第25話


 気づいたら朝だった。

 雛形が寝たらソファに戻ろうなんて考えていたけど、うっかり寝てしまった。


 時刻は朝五時。駅に向かえば始発が動き出す頃だろう。


 雛形もさっき起きたようで、トイレから出てきた。


「帰ろう」


 身支度を整えた俺たちはホテルをあとにした。

 駅に戻り、やってきた電車に乗り込み、がらんとした車内をぼーっと眺める。

 さっきまで雛形とラブホにいたのが、嘘みたいな風景だった。


「もう野球は、しないの?」


 唐突な雛形の質問に、俺は自問して出し続けてきた答えを口にした。


「まあ、草野球くらいならいいかな」

「草野球なら、隆之介、楽しそうかも」

「たぶん、そうだろうな」


 エースナンバーの重責もないし、ろくに投げられなくても、打者限定なら受け入れてくれそうだ。駅を経る度に、通学する高校生の姿が増えはじめた。


「朝練かな」


 小声でささやく雛形に、俺はそうだろうな、と返した。

 やがて最寄駅に到着しハプニング続きのデートの練習は、ようやく終わりを告げた。


 寝不足の頭で、学校面倒だな、とぼんやりと考えながら、自転車を押しながら雛形と歩く。

 岐路に立つと、「またあとでな」と俺は手を振ってサドルにまたがった。


「隆之介」


 呼び止められ、地面に足を着けた。


「んー? あ。今日は弁当要らねえぞ? 適当になんか――」


 食べるし、と続けようとしたとき、それを遮られた。


「本当は、あそこに充電機あった」

「え」


 ジュウデンキ、アッタ――?


「あった――? 充電機が?」


 意味がよくわからないでいると、雛形は逃げるように家路を急いだ。確かめようと思った頃には、もう背中は見えなくなっていた。


「そっか。充電機やっぱあったのか」


 いや、そりゃあるよなー、と回らない頭でつぶやくと、ん? と疑問を持った。


「何で嘘ついたんだ、あいつ」


 確かめなかった俺も悪いけど、そんな嘘つくとは思わない。


「……」


 好意的な拡大解釈をしてしまうのなら、俺とまだいたかった、だ。

 でも、たぶんそうじゃない。

 あいつは、俺を幼馴染だとしか思ってないし、好きな人が俺だっていう可能性があるとはいえ、可能性としては薄い。


 でも、もしそうなら――。

 俺のことが好き――ってことで、いいんだよな……?


「まあ、どうせまだ遊んでいたい、ってだけだったんだろう」


 それなら、降りようと促した俺を狸寝入り(?)でスルーしたのも納得がいく。

 家の中や部活や学校生活で、ストレスが溜まっていたのかもしれない。


『でも、もしそうなら――』というさっきの考えが、うるさいくらいに浮かんでは消えていく。


 それを振り払うように俺は家まで自転車を漕いだ。




 二度寝した結果、登校した時間は、四時限目がはじまる前だった。


「遅刻かよー」


 自分の席に着くなり、さっそくやってきた杉内がイジってくる。

 雛形や杉内から連絡がいくつか入っていたけど、急いでいたので応える暇はなかった。


「まあちょっとな」

「エロいことし過ぎて夜更かししちまったんだろ?」


 昨晩のことを思い出し、どきん、とする。ちらっと隣を見ると、雛形もどきん、としたらしく、体を強張らせていた。


「わかるわー。エロいことしてると、夜、ふけがち」

「ち、違うわ。んなことしてねえよ」

「ひながっさんも、ちょっと遅刻してきたし」

「え、そうなの?」


 隣人に直接尋ねると、こくん、とうなずいた。


「珍しいよな、ひながっさんが遅刻って。部室棟のところで、野球部の先輩と話してたでしょ。それが原因?」


 野球部の先輩?

 俺が目で杉内に尋ねると、かすかにうなずいた。


「ちょっと、色々あって」


 ぎこちない笑顔を作った雛形だった。


「西村さんに告られたとか?」


 矢継ぎ早に杉内が尋ねるので、興味があるのは確かだけど、俺はそれを制した。


「まあ、そう詮索するなよ。嫌われるぞ、本間にも内之倉さんにも」

「何で本間ちゃんが入るんだよ」

「何でって……」


 雛形の前で言っていいものかどうか迷う。

 練習試合を見終わったあと、杉内と本間は一緒に体育館をあとにした。


 やれやれと杉内は呆れたように首を振った。


「あー。出た出た。すぐエロいことをしていると思うゲス脳」

「おまえに言われたかねえよ」

「本間ちゃんのは、まあちょっとした相談だよ。恋愛相談」

「恋愛相談? おまえに?」

「人選としては、これ以上ないと思う」

「おまえが恋愛の何知ってんだよ」

「その言葉、そのまま返してやる」


 俺と杉内のやりとりを見た雛形がおろおろしていた。


「二人とも、喧嘩しないで」

「ひながっさん、これは、ちょっとしたじゃれ合いみたいなもんだから気にしないでよ」

「本間……こんなやつに相談とか、他にいなかったのかよ」


 嘆かわしい。男友達の一〇人や一〇〇人いそうなのに。


「あのな。おまえだって人のこと言えねえだろー」

「俺はちゃんとやってるわ、色々と」


 ふうーん、と疑わしそうな半目をする杉内。

 やってきた部活の先輩らしき女子に雛形が呼ばれ、席を立った。


 はあ、というため息とともに、杉内が空いた雛形の席に座った。


「オレは、別におまえが誰を好きになろうが、誰に好かれようが何だっていいんだよ。ただ、なんっつーか、みんなが楽しくウィンになったらいいなって」

「ウィンウィンな」

「それそれ」

「西村さん、雛形に告ってたって?」

「オレも遠目だったから。でも、和やかな雰囲気じゃないのはわかったから、じゃ告ってんのかな、って思って」


 先日、西村さんに軽く嫌みを言われたことは記憶に新しい。

 雛形のことが好きだったから俺に嫉妬して――っていう流れならあの人も可愛げがあるな、となるんだが、あの人って確かたまに……。

 うーん、昨日の今日だしちょっと嫌な予感がするな。


 雛形が戻ってくると、杉内は「席借りてた。ごめんね、ひながっさん」と軽く言って自分の席へ帰っていった。


「西村さんに、なんか変なこと言われなかった?」

「ううん。大丈夫だったよ」


 それならいいんだけど。


「昨日の件で殿村くんに迷惑かけちゃったけど、心配しないで」

「別に迷惑なんて思ってないよ」


 そう言ったところで、先生が教室にやってきて授業がはじまった。


「帰ったとき、おばさんどうだった?」


 俺が小声で尋ねると、雛形はノートの端にシャーペンを走らせた。


『怒られた…(悲)』


 だろうな。


 俺は二度寝して起きると母さんが帰ってきたところだった。朝帰りを咎められ、充電が切れていたので連絡しようがなかったと言うと、そこまでしつこく叱られることはなかった。


『りゅは?』


 りゅって俺のことか。きちんと書くのが面倒だったんだろう。


『こっちも』


 それを読んだ雛形と目が合い、お互いくすっと笑った。


『私は、うっかり終電を逃したってことにした』

『OK、もしおばさんに訊かれたらそう答える』


 まだ何か話そうとしている雛形は、書いて消して、小難しい顔をして、また書いて消して、それを繰り返し、からようやく納得いくものができたのか、ノートを見せてくれた。


『隆之介とのデート、楽しかったよ!』


 ひと目見ると、雛形ははにかむように笑った。

 そんな顔をされると、こっちまで照れてしまう。


 見せようとしていた文章――『どうして充電機がないって嘘ついたんだ?』を消し、違う文章を書いた。


『俺も』


 誰にもわからないように、つんつんと机の脚の間から膝をぶつけてくる雛形は、自然と上がってしまった口角を手で元に戻すように触った。








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