第4話1-3名前

「どうした?中に入らないのか?」

「中に入ってもいいのですか?」

 僕は石車という石が砕ける時のエネルギーで動く乗り物に乗せられて、石畳の二階建て一軒家に招かれました。そこは街中だが周りを空き地のような簡素な庭で囲まれて廃屋のようにポツンと建たせる造りでしたが、田舎の少し広い家という以外には特に印象はありません。僕は草が雑に生えているだけでガレージのように雨風をしのぐようなものがない庭に石車が雑に置かれているのを確認していました。

「どうしてだ?家は入る場所だろ?」

「いえ、今までは外で飼われていることが多かったので」

「そうか。それはすまない。中に入ってくれ」

「ありがとうございます」

 僕は中に入ったが、石のテーブルや椅子は特に石化した人間から作られているわけではないことを確認しました。メドューサの世界ではポピュラーだが人間側から見て悪趣味なものはご主人様の趣味ではないようです。そういえば、ご主人様は人間に興味がないと噂されていましたが、どういう心変わりで僕を飼おうとしたのだろう。

「では、さっそくだがご飯とお風呂、どちらにする?」

「僕はどちらもできます」

「何を言っているのだ?」

 ご主人様は不思議に思ったらしくて、車の鍵を石タンスに入れるのを中断して表情を変えずに怪訝そうな雰囲気でこちらを向きました。僕はご主人様が何を不思議に思ったのかがわかりませんでしたので、初対面のものに対してするくらい懇切丁寧に説明することにしました。頭の中で少し整理するために間を空けてから……

「今までの奴隷生活で、ご飯もお風呂もどちらもさせていただきました。ですので、どちらでも好きな方をさせていただきます。また、もしご主人様がご希望であるのならば、一緒に寝ることもさせていただきます」

「なるほど、奴隷根性というものか」

「さぁ、なんなりと」

 ご主人様は納得したように鍵を入れた棚を閉めました。僕は悪い印象をご主人様に与えなかったのかと自己採点しましたが、特に赤点要素は思いつきませんでしたので冷静でいれました。それなのに、一方で目の前のご主人様は何か言いたげなことを言葉にできないように口をパクパクさせて動揺していました。

「あのね……その……その……」

「何でしょうか?」

「そういえば、君の名前は何だ?」

 ご主人様から出た言葉に僕は意味がわかりませんでした。その言葉の意味自体はわかったのですが、僕にその言葉を言う意味がわからなかったのです。そんな言葉を、名前を聞かれることなんか今までなかったのですから。

「ご主人様がおつけになってください」

「そうではなくて、君の本当の名前だ」

「――ありません」

 僕は言葉を鉱物のように詰まらせました。そういう問答に慣れていないせいなのか、自分の言いたくないアイデンティティーに関わることなのか、僕の石のように硬い脳には刻めませんでした。それを水の底のような静かな目で見つめるご主人様でした。

「本当にないのか?」

「もしかしたらあったのかもしれません。しかし、生まれた時から奴隷生活で、番号で呼ばれたりしてきちんとした名前は記憶にございません」

「そうか。奴隷とはそういうものか」

「はい。ですので、ご自由にお呼び下さい」

 僕の提案を聞いて、ご主人様は腕を組み顎を上げて天井を向いていました。それはおとぎ話に出てくる月夜に水浴びをしている人魚のように美しいものでした。僕は久しぶりにメドューサに魅了されて石のように硬直しました。

「ふーむ。では『ドペカ』にしよう」

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