第14話 『変身』
山端がむかったのは、新トンネルの南側出口だった。
タイミングよく、乗用車が一台こちらへ走ってくる。
その目の前に山端が飛びだした。
運転手は人影を認め、ハンドルを切る。
そのせいで車体の左前がガードレールに突っこんでしまった。
車には、二十代の夫婦と、保育園帰りの幼女が乗っていた。
となり町の大型ショッピングセンターへむかう途中だった。
「お、おいッ! おいッ! 香苗ッ! だいじょうぶかッ?」
運転していた夫の純一が、助手席の妻にむかって声をかける。
「……う、うん。だいじょうぶ……」
ひたいからわずかに流血しているが、シートベルトのおかげか、軽傷ですんだようだ。
「ちーは?」
妻の香苗は不たしかな意識のまま、後部座席の娘、ちなつの心配をする。
自家用車をもっていない一家は、買いだしのたびに会社の営業車を借りてくる。
そのためにチャイルドシートを所持していないのだ。
安全運転を心がけていても、不意に何かが飛びだしてくるような急なアクシデントには対応しきれなかった。
運転席の純一がふりむく。
ちなつは目を白黒させているが、ケガはしていないようだ。
後部座席であっても、シートベルトをさせておいてよかった、と心底おもった。
「だいじょうぶだ。すこしびっくりしてるが」
「そう……よかった……」
両親の会話が聞こえて我にかえったのか、娘のちなつが、えーんえーんと泣きはじめた。
すぐにお母さんに抱きしめてほしかった。
お父さんに頭をなでてほしかった。
でも体を締めるシートベルトのはずしかたがわからない。
運転中に自分ではずさないように、両親があえて教えていなかったのだ。
全身から冷や汗をふきだしながら、純一があたりを見まわす。
後続車はきていない。
対向車もいない。
もとより交通量のすくない通りだ。
追突事故などの心配はないだろう。
家族は無事だ。
だが、飛びだしてきた男はどうしただろう。
はねてしまっただろうか。
周囲に姿がなく、確認できない。
はねたひょうしに、遠くまで飛んでいってしまったのか。
とにかく、家族を優先させよう。
香苗は頭をケガしている。
すぐに救急車を要請しよう。
同時に警察にも。
そうかんがえを整理していたときだ。
「あッ!」
声をあげた。
男だ。
運転席の窓に、男の顔がへばりついている。
いつのまにかそこにいた。
いや、車体の陰になって見えなかっただけかもしれない。
男はニタニタと不気味に笑いながら車内をのぞきこんでいる。
目を見ればすぐに、正常な人間ではないとわかる。
「ひッ!」
香苗はその異様さにみじかい悲鳴をあげた。
泣きじゃくっていたちなつも、ぴたりと泣き止む。
男は笑いながら、べろべろと窓ガラスをなめはじめた。
白く、汚らわしいツバが糸を引いている。
なんだろう、この震えは。
本能の奥底から寒気がする。
魂が警鐘を鳴らす。
命の危機なのだと直感できる。
円満を絵に描いた罪のないこの夫婦も、山端にとってはあらたな獲物でしかない。
うまそうな女と子供を見て、殺意をおさえられない。
刃を突き刺して、その鼓動を感じたいのだ。
「こいよッ! おんッ? でてこいよッ!」
運転席の純一にむかって山端がいう。
恐怖でガタガタ震えながら、純一の腕をつかむ香苗。
「け、警察だッ! はやくッ!」
純一の声に香苗はうなずき、あわててケータイを操作する。
だが、
「……えッ? えッ? どうしてッ?」
香苗がうろたえる。
なぜかケータイが正常に動かない。
「ふかかかッ!」
あわてふためくふたりを見て、山端が大笑いする。
マガタマのせいである。
山端が能力を発動させているせいで、精密機器に異常がでたのだ。
霊のでる場所では、カメラのシャッターが切れなくなる、という現象に似ている。
電磁波を利用するものはその不具合が顕著である。
農業高校の防犯カメラが正常に動かなかったのもおなじ理由だ。
「さて」
山端はひとりごち、ずッ、と右手の刃を運転席のドアに突き刺した。
刃はなんの抵抗もなくドアを貫通し、そのまま純一のふとももをえぐる。
「ぐぅわぁぁぁぁッ!」
車内で悲鳴があがった。
「じゅ、純ちゃんッ!」
血しぶきが車内に飛び散る。
「でてこいよ、おんッ? じゃなきゃ、黒ひげ危機一発みてぇなことになるぞッ? おまえもッ! おっかあもッ! 娘もよッ!」
ふかかか、という不気味な高笑い声がその場を支配する。
出血がひどく、見る見る顔が青ざめていく純一。
夫の名を何度も呼ぶ助手席の香苗。
その耳に、
「あ! あー!」
愛娘ちなつの声が聞こえた。
恐怖より、歓喜に近いその声色に、
「えッ?」
香苗は一瞬、後部座席に目をやる。
「おにーちゃんだよ。おにーちゃん。ほらッ!」
つたない口ぶりでいい、ちいさな指先を車外へむける。
娘のちなつにうながされ、香苗が目をやる。
「おん?」
その視線につられ、山端も自分の後方をふりかえろうとした刹那、
どぐォおんッ。
という突然の衝突音とともに、山端の体が大きく吹き飛んだ。
「がほぅッ!」
山端から苦悶の声がもれた。
そして何度も地面にバウンドしながら、新トンネルの内部へと転がっていった。
「しゅごーい! しゅごーい!」
涙と鼻水をたらし、歓声をあげながら、ちなつはパチパチと手をたたく。
凌羽だ。
そこにあらわれたのは、凌羽だった。
運転席の純一も、助手席の香苗も救世主の登場に、涙をうかべる。
「たすけてくださいッ! どうかッ、どうかこの子だけでもッ!」
手をあわせる香苗。
そんなさまをいちべつする凌羽。
その表情に温和な要素は一切なかった。
鬼神のような目つきだ。
懇願していたはずの香苗は凍りついた。
もうひとり、殺人鬼があらわれたのかとおもうほどだった。
凌羽は、ぷいっと視線のさきを変え、新トンネルの方向を見つめた。
そして、
「おいッ、くそオヤジッ! つまみ食いなんかしてんじゃねぇぞッ!」
吠えるようにいって、好戦的な笑みをうかべる。
その右拳には、メラメラと燃える、青い炎がからみついていた。
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