第5話1-4風呂

「かしこましました」

 僕は反射的に硬直を解除しました。飼い主から命令をされたら逆らうことができない体になっていました。それは生存するために必要な思考と行動の回路であり、事実それができないことで屍になったものをよく見てきました。

「おや?名前の由来は聞かないのか?」

「聞いてもよろしいのですか?」

「どうしてそういう言い方になるのだ?」

 ご主人様は僕の言葉に耳を傾け首を傾けました。僕の言葉に疑問を持ったらしいですが、僕は何を疑問に思われたかわからないので考えをそのまま言うことにしました。僕はその傾いた目にをまっすぐ見ました。

「いえ、奴隷がご主人の言うことにいちいち聞くのは良くないと学びました」

「なるほど、それはすまない。では、こう言えばいいのかな?名前の由来を聞いてほしいです、聞いてください」

「はい。お伺いいたします」

 ご主人様のきこちない話し方は気になりましたが、頑張っている人を馬鹿にするのは良くないですし、そもそもご主人様を馬鹿にしたら奴隷の僕がどうなるかわかったものではありません。僕は思ったことを口に出さないことはもちろんのこと、表情にも出さないようにしました。しかし、それは捕らぬ狸の皮算用であり、僕は生きる手段として話さないことと表情を出さないことを習慣付けられたのです。

「これはな、3つの言葉の頭文字から取ったのだよ。奴隷のド・ペットのペ・家族のカ、からドペカ。いい名前だろ?」

「はい、すばらしき名前ありがとうございます」

「――家族とは、こういう会話でいいのか?」

「わかりません。僕には経験がないので」

 僕はよくわからないので無機質に淡々と対処していました。その話し方は歴代の飼い主たちに個性として見られていましたが、ご主人様はそのことを全く気にしていない様子でした。気にしているのは僕の名前だとか家族がどうだとか、歴代の飼い主が気にしなかったことばかりです。

「そうか、すまない。それよりも話は戻るが、お風呂とご飯のどちらにする?」

「どちらでも」

「君が決めてくれ」

 基本的に飼い主の命令を思考停止させながら実行していたので、自分で決めることがありませんでした。だから僕は今、すごく困っています。無い頭を動かして適切な言葉を思考の沼からサルベージしなければなりません。

「――では、先にお風呂で体をきれいにしてからご飯がよろしいと思います。そのほうが衛生的にいいので」

「わかった。先にお風呂にしよう」

「では」

「どこに行くのだ?」

 背を向けた僕の背中から槍で心臓を突き抜くようなご主人様の言葉。僕が動きを止めるに、何かご主人様の癪に障ることをしたのかと思い心臓が張り裂けそうでした。もう慣れたものですが、体をえぐられることは嫌なものです。

「先ほどこの部屋を見ましたら、こちらがお風呂場だと確認しましたので、お風呂を沸かそうと思いまして」

「いや、それは私がするよ。君はお客さんみたいなものだから、ゆっくりしていてくれ」

 僕はご主人様を理解できませんでした。奴隷に対して、自分がお風呂を沸かす・お客さん扱い・ゆっくりさせる、といったことをする飼い主は初めてでした。僕は何かを企んでいるのではないかを警戒しました。

「なるほど。では、見て勉強をさせていただきます」

「勉強といわれても、まぁ、好きにしたらいいけど」

 ご主人様は歯切れ悪く風呂場に向かいました。僕はその3mはある背中の後にトコトコと礼儀正しい犬のようについていきました。逆らいませんよとアピールするためにしっぽをする代わりの精一杯のアピールと習ったものです。

「なるほど、お湯が出るタイプですか」

「君が今までいたのは薪を焼べるタイプだったのか?」

「それもありましたが、要らなくなった奴隷を焼べるタイプもありました」

「うわぁー。何かすまない」

 大理石に囲まれた2畳ほどの風呂場で石の蛇口を捻りながらご主人様が申し訳なさそうに目を細めました。僕はご主人様にも感情があることをそこで初めて知りました。しかしわからないのは、ご主人様の感情です。

「何を謝るのですか。使えなくなった奴隷を焼べるのなんか当たり前ですよ」

「そうか。私が世間知らずなだけか」

「それよりも、お湯も貯まりましたよ。お背中をお流ししましょうか?」

「え?どうして?」

 ご主人様は何故か不思議がっていました。奴隷が風呂場でご主人様を洗う習慣を知らないようです。奴隷は初めてと記憶していますので、眉をひそめることは仕方ないです。

「どうしてって、ご主人様はお風呂に入られるのでしょう?」

「いや、君が入るのだよ」

「え?僕ですか?」

 僕は不思議がってしまいました。ご主人様がお風呂に入ることしか頭になかったので、死角から投げられた石が頭に当たった気分でした。僕が目と口をポカーンと開けたままでいたことを、ご主人様は見えないものを見るように眉をさらに深くひそめました。

「どうした?意外そうだな」

「いや、まぁ……お風呂に入ることはあまりなかったものでして……しかも、そういうときは大概一緒に寝るときだけでして……ということは今晩はそういう予定ということでしょうか?」

 僕は頭の中のいろいろな回路を繋げすぎて尿結石のように思考がつまりました。痛くなった頭の中には辱めを受けた日々が淡々と浮かび流れてきて、ご主人様の優しさはそこから来たものかと納得しました。しかし、全くそういう素振りがなかったので意表を突かれ、ありがたいことにまだ抜かれていない舌の呂律が回りませんでした。

「何を言いたいのかは分からないが、お風呂の入り方はわかるのか?」

「はい。まずはかけ湯をして……」

「最初は服を脱ぐのだよ。でも、今の君は服を着ていないから、君の答えが正解だ」

「――はい、かしこましました」

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