねてくる本間。


「何でなんですかー?」

「何でって……」


 答えに窮していると、雛形が顔を赤くして、意を決したように声を上げた。


「ほ、本間さんっ」

「あ、はいっ!?」

「えと……遅刻、するよ?」


 雛形、まだ二〇分くらい時間あるぞ。誤魔化すの下手かよ。


「それだと、雛形先輩も、遅刻するんじゃ……」


 ブーメランは一瞬にして雛形の下に戻ってきた。


「じゃあ、先輩は今付き合ってる人はいないんです?」

「そ、そうだよ」


 そんな直球で女子から訊かれることがないので、思わずどぎまぎしてしまう。


「あ、さては先輩、照れてますね?」

「照れてねえよ、早く教室行け!」

「あはは、怖ぁ-い!」


 くるん、と昇降口のほうをむくと、スカートが花びらのように広がった。


「それじゃ、また」と言って、愛らしく手を振った本間は、登校する生徒の列に加わった。


 ……なんて言うんだっけ、ああいうの。


 むうううう、と雛形が恨めしそうな、うらやましそうな目で、去っていく本間の後ろ姿を見つめながらぽつりとこぼした。


「……あざとい」


 ああ、そうそう。あざといだ。






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書籍版もよろしくお願いいたします。

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