第24話


「隆之介が……嫌じゃ……ないなら」


 雛形は蚊の鳴くような声でつぶやいた。

 嫌じゃないならって……。

 入口で立ち止まって、俺は雛形を一瞥する。


「その言い方だとなんかするみたいに聞こえるぞ」


 そういう意味で提案してるんじゃないってことくらいわかる。


「し、し、しない! しない! ……つもり……です……」

「俺もしねえよ。その予定もないし」


 ここじゃないなら、じゃあどこへ行く?

 考えても代案は出せそうになかった。

 二人でお金を合わせても、タクシー代が足りるとも思えない。何時からかは知らないけど、夜は割り増し料金になるって聞いたことがある。


 ぽつり、と雨が降りはじめた。

 いよいよどこへも行けなくなったことが、俺の背中を押した。


「……じゃあ、入ろうか」

「うん」


 自動ドアから中に入ると、誰もいない。

 てっきり旅館とかホテルみたいに誰か受付に立っているのかと思っていたけど違うらしい。


「隆之介は、はじめて?」

「うん」

「よかった。私も」


 一見して何もないロビーを俺と雛形はうろつき、ああでもない、こうでもない、と部屋の借り方を考えていたら、券売機のような筐体を見つけた。


「あ、これっぽいな」

「そうかも」


 何部屋もあるうちの数部屋は売り切れとなっていた。


「……」


 この売り切れている部屋の中では、セックス、してるんだよな……。


「隆之介?」

「お、おおう、な、何?」

「買わないの?」


 そうだな、と桃色の妄想を振り払って、二人の有り金をはたいて三〇七号室のボタンを押す。

 ぱさり、とパスワードが書かれたレシートのような紙が受け取り口に落ちてきた。


「な、なるほどな、こういうシステムか」


 自分で言って声が上ずっているのがわかって、余計に恥ずかしくなる。

 エレベーターを見つけた雛形がボタンを押し、それに乗り込み、目的の部屋を目指した。


「充電機があればおばさんに連絡取れるし、それで迎えに来てもらえばすぐに帰れるだろう」

「うん」


 静かな廊下を歩く。売り切れになっていた部屋から声が漏れてこないかと、自然と耳を澄ませてしまう。幸い嬌声が聞こえることはなく、受け取ったパスワードで電子ロックを解除。三〇七号室に入った。


 室内は思っていた以上に質素だった。二人掛けほどの革張りのソファが一つとガラスのローテーブル。その上には、いくつかのライターと灰皿が置かれていた。二人で横になるには少し狭く、一人で寝るには少し大きいセミダルブルくらいのベッドとその向かいに小さなテレビがある。

 あとはユニットバスがある程度で、ラブホテルというよりビジネスホテルみたいだった。


「疲れたね」


 雛形はぽつりと言って、ベッドに寝そべる。


「電車の中のあれ、いつから起きてたんだよ?」


 同じようにベッドには寝そべれず、俺は少し離れた場所にあるソファに腰かけた。


 質問には答えず、ころん、と雛形は寝返りを打ち、何かを見つけた。


「充電機、ないみたい」


 それは、室内の設備案内だったらしく、A4一枚のプリントに目を通している。


「ないのかよ」


 俺たちの非日常は、まだまだ終わらないらしい。

 雛形が身じろぎしたとき、スカートの中が見えそうになったので、俺は慌てて目をそらした。


 充電機の件は期待してなかったからか、さほど落胆もしなかった。……まだこのままでもいいと、俺はどこかで思っているのかもしれない。


「ネカフェとかにはあるから、あると思ったけど、まあ、ボロいしな。そういうサービスはしてないんだろう」

「中は結構綺麗だけどね」


 言われてみれば。

 辺鄙なところにあるけど……意外と儲かってるのか?


「ねえ、シャワー、していい?」

「え、あ、うん。どうぞ、どうぞ……」


 ベッドの隅に綺麗に畳んである数枚のタオルを二枚ほど掴んで、雛形はユニットバスの中に入った。

 俺は大して気にしないけど、女子からすれば、駅舎の中で一夜を明かすってほうが嫌だったのかもしれない。

 夜な夜な駅前にたむろするかもしれない不良に絡まれることもないしな。


 シャワーの水音が聞こえてくる。

 静かだとそっちに集中してしまうので、テレビをつけた。

 よく知っている夜の番組が流れ、少しほっとする。


 電気をつけていても室内はどこか薄暗い。テレビの音声の合間に雨音と雛形のシャワーの音が聞こえた。


「何で俺が雛形相手にドギマギしないといけねえんだよ……」


 何でもない、と言い聞かせる。

 昔は、すぐそばで風呂に入っていることだってあったし、小学生の夏休みは隣で昼寝だってしたこともあったんだ。

 何でもない。何でもないことなんだ。


 出てきた雛形と入れ替わりに、シャワーをする。ごちゃごちゃと考えていたことが洗い流されたかのように、スッキリした気分になった。


 ――他校の生徒じゃない。


 中で体を拭いていると、ふと、今日聞かされた情報が脳裏をよぎる。


「……」


 ジグソーパズルのピースのようにひとつひとつ情報を埋めていく。雛形の好きな人は、俺の可能性がまだまだ残っている。


「いや、別に、そうであってほしいとかじゃなくて」


 可能性があるからってなんだよ、と一人でつぶやいて、ユニットバスを出る。

 ベッドにいる雛形は、上着を脱いで横になっていた。

 もう寝ているのかと思って、ソファのほうへ行こうとすると、


「こっち、来れば」


 背中越しに声が聞こえた。


「隆之介がそこで横になると、窮屈」

「いいよ。一日くらい」

「体が、痛くなる」

「なってもいいんだよ。何か支障があるわけでもないし」


 ふるふる、と雛形は首を振る。


「よくない。ここ、空いてるから」


 食い下がる雛形は、隣の一人分のスペースをとんとんと叩く。


「空いてるからとかじゃなくて……俺が変な気起こしたらどうするんだよ」

「起こすの?」


 首をかしげながら、逆に訊かれた。


「いや、起こしたらって話で……。強引に襲うかも」


 むう、と雛形は困惑するように眉根を寄せた。


「困る……。けど」


 けど……?

 続きを待っているのに、ぷい、とそっぽをむいてしまった。


「意気地なし」


 そんな意気地なんか持たねえほうがいいんだよ。


「小学生の夏休み、お昼寝、よく一緒にしたのに」


 同じことを思い出したらしい。


 このままぶつぶつと続きそうなので、仕方なくベッドへ行くことにした。雛形が寝たのを確認したら、ソファに戻ればいい。


 背中をむけてベッドで横になった。

 衣擦れの音がして、背中に雛形の体温を感じた。


「隆之介が私を見る目が変わっただけで、私は、何も変わってないよ」

「雛形は変わったよ。背が伸びて女の子っぽくなって、綺麗になった。そりゃ、見る目も変わる」


 なんか、恥ずかしいことを言ってしまった気がする。

 何か反応しろよ、と思い後ろを振り返った。


「~~~っ」


 雛形は、赤くなっているであろう顔を両手で覆って、足を小さくじたばたさせていた。

 見なかったことにして、前を向き直した。

 雛形が寝そうにないので、照明を調節するつまみを回して、部屋を薄暗くした。


「雛形は、変わった? 俺を見る目」


「……変わってないよ。私は。あの頃から、ずっと」


 充電機のときにはなかった、はっきりとした落胆が俺の中にはあった。


 俺は、いつの間にか雛形を幼馴染である以前に女の子であることを意識するようになったけど、雛形は、そうじゃないんだ。


 ああ、そう。と訊いておいて、ぞんざいな返事をしてしまった。


 体の向きを変えると、目の前に雛形の顔があった。


 お互い目が合い、言葉に詰まる。


 華奢な肩を掴むと、


「だ……ダメ……」


 火照った顔で雛形は拒絶を口にした。


「こういうのは……順番があると、思うから」


 潤んだ瞳を見て、はっと我に返った。


「あ……ごめん。いや、そういう意味じゃ――」


 言うや否や、ぎゅいいいいい、と顔を押しのけられた。


「いててて。わ、わかった。悪かった、悪かったって」

「遊びや雰囲気で、初キスは、したくないから」


 再び雛形は、くるん、と背をこちらにむけた。









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