第4話
新学年最初の授業なんてものは、先生の自己紹介がその時間の半分。あとはまあ、授業の進め方や宿題の出し方についての説明が大半で、一年のときから使っているくたびれたノートに何かをメモすることはほとんどなかった。
カリカリ、と右隣の雛形は真面目に先生の言ったことをノートにメモしている。
左隣はサッカー部の男子で、席替えのときに軽く会釈してから、ずっと寝ていた。
「隆之……殿村くん、書かないの?」
「うん。まあいいかなーって」
杉内は、先生の目を気にせざるを得ない席なので、ペンを動かしていることだけはわかった。
「教室では、俺のこと名字で呼ぶの?」
「え」
「いや、どっちでもいいんだけど、二人のときは下のほうで呼ぶから」
「殿村くんも、私のこと、名字」
「それは前からそうで……」
拗ねたように雛形が唇を尖らせていた。
「小学校のときは、しーちゃんって呼んでたのに。中学校入ってからは、イキって『雛形』って呼ぶようになった」
「イキってねえわ」
名字呼びに変わるのはイキりなのかよ。
てか、いつからとかよく覚えてるな。
「しーちゃんって呼ぶの、なんか恥ずかしいだろ。中学生にもなって」
小学校の頃は、そういう呼び方がなんとなく定着していたから、抵抗はなかった。
周りの男子も女子も、そう呼んでいる人が多かった。
けど、中学校に入ってから、そう呼ばない人のほうが増えたから、俺もなんとなくそれに合わせただけだ。
「いいだろ、雛形でも。ヒナガタって響き、カッケーし」
「男子が言うカッケーは、よくわからない」
机の下で携帯をいじるのが見えた。すると、すぐに俺の携帯が何かを受信したらしく、小さく震えた。
SNSのメッセージを受信していた。
……差出人は、隣の雛形。
いや、わざわざメッセすんな。口で言えよ。
拗ね拗ねモードの雛形は、「見せてって言われても、見せないから」と意地悪まで発動させてきやがった。
何なんだよ……。
メッセージを見ると、『激おこプンプン』と書かれた凶暴化したクマのスタンプが送られてきていた。
「怒ることないだろ。何で怒ってるんだよ」
「隆之介……殿村くんが、私のことを一緒にするから」
言い直した。
教室内では、意地でも名字呼びに徹するらしい。
「一緒って?」
「他の女子も……みんな、名字で呼んでる」
「そりゃそうだろ。俺は別に大して仲良くないんだから」
距離の詰め方ってやつを、一回教えてやろうか。
つっても、俺もそんなにわかってないけど。
少なくとも、ただのクラスメイトを下の名前で呼び捨てにしたり、親しげなニックネームで呼ぶのは、俺には違和感があった。
「……私だけは、ずっと殿村くんと、仲良し……なのに」
名字呼びが嫌で、他の女子と同じが嫌……。
「あ……そういうこと?」
謎が解けたかもしれん。
「何がそういうことなんですか」
ああもう、これ完全に怒ってるな?
「要は、私を他の女子と一緒にしないで。特別な扱いをしてほしいってことだろ?」
思わずといったような様子で、雛形はこっちを見つめる。
探していた答えをようやく見つけた、とでも言いたげに。
「そ……そう……!」
かすかに聞こえる小声だったけど、力強くうなずいた。
「いいか、雛形。そういうのは、特別な関係になったらやるヤツで、そうじゃないのにそんな呼び方をしてたら、おかしな勘違いをされるだろ?」
お互いの迷惑になりかねん。俺の被害は大したことはないけど、雛形は好きなやつがいるんだから、そいつが変な勘違いをしたらややこしくなるだろう。
「……幼馴染は、特別な関係だもん」
「それ以上にってこと」
「それ以上がないなら、幼馴染が、一番特別な関係」
ああ言えばこう言う……。
「ま……あんまいねえからな」
杉内に聞いても、あいつの幼馴染は高校進学でバラバラになったらしい。
男女で幼馴染だと好きだとかデキてるのか、とか、そんな下衆の勘繰りの対象になるのも、無理はない気がする。
全国探せばたくさんいるんだろうけど、ともかく、俺の周りにはいまだに幼馴染と同じ学校に通っている人は誰もいない。
そう言われれば、確かに、特別っちゃ特別だ。
雛形とは、中学校からこれまでクラスは全部別。
でも、雛形のクラスの雰囲気を気にすることもあったし、俺が部活終わりで、雛形がまだ体育館で練習中ってなると、それとなく気にかけていたことはある。
誰と仲いいのか、昼休憩何してるのか、成績はどうなのか、などなど。
他の女子なら全然気にならない部分だけど、雛形に対してだけは違った。
「栞って呼んだら、いいと思う」
「しおりん推奨の呼び方ですか」
「そう。雛形は非推奨。殿村くんは、私だけを下の名前で呼ぶといい」
「徐々にな、徐々に」
「うん」
ぽわわ~と朗らかな表情になった。何かを想像したらしい。
斜めだった機嫌が持ち直し、ようやく上向きになってくれた。
ほっと、俺は安堵のため息をついた。
「こういうの、俺には別にいいけど」
「?」
「好きなやつには、そういうの、やめとけよ?」
「っ!?」
衝撃を受けました! って顔をするのやめろ。
「な、な。ナンデ」
「女子特有の文化っていうか……形から入る感じのそれって、男子にはないから」
まさしくさっきの流れだ。
『ウチら仲いいんだから下の名前で呼び合おうよー』みたいなやつ。
「別に、呼び方なんかどうでもよくないか。本当に仲がいいんなら」
「っ……!」
口をへの字にして、苦しそうに胸を押さえている。
……しかしまあ、小学生のころから成長しない胸だよな……。
「呼び方程度で、仲の良し悪しって決まるわけじゃないと思うし」
「うぅっ」
「会話の流れとか、その、なんていうか、共有してきた時間が長いから、呼びやすい呼び方に変化していくんだと思うし」
「あうう」
変な呻き声出すなよ。
こういうの、昔気質なのかもしれないけど、俺はそう思っている。
「さっきから後ろ、うるさいぞ」
先生に注意されると、俺は首をすくめて前の生徒を盾にして視線から逃げる。
こそっと隣人に言った。
「俺にはいいんだよ。百歩譲って。でも気をつけろよな」
「うん……」
雛形は、俺の反論にノックダウンしたらしく、机に頬をつけて半泣きになっていた。
そんなにショックだったのか。なんかごめん。
「隆之介は、どうしていいの?」
殿村くんじゃなくなってる。
「嫌なんでしょ、そういうの……」
「さっきのは、一般論。俺も、相手が雛形じゃなけりゃ違和感覚えるよ」
「私なら、いいの?」
「うん。まあな。付き合い、長ぇから」
「特別ってこと?」
「それをそう言うなら、そうだと思うよ」
机の上で組んだ腕に顎をのせ、雛形がにこりと笑う。
「ふふふ」
「何笑ってるんだよ」
「やっぱり、隆之介、優しい」
そうか?
俺が首をかしげると、また雛形はそっと微笑んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます