第6話
昼過ぎから降りはじめた雨はやむ気配がなく、放課後になっても続いていた。
予報では曇りだったから、降ってもすぐ止むと思ったんだけどな。
俺と杉内は、早々に締め出された教室をあとにし、静かな図書室で携帯をいじったり、こそこそ雑談をしたりして雨宿りをしていた。
「杉内、今日、昼はどうしてた?」
「そんなにオレのこと好きなの? 一緒じゃなかったからってヤキモチやくなよ」
内之倉さんもどこかに行ってしまったので、昨日は四人だった昼食は、俺と雛形の二人だけだった。
「アホか、ただの好奇心だ」
杉内の足を軽く小突く。
結局、昨日の放課後、内之倉さんと何を話したのか尋ねたけど教えてくれなかった。
「蹴るなってば。まあちょっと、オレにも色々あるんだよ」
そうやって濁すので、俺はそれ以上訊かないことにした。
……こいつも好きな女子がいたりして。
だったら、まあ、濁すのもわからなくもない。
エロ話はするけど、ガチの恋バナってやつを、俺と杉内はしたことがない。そもそも、そんな色気のある話がこれまで俺たちにはなかったせいもある。
静かな雨音を聞いているうちに、杉内が寝息を立てはじめた。
そっとしておこう。
窓の外に見える体育館から、女子が数人出てくるのが見える。
雛形は今日は部活。
何時までやるのかは知らないけど、今ごろ練習に精を出しているところだろう。
「殿村」
寝ていたと思っていた杉内が起きていた。頬杖をついて、こっちを見ている。
「ん」
「部活、戻んないの」
「何だよ。いきなり」
「いや……別に。なんとなく」
それ以上杉内は言わず、顔を伏せて携帯をイジる。
校内からは、外で練習ができない運動部の威勢のいいかけ声がうっすらと聞こえる。
やみそうな気配がないから、濡れて帰ろうと決断したころ、誰かが図書室に入ってきた。
「殿村くん、何してるの」
やってきたのは息を切らせた雛形だった。
「何って。雨宿り。部活は?」
「入学式の準備があるから、すぐ終わった」
「そう」
俺がここにいるの、よくわかったな。そう言おうとしたら、察したのか雛形が教えてくれた。
「体育館から、座っているその席がよく見えたから」
出てきた女子たちの中に、雛形も混じっていたようだ。
雨粒が窓についていて、俺のほうからはわからなかったけど、雛形は見えたらしい。
杉内は、机に突っ伏して本格的におやすみモードに入っていた。
「あ、あの。お、お、折り畳みでいいなら、わ、私、あ、あるります」
あるります……?
「折り畳みの……傘」
「うん、話の流れで、折り畳み傘だってのはわかるぞ?」
鞄を机に置いて、ごそごそと漁る雛形。
テンパったときのドラ〇もんみたいに、あれでもない、これでもない、と中身を出しはじめ、ようやく折り畳み傘を掴んで俺に見せた。
「じゃあ、お邪魔させてもらおうかな」
「う、うんっ。ど、どうぞ……! ちょっと狭いかも、だけどっ」
わたわた、と傘が手につかない様子で雛形は傘を広げる。
「大丈夫、大丈夫、ここで広げなくても」
「あっ……うん」
また慌てて折り畳み傘をしまう雛形。
焦って畳んだせいか、元々入っていた傘の袋がパンパンになっている。
「杉内くんは……」
「いいよ。寝かしておこう」
起こすのも悪いので、鞄を手にすると雛形を促して図書室をあとにする。
杉内、明日には「起こせよ! 気づいたら真っ暗で焦ったわ!」とか言いそうだ。
プォン、と教室で練習する吹奏楽部の演奏がいくつか耳に入る。昇降口で、野球部の先輩と鉢合わせた。
部活を辞めたことで、誰かと不仲になることはなかったけど、どこか後ろめたさがある。
「お疲れ様っす」
無視するわけにもいかず、かといって、何と挨拶していいかわからず、小声で俺は少し頭を下げた。
先輩……西村さんは、ちら、と雛形に目をやって「今帰り?」と尋ねてきた。
「あ、はい」
「女連れで? いいご身分だな」
「別に、そういうつもりはないんすけど……」
険のある言葉に、俺は目を伏せた。
同じ投手の先輩で、序列でいうと、俺のほうが上だった。目の敵にされるのも、仕方ないことだ。
「怪我くらいで逃げたやつがチャラチャラしてんじゃねえよ」
「うす……」
「あの……」
聞いていた雛形が口を開けた。
「殿村くんは……逃げたわけじゃ」
「雛形、いいって」
続けようとした雛形を俺は制した。
「ま、せいぜいよろしくやってくれや」
鼻白んだような西村さんは、室内練習用のシューズをつっかけて歩き去った。
「あの先輩、嫌い」
「そう言うなって。まあ、俺も好きではないけど、多少の嫌みくらいはしゃーない」
西村さんが言ったことは事実だ。杉内が戻らないのかと訊いたように、怪我で野球がまったくできないわけじゃない。ただボールが一〇m少々しか投げられなくなっただけだ。打ったり走ったりすることに支障はない。
「隆之介がいなくなったからエースになれた人」
「言うなって」
……それも事実だ。
去った方角を見ながら、雛形はフン、と気分悪そうに鼻を鳴らした。
雛形が再び広げてくれた傘に入れてもらい、学校を出る。その頃には斜めだった機嫌も元に戻っていた。
「あいあい傘だな」
俺が言うと雛形がうなずく。
「うん。そうだね」
あいあい傘っていや……。
「小学生のとき、よくからかわれたね。私たち」
「はは」
「どうして笑うの」
「同じこと思い出したから」
「えへへ。そうなんだ」
そう言ってはにかんだ笑みを覗かせた。
傘は狭く、外側の肩口から腕は完全に濡れていた。被害がその程度で済んでいるのは、雛形がこっちに傘を傾けてくれているからだとわかった。
「傘、持つよ」
「え、いいよ」
いいからいいから、と俺が傘の柄を掴むと、雛形の手に触れた。
「ぴゃぁ」
ぴゃぁ?
「ご、ごめん。変な声、出ちゃった」
「顔、真っ赤だけど、大丈夫か」
「だ、大丈夫。気にしないで……」
今度は俺が傘を持ち、雛形のほうに差しかける。それがわかったのか、「隆之介が濡れちゃう」と言った。
「濡れて帰るつもりだったんだから、これくらい余裕」
「そう?」
しばらくそのまま歩いていると、やっぱり気になったのか、ハンカチを貸してくれた。
「こ、これで、拭いて」
「今濡れている最中だから拭いても」
雛形は覚悟を決めたように口をへの字にして、半歩ほど俺に近づいた。
「……っ」
俺と雛形の内側の肩と腕がほとんど密着している状態になる。
「こ、これなら、隆之介も、濡れない……」
「いや、そうだけど――」
くっつぎ過ぎじゃないか、これ。
制服越しなのに、雛形の体温がわかる。
なんか、変に緊張してきた……。
「私のせいで風邪ひいたら、困るから!」
「このくらいじゃ風邪ひかねえって」
ドラマとかマンガは、雨で濡れるとすぐ風邪ひくけど。
「か、風邪ひいて学校休んで、会えないのは、嫌……」
上気した頬で、つま先を見ながら雛形は言う。
まあ、自分のせいで風邪を引かれるのが嫌ってのはわかった。
俺も緊張しているし、雛形もそうらしい。ほぼ無言の中、下校をしていると、そばを通った車が水たまりを勢いよく踏みつけ、激しく水が跳ねた。
多少濡れつつあった制服……とくにズボンが、跳ねた雨水のせいでぐっしょりと濡れた。
「うげ」
「大丈夫?」
俺が道路側でよかった。
「うん。まあ、あと一〇分くらいだし大丈夫」
つんつん、とズボンを雛形がつつく。
こら。何してんだ。
「……濡れてる」
「変な言い方すんな」
「え?」
何でもない、と俺は首を振った。
杉内としゃべっているノリで思わず言ってしまったけど、他意はないんだよな、雛形に。
「あのね……。私の家のほうが、手前」
「あ、いいよ。傘は。雛形家からなら、俺んち走ればすぐ着くし」
「もうすぐ、そこ、だから……」
「うん。だから気にしなくても――」
雛形は、赤い顔のまま、家がある方角を指差した。
「う、う、うちで制服、乾かそう……!」
うちってのは、雛形家でってことか? 俺の制服を?
「でも、俺んちは走ったら四、五分くらいで――」
「い、いいの」
いいのって何がだよ。
「あのな。俺のこと子猫か何かだと思ってないか? この程度じゃ風邪なんて」
「も、も、もしもが、あるから! う、うちに、来てっ! ください……」
珍しく声を張った主張に、俺は目を丸くしてしまった。最後のほうは、もにょもにょとした小声だったけど。
恥ずかしかったのか、それとも他に何か理由があるのか、まだ顔は赤いままだった。
「わかったよ。じゃあ、お言葉に甘えて」
ふんふん、と雛形は首を何度も縦に振った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます