第10話 『朱雀 奈々未』
ぱん、ぱん――。
二礼二拍手一礼。
毎月一回はかならず、時間を見つけて氏神様に手をあわせる。
それが彼女の習慣になっていた。
境内にはきよらかな空気が満ち、心を落ちつかせてくれる。
どうか凌羽が無事でいますように。
おみちびきください。
心の中で、そう祈った。
凌羽が行方不明になってからもう、数日がたっている。
内閣情報調査室、特殊事案課。
通称〈特事〉から依頼された仕事は本来、ふたりひと組で行動しなければならない。
人外の力をもつ者と対峙する可能性があり、当然、危険をともなうからだ。
だが今回、奈々未は凌羽に同行しなかった。
大好きなユニット、ヴィジュアル・ショッカーズのライブにいくという、個人的によんどころのない事情があったからだ。
これまで、能力者を探すために現地をおとずれても、出会えないことのほうが圧倒的に多かった。
そのため、今回もただの愉快犯だろうと奈々未も凌羽もかんがえていた。
調査もきっとからぶりし、徒労に終わるはずだった。
しかし、その安易なかんがえのせいで凌羽は危機的状況におちいったとおもわれる。
特事への定時連絡がない。
奈々未からのメールにも返信がこない。
電話もいっさい通じない。
ケータイの位置情報を追跡しても発見にはいたらず、特事のスタッフが秘密裏に探索しても、やはり凌羽は見つからなかった。
公園の植えこみの奥に、こま切れになって捨てられているなどと露ほどもおもわなかったのだろう。
彼の能力を知る奈々未が〈凌羽の完全な死〉という最悪のことをかんがえることはなかった。
だが、それでもひどいケガをして苦しんでいるのかもしれないという心配と、当日ひとりで現場にむかわせてしまった後悔の念にかられていた。
すぐに探索にいこうとおもったが、特事から許可がおりなかった。
凌羽にもしものことがあったのだとしたら、奈々未にも危険があるからだ。
さらには凌羽の能力をかんがえると、生存している確率はたかい。
特事本部としては、その可能性に賭けることにしたのだ。
だが、それでもなんの音沙汰もない。
十日待って、奈々未はガマンができなくなった。
特事の意向とちがう行動をとるということは、なにかしらのペナルティがあるだろう。
だがそれでもかまわない。
凌羽を探しにいこう。
そう決意して今朝、奈々未は家をでた。
そして駅へむかう道中、氏神様におまいりしたのだ。
参道をもどるとき、父にいわれたとおり、中央は歩かぬようにした。
なんでも参道の中央は〈正中〉といい、神様のとおり道らしい。
鳥居をでてふりむくと、本殿に頭をさげてから石段をおりる。
「……あれ、朝からおまいりかい?」
ちょうど入れちがいで石段をあがってくるおじいさんに声をかけられた。
門前通りに住む顔見知りの老人だ。
「あ、おじいちゃん、おはよう。ヒザが痛いのはもう治ったの?」
「おうおう。こうして階段も登れるよ」
ヒザを軽くたたいて見せた。
「へえ、よかったですね。神様におねがいしたのがよかったのかな?」
「ああ。奈々未ちゃんがたのんでくれたんが効いたのかもな」
「そっか。じゃ、また痛くなったらいってくださいね。私がおねがいしにきますから。……でもぉ~、ちゃんとお医者さんにもいってくださいよ。そっちのほうが確実に治るとおもうし」
「あはは。わかったわかった。奈々未ちゃんにはかなわんよな」
ほがらかな笑い声をあげる。
「それじゃあね、おじいちゃん」
笑顔でそうつげて、勝山市をおとずれるために駅へとむかった。
朱雀(すざく)奈々未(ななみ)。
少女の名である。
純白のセーラー服と緋色のスカート。
胸もとのスカーフネクタイもスカートとおなじ色だ。
オレンジ色のリュックを背負い、長くすらっとした足には、厚手の黒いレギンスをはいている。
今年、高校三年生になったばかり。
さびれかかっている商店街も、奈々未が歩けばにわかに活気づく。
年をとった店主たちも笑顔をうかべ、奈々未に声をかける。
少女もくったくのない笑い顔であいさつをする。
老人たちはたったそれだけのことで、日々のちいさなストレスが霧散するのだ。
奈々未のあかるい笑顔が年寄りたちの心をあたためる理由は、そのやさしくすずやかな表情にいやされるからだけではない。
彼女の過去を、知るからだ。
それは奈々未が小学校五年生のときのこと。
母の誕生日を記念して、両親と姉の四人でハイキングへいった。
ゆるやかな丘陵を進み、見はらしのいいその場所で昼食をとることになった。
母親が持参した弁当をひろげると、空腹だった姉妹はサンドイッチをほおばる。
そんなさまに、父も母も行儀が悪いでしょ、と笑った。
家族四人の、しあわせなひとときである。
事件は食後、父が簡易トイレに立ったときにおきた。
崖に咲く花をとろうとした奈々未が足をすべらせてしまい、滑落したのだ。
前日まで降っていた雨で足場がゆるくなっていたせいらしい。
そして、奈々未をたすけようとした姉も母もおなじように転落した。
父親が悲鳴を聞いてもどってきたときにはもう、三人は谷底で血を流していた。
母は即死。
姉は頭部を打って、今もなお意識不明の状態。
そして奈々未も大ケガをしてしまった。
奈々未が摘もうとした崖の花。
それは、母への誕生日プレゼントにするつもりだった。
少女に刻みつけられた深い傷。
母を死なせ、姉を意識不明にさせてしまった、というまるで苦行のような自責。
そんな過去を乗り越えて、彼女はあかるく笑うのである。
笑おうとするのである。
商店街の人々は、奈々未の背負うものにくらべたら、自分の日常がどれほどささいな不満しか生みださないのかと、いましめられるのだ。
門前通りの商店街を抜けると、もよりの駅が見えた。
西武新宿線、東伏見駅。
駅のすぐ脇には大きな鳥居がある。
町のシンボルでもある。
待っててね、凌羽……!
きゅっと唇を噛み、奈々未は構内へと入っていった。
朱雀市夫。
奈々未の父。
内閣情報調査室、特殊事案課の課長であり、身よりのない凌羽を支援している人物でもある。
幼少のころ、凌羽は施設でくらしていたが、奈々未とよく遊ばせた。
ふたりは同時期に家族を失っていたことから、傷をかばいあい、支えあい、仲の良いおさななじみになったのだ。
事故後、しばらくの間はふさぎこんでいた奈々未だが、似た境遇の凌羽と過ごすことで、しだいに悲しみにとらわれていた心は氷解していった。
自分の軽率な行動が引きおこした悲劇のせいで、家族が不幸になったとずっと暗く沈みこんでいた毎日。
父が仕事にでれば、誰もいなくなる沈黙の家。
重い静寂がぎゅうぎゅうづめになる、ひとりぼっちの部屋。
そんな少女のかたわらに、ただただよりそっていてくれる凌羽という少年が、いつしか血のかよわなくなった〈生きながら死んでいた心〉にぬくもりをあたえてくれていた。
誰かがそばにいる、という意識が、わずかずつ、奈々未を変化させてゆく。
種から芽がでて、やがて葉を開くようにゆっくり。
だが確実に。
泣いていても天国の母はよろこばない。
引きこもっていても病院にいる姉の看病はできない。
そう心の中でくりかえし反芻して、すこしずつ生きる希望を見つけだしていった。
ほそい糸をからみあわせ、やがて太い綱にしてゆくように。
ある日。
父におこづかいをもらって、凌羽と買い物にいった。
事故以来はじめての外出だった。
白い花を買った。
あの日あげられなかった母への誕生日プレゼントだ。
きれいな花束を母の遺影の前にそなえると、
「お母さん……。たすけようとしてくれてありがとう。わたし、笑うね。笑えるようになるからね……」
そう誓って、大つぶの涙をボロボロとこぼした。
声をだして泣いた。
そのときも、凌羽はそばにいた。
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