第8話


 廊下に出て着替えを待っていると、とことこ、という軽い足音が聞こえてくる。


「あ。りゅーくんいる!」


 ちびっこいのが現れたと思ったら、雛形の一番下の妹、涼花(すずか)ちゃんだった。

 保育園帰りなのか、小さな黄色い肩掛けバッグをしたままだ。


「お、すーちゃん。久しぶり」


 よお、と挨拶すると、とてとてとて――と走ってがしっと足に抱き着いた。


「おとーさんの、服着てる」

「ああ、ちょっとな。りゅーくん、雨で濡れて、この服借りてるんだ」


 けど、大きくなったなー。最後に見たのが去年くらいだから、まだ足取りも覚束なかったのに。


 しゃがんで頭を撫でると、何を思ったのか、すーちゃんはいきなり雛形の部屋を開けた。


「しーたん! しーたん! りゅーくん、きてるっ」


 俺を指差すすーちゃんのむこうでは、「へっ」と上半身ブラジャーだけの雛形がいた。



「うやあ――――ん!?」



 変な悲鳴と同時に半泣きになる雛形から目をそらし、俺は手探りで扉を閉める。


「なんで? なんでしめるの?」

「すーちゃん、しーたんは今着替え中だから……」


 雛形、顔真っ赤だったな。

 今日一日で、幼馴染の上下の下着を見てしまうとは……。


「しーたん、りゅーくんきてるー!」


 扉に向かってすーちゃんはもう一度言う。


「すーちゃん、しーたんは知ってるから言わなくても大丈夫だよ」


 そぉ? とくりっと首をかしげるすーちゃん。


「りゅーくん、顔赤い。かぜ?」

「そうじゃなくて……お姉ちゃんの着替え見ちゃったから」

「すーかのおきがえ、見る?」

「見ない」

「みてー!」


 何で見せてぇんだよ。


「もう、大丈夫だよ」


 雛形が部屋から顔を出す。もう顔色は元に戻っていた。

 目が合うと、思わず視線を外してしまった。


 さっきの光景が目蓋の裏から離れない。

 白くて細くて、服を着ていたらわからない綺麗な曲線を描いたくびれ。


「りゅーくん、はいって、はいって」


 俺の指を掴むと、すーちゃんは半ば強引に雛形の部屋へ入れた。


 制服から着替えた雛形は、ワンピースにカーディガンを羽織っている。

 生活感ある部屋では、ちょっと浮いているように見えた。


 俺があぐらをかくと、ちょこん、とすーちゃんがそこに座った。


「涼花。隆之介が、困る」

「いいの」


 ぷくん、と膨れて、スウェットにしがみついた。


「いいよ。すーちゃんくらいなら軽いし」


 ぷくん、と今度は雛形が膨れた。

 何だ、この姉妹。可愛いな


 久しぶりに会ったすーちゃんから、近況報告を聞かされる。保育園で何があっただの、お母さんが、お姉ちゃんが、どうのこうの。

 ちなみに、雛形のお父さんは単身赴任中。月一回帰ってくるかどうかで、なかなか忙しくしているようだ。


「ごめんね、隆之介」


 ともかく、すーちゃんは俺にべったりだった。


「お父さんが普段いないから、寂しいのかも」

「しーたん、ちがうよ。すーかは、りゅーくんとけっこんするの。だからこうしてもいいの!」

「俺とすーちゃんって、結婚するの?」

「するのー」


 うわーい、と楽しげにすーちゃんは俺の首に抱き着いてきた。

 好々爺のように俺は目を細め、よしよし、と背中をとんとんとしてあげる。

 純粋まっしぐらで可愛いのう……。


「しない、しませんから」


 目を吊り上げた雛形が、すーちゃんの脇のあたりに手を入れ、ぐっと持ち上げて引き離そうとする。

 それでも、すーちゃんは首に回した腕を解く気はないらしく、がっしりとしがみついている。


「するー! りゅーくん、たすけて!」

「なあ、雛形……そんなに無理に引っ張らなくても」

「雛形って誰。どっちも雛形だよ」


 目が据わっている。


「えと……しーたんのほう」

「栞」

「栞」


 なんか怖くなって名前をただ繰り返した。


「しーたんが、りゅーくんと結婚しないっていったから、すーかがするのーっ」


 そりゃ雛形はそうだろうけど、そういうシステムになってんの? すーちゃん俺のこと愛しすぎじゃね。


「そ、そ、そんなこと言ってないっ」

「いったもん!」


 引き離そうとする雛形と離れまいとするすーちゃんの攻防がしばらく続き、いよいよすーちゃんは剥がされてしまった。


「うっ……うぅっ……ああぁぁぁぁぁぁん――」


 大号泣だった。


「おかぁぁぁさぁぁぁん――! しーたんが、りゅーくんとるーっ! ひとりじめするー」


 泣きながら部屋を出ていき、お母さんに助けを求め一階へとおりていった。


「取るって、私のでも涼花のでもない」


 もう、と不満げに雛形はため息をついた。


「まだ年長さん? なんだから、そこまでしなくても」

「隆之介、ロリコン?」

「は? 何でそうなるんだよ」

「涼花に甘いから」


 甘いって……そりゃ、人んちのちびっ子があんなに懐いてくれれば、甘くもなるだろう。


「じゃあ、どういう人が好み?」

「どういうって……」


 改めて訊かれると、答えに困るな。


「優しい……とか」

「アイドルの回答みたいに曖昧」

「んなこと言われても……」


 考えを巡らせ、ひとつ思いついた。


「巨乳」

「それは無理」

「何だ無理って。好みの話だろ、好みの」

「細いと太いなら、どっち?」

「そりゃ、まあ、細いほうだ」


「そ……そう。そうなんだ」


 吊り上がっていた目元が、徐々に元に戻ってきた。


「巨乳と細いは、相反する。両立はほぼ不可」


 そんなことないだろう。画面の向こうにはいっぱいいるぞ。

 ……と思ってもさすがに口にはしなかった。


「身長はどう?」

「身長?」

「涼花みたいに小さいか……私みたいに一六〇センチちょっとか」

「そりゃ、後者だ」


 後者はやけに具体的だな。


「ふうん。そう」


 また表情が少しゆるんだ。てか……質問極端じゃね? 身長も体型もその間のやつくれよ。


 こほん、と咳払いをする。


「私も、涼花と同じくらい、軽い」


 なわけねえだろ。高二女子と保育園児の体重が同程度なんて。

 そんなはずないだろうけど、じゃあ何キロなのかって聞かれたら具体的な数字はわからない。


「た、試してみる?」

「ああ、うん」


 どうやって? って聞こうとしたとき、俺の前に来てくるんと背を向けてあぐらの上に座った。


 恐る恐るといった様子で、ゆーっくりともたれかかってきた。


 ……何これ。


 状況がわからないでいると、雛形の耳が徐々に赤くなってきた。

 恥ずかしいならやるなよ!


 思った以上に雛形は軽かった。俺の足や胸など触れている部分は漏れなく柔らかい。

 女子ってこんなに違うもんなのか。


「どう……?」

「すーちゃんよりは、そりゃ重いけど」


 べしべし、と膝を叩かれた。


「思った以上に軽い」

「よかった」


 きぃ、と扉が軋む音がすると、隙間からすーちゃんがこっちを見ていた。


「しーたんが……りゅーくん、とる……」


 うるるる、と瞳を既にうるませていた。


 無言で立ち上がった雛形は、きっちり扉を閉め元の位置まで戻ってくる。

 俺のあぐらは、そんなに座り心地いいのか?


「雛形の、好きなタイプは何かあるの」

「紳士な人。優しくて、何か私がマズいことをしようとしていたら、本気で注意してくれる人」


 優しくて紳士ねぇ。

 そんなやつ、漫画の中にしかいないんじゃないのか。

 でもなんか具体的だから、タイプっていうより、好きな人を思い浮かべてしゃべっているってのはわかった。


 思いきり背中を俺の胸に預けた雛形が、「あったかい」とぼそりと言った。



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