第8話  『生贄』


かしゃん、けしょん、こしょ。


かしゃん、けしょん、こしょ。


それはさびついた古い自転車だった。


たるんだチェーンのせいだろう、若い警察官が必死にペダルをこぐたびに騒音をまき散らす。


廃トンネルに全裸の変質者が出没したとの一報を受け、現場に一番近い派出所から急いできたのだ。


彼は警察官になりたいという子供のころからの夢を叶え、いつもやる気と情熱に燃えていた。


そんなおもいがせかせたのか、パトロールにでている同僚を待たず、たったひとりで現場におとずれたのだ。



ギっきィィッ。


効力のうすくなったブレーキをにぎりしめると、スタンドを立て、フェンスの裂け目からトンネル内部に侵入した。


懐中電灯の光をたよりに奥へ進む。


さすがに心霊スポットだけあって、昼間であってもかなり不気味だ。


たったひとりで乗りこんできたことを後悔した、そのときだった。


最奥部から入りこむ逆光に、全裸の男が浮かんで見えた。


見つけたのと同時に、急に緊張してきた。


たかが変質者ではあるが、ひとりで犯人を逮捕したことはない。


いつもは派出所の同僚や先輩と行動を共にしている。


しかし今はひとりである。


ひとりであの男に職務質問をし、場合によっては逮捕しなければいけない。


そのとき、全裸男のかたわらに立つ、ずんぐりむっくりしたガニマタの男にも気がついた。


仲間か? 


それとも変質者を捕まえようとしているのか?


どちらにせよ、とりあえず現場の状況を無線で知らせようとした。


瞬間。


ぴったり目の前。


そこに男の顔があった。


急にあらわれたように、そこにあった。


さっきまで全裸男のそばにいたガニマタの人物だ。


鼻息がかかる距離である。



「え?」



警官の思考が止まったとき、



「――逃げてッ!」



全裸男が、がらがら声で叫ぶ。


刹那。


ぞうッ。


聞きなれない音が、警官の体内で生まれた。


同時に、無線機をつかもうとした右手が、胸もとから動かなくなった。


すぐに状況を理解した。


目の前の男がのばした刀のようなもの。


それが、自分の右手と右胸をつらぬいているのだ。



「ぐッふァああああああッ!」



警官は生まれてから今日まで、一度も発したことのない声で絶叫した。


凶刃が警官の腕と体をつらぬいたまま、ぐりゅ、っと九十度まわる。



「ぎゅおおおッ!」



灼熱のような激痛が走った。



「も、もうやめてくださいッ!」



腹式でむりやりだした全裸男――凌羽の懇願が、トンネル内にひびく。


だが刀の男――山端は無視をしたまま返事もしない。



「――くあッ、はがぁッ!」



よだれをたらしながら苦悶する若い警官の横顔をまじまじとながめ、



「……まずいだろぉ~、無線なんか、おん? 応援なんて呼ばれたらめんどうだからなぁ」



そういって、やさしく笑いかけた。



「ぐくくッ、こののののッ!」



恐怖と使命感でごちゃまぜになった頭で、警官は山端をにらみつける。


そして現状打開のために拳銃をつかもうと、左手を右腰へのばす。


がたがたとはげしく震える左手。



「あは。あはは。だな。だよな。それしかないよな。その拳銃でオレを撃ち抜きゃ、なんとかなるかもしれねェもんなぁ」



笑顔を浮かべる山端は、ズボズボとさらに刃を深く突きこみ、左右にねじるようにかき回す。


そのたびに血液が吹きだし、ぐるッちゃ、ぐるッちゃ、とイヤな水音がした。



「あばばばばばばばッ!」



警官は白目をむき、悲鳴なのか警告なのかわからない声をあげる。


右腕の骨はすでにくだけた。


皮だけでつながり、空中ブランコのように、ぶらぶらとしてもげかけている。



「早く拳銃を抜いてみろよ、おん? はーやくしないと、出血多量で死んぢゃうぞーん」



山端がおちゃらける。 


刃はすでに、警官の肺に達しているようだった。


ごぶっごぶっ、とセキこむたび、口や鼻から細かい血のあぶくがあふれてくる。


酸欠気味の体にはもう力がなく、ガクガクとヒザがゆれる。


山端と警官のふたりの図は、モリを突き立てられた魚と、それをもちあげる漁師のようであった。


なんとかしてたすけなければ、とおもう凌羽だが、体がきしんで自由に動かない。



「なあ。なあよ。スプーン曲げとかするヤツって馬鹿らしいとかおもわねえか、おん?」



返事をしなくなった警官の体を前後にゆする。


そのたびにびゅうびゅうと血がふきだした。



「アイツらさ、自分のことを超能力者って呼ぶんだぜ? 裏がえしのカードを当てたりするだけで得意げにヨ。けどよ。そんなモン、力こめりゃスプーンくらい曲げられるしよ。ひっくりかえせば数字もわかるわな……。普通に誰でもできることをよ、わざわざ時間かけて、遠回りしてよ、念力ですって、……なんだそりゃって感じだろ、おんッ?」



警官の両目が別々の方向に向いて、山端で視線をむすぶことはなくなった。



「オレ、ガキのころから不思議だったんだ。だってよ、〈超〉だぜ、〈超〉ッ。〈超〉ってのはよ、誰にもできないことをするから、〈超〉だろ? けどよ、スプーン曲げだのカード当てなんてよ、スケールが小さくて〈超〉ぢゃねーだろって。あんなもんは〈ぷち〉だよ、〈ぷち〉。〈ぷち能力者〉だよ。だーはっはっは!」



持論をぶちあげ、山端は笑う。



「……けどな、オレのはちがうんだなァ。あんなみみっちい能力とは雲泥よ、ウンデイッ。わかるだろ、おんッ?」



興に乗った山端は、さらに話しかけた。


当の警官は失禁しながら、すでに意識を失くしている。



「……つまんねえの。死にかけてやがる……」



そう吐き捨てた刹那、山端の凶刃が弧をえがく。


すると、太い血の束がトンネルの天井にむけて一直線に放出された。 

 

刃の虜になっていた若い警官はようやく解放され、どちゃり、と地面へ落ちる。


しばらくはビクンビクンと痙攣していたが、すぐに動きをやめた。



「あはぁ~。あははぁ~。やっぱりだめだ。たまんねえ。もう。もう。止めらんねえよ」



山端は虚空を見つめ、うすら笑いをうかべている。



「……刃物じゃねえんだよッ! こりゃぁオレの爪なんだよッ! 血の温度もッ! 内臓のどくどくもッ! ダイレクトにオレの脳髄に伝わってくるんだよッ! おまえにはわかるかッ、おんッ?」



いい切ると、ぐるりッと凌羽の方にふりかえり、刃をむける。


頭からつま先まで、返り血でびしょ濡れになった山端。


その眼はもはや、人間のものではなかった。



「なあ。どうしてこんな残酷なことができるか不思議だろ、おん? オレもそうおもってたんだよ。一応刑事だしな。だが、殺(や)りたくて殺りたくてしかたねえんだ。……でよ、気づいたんだ。じつは誰でもみんな、同じようなことをやってるんだってなッ」



「……えッ?」



血のしたたる右腕をべろべろ舐めながら、ゆらゆらとこちらへあゆみよる。



「たとえばな、トマトの湯むき……。魚の三枚おろし……。ドブネズミの駆除……。犬や猫の殺処分……。ぜんぶ、ぜーんぶ、残酷なことこの上ないのに、毎日毎日、世界中でくりかえされているんだぞ。トマトの国があったら? 魚の国やネズミの国があったら? そいつらは人間を憎むだろうな、おん? どうしてそんな残酷なことができるのかってなッ! 犬や猫がしゃべれたら? 涙をあふれさせて命乞いすんだろなッ! もうしません、いい子にします、たすけてくださいってなッ!」



かつり、こつり、と一歩一歩凌羽に近づきながら、今度はゆがんだメルヘン持論をしゃべりだした。


凌羽は刀の間合いに入らないように、なおかつ刺激しないように、なんとかトンネルの南側で口までいこうとゆっくりとうしろ歩きをする。


回復しきっていない体がきしむ。



「だがよぉ、そんなこと、微塵もかんがえない。……なぜか。……かんたんさ。だってよ、人間はトマトじゃねえし、魚でもネズミでもないッ。だからなにも感じないのさ、残酷さなんてよッ!」



興奮状態の山端は、口のへりから泡を吹いていることに気づかずつづけた。



「同情も、あわれみも浮かばない。それどころか、じゃまでうっとうしい命ってのはよ、うばったところで罪悪感のカケラも浮かばねぇんだよッ! ……でよ、ああ、オレもそうなんだ、っておもったんだよ。んふんふんふ……」



山端はいやらしく笑う。



「ああ、もうオレは……人間じゃあないんだな~って。……だから、こりゃあ殺人じゃなくて、分解なんだなッ。調理なんだなッ。処分なんだなッ。オレはよぉ、人を超えたから、もう、人間ごとき解体しても、あわれみなんて感じないのさッ! わかるか、おんッ? オレにとっちゃ人間なんて、大量のはらわたがつまったズダ袋よッ! にじるのもッ! たたきにするのもッ! 生殺与奪はッ! オレに一存されるんだよッ!」



山端は刀の切っ先を足もとのアスファルトに当て、引きずりながら歩く。


がりゃがりゃがりゃ、という音とともにうす暗いトンネル内に火花が散る。



「なにせ、オレは……神ィィッ! だぁ~からなッ! ふきゃきゃきゃきゃッ」



五十をすぎた男の、不快な高笑いがトンネル内にひびく。


すこしずつすこしずつ、凌羽はあとずさりをくりかえし、トンネルの南側で口までたどりつけた。


だが、トンネルの外へはフェンスにふさがれていてでることはできない。


やせほそった凌羽の背中に、ぽっ、とすこしだけ午後の日ざしが当たった。


しかし、日ざしはおもったよりも弱かった。



「……おまえよぉ。そうやって逃げようとしたってよぉ。オレのジャンプ一発で、あっというまに距離をつめられるってわかってんだろ? しかもよ、おまえのうしろにはフェンスがあんだぞ。無駄なことはやめておけよな、おん?」



こきこきと首をならしながら、山端はあきれる。



「……それよりも、おまえよぉ。……おまえも、そうなんだろ?」



山端が左手で指をさす。



「え……?」



急な問いかけに凌羽がとまどう。



「……そうやって生きかえってきたってことはよぉ、おまえもオレとおなじ、マガタマの能力者なんだろ……?」



フェンスにもたれた、逆光の中の凌羽に問いかけた。



「……え、ええ。たしかに。あなたのいうように、ボクも、神威を使えます……」



「くかかかッ! やっぱりッ、やっぱりそうだよなッ!」



山端は凌羽を指さし、駄菓子屋のクジ引きに当たった子供のようによろこんだ。



「で、そのチカラはあれだ、〈生きかえる〉ってやつか、おん?」



「ええ。まあ……そんなとこです」



肯定される自分の予想に、うんうんとうなずきながら山端はうれしがる。



「くひひ。……そうかそうか。じゃあ高校生なのに、おまえが内調で仕事ができるのは、その能力のおかげなんじゃねえのか、おん?」



「はあ。ええ。ですね……」



「わきャッ! わきャきャッ! おらッ、そうだろッ、そんなことじゃねえかとおもったんだよ。てめえみてえなガキが普通、内調にいられるわけがねえもんな、おんッ!」



この口ぶりから、自分より上の組織に在籍している凌羽に嫉妬していたんだとわかった。



「じゃあよ、おまえんとこの組織の連中ってのは、マガタマを使える人間たちってことなんだろ? おん?」



「ええ。まぁ、そうですね……」



この場でくわしく説明するのをはぶき、とりあえず肯定した。



「じゃあ、オレもなれんのか?」



「……え?」



「内調の人間に、オレもなれんのかっつーんだよ? だってよ、チカラ使えるしよ、給料いいんだろ?」



「え……。給料ですか? ……時給800円ですけど……」



「時給って、……バイト? おまえ、アルバイトッ? 金額低いしッ!」



「はあ。そうなんですよね。近所のマルエツで募集してた品出しのバイトのほうが時給いいんですよ……。でもしかたないんです。お世話になったかたへの恩がえしもあるので……」



ため息をこぼしながら、肩を落とす。



「悪いことはいわねぇ、やめたほうがいいな。割にあってないだろ、おん? 命すれすれで仕事して、その金額じゃあな……。同情するぜ」



山端は左右に首をふりながら、凌羽をあわれんでいる。



「……ところで。もう。あきらめたのか……?」



「え?」



「オレが警官を殺してからよ……、おまえはトンネルの奥までうしろ歩きをしていたよな? だがもう、今は動くそぶりを微塵も見せていない……。フェンスにはばまれているのに、わざわざそっちへむかうはずもない……。だとしたら〈そこ〉になにかあるのか……? だろ?」



一連の行動の、不自然な部分を山端に指摘された。


み、見すかされたのか……?


山端の言葉に凌羽の顔が引きつる。




 

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