第7話 『全裸』
全裸男の正体がわかり、山端はよろりとあとずさる。
「ど、どうして……。まさか……幽霊かッ?」
うろたえる山端に、
「いえ……。い、生きてます、……何とか……ね……」
全身はゆらゆらとゆれ、まさに風前のともしびのようである。
だがその目には力があり、しっかりとした視線を送ってくる。
「バ、バカな……ッ、たしかに刻んでやったはずだろ……ッ?」
「え、ええ……たしかに……」
レンガの壁に手をついたまま返事をし、ふぅふぅと肩で息をする。
変わりはてた凌羽をまじまじとながめながら、
「……あッ! そうかッ! そうだったのかッ!」
山端がひらめく。
「おまえもッ! おまえもだったのかッ……!」
合点がいったようにひとりうなずく。
そのとき不意に、しゅしゅるる、と金属のこすれる音がした。
あ。
この音。
このあいだ、ボクが殺される寸前に聞いた音。
凌羽がおもいだす。
警戒心をもった凌羽の眼球がかすかに動き、その音の発生元を探る。
すぐわかった。
山端の右手が変だ。
五枚のツメが銀色に光り、すこしずつのびている。
「……まさかなぁ、二回もおなじ人間を刻むとはおもってもみなかったよ……」
ふふん、とあきれたように鼻で笑う。
さきほどまでの狼狽ぶりはすっかりと消えていた。
それどころか、顔には笑みをはりつかせている。
その表情にはドス黒い悪意がこもっている。
しゅるりる、しゅるり。
のびた五枚のツメはグルグルとからまりあう。
そして変形した。
ひとふりの刀に、変形した。
「さて、理解したか? この右手の刀が家畜共とホームレス、そしておまえをぶった斬ってやった刃物の正体さッ!」
自慢げにいいながら、右手を、ぐるぐるとまわす。
「ふかかか。ドタマをぶんなぐって気絶させた家畜共をよ、一頭ずつはこびだしてな、チェスの駒みてえにかざってやったのよッ!」
満面の笑みを浮かべ、山端はさらにつづける。
「ためしてみたくなったんだよ、このチカラがどのくらいのものかをよッ。牛やブタたちをかんたんにもちあげられたときには興奮したぜぇ!」
くりかえしになるが、ブタの体重は、約百キロから百二十キロ。
乳牛の体重は、約六百キロから七百キロほどある。
当然、人ひとりでどうこうできる体重ではない。
「……すげぇぞッ、オレの力、すげぇぞッて、叫びたくなったぜッ!」
山端のテンションがはねあがっていく。
急に、うすら寒い瘴気があたりにただよいはじめる。
ごくり。
凌羽はかわいたノドで、わずかしかでてこないツバを飲み落とすと、
「やはり、あなたは、呪われている……」
静かにいった。
「呪いだと……?」
山端がみけんにシワをよせた。
「死界の女神イザナミは、呪っているんですよ、人間を」
「どういうことだ? 話が見えねぇな」
凌羽のいってることがわからない。
「死界に住むイザナミは、夫であったイザナギを憎悪し、イザナギの住んでいる地上を滅ぼそうとおもい立ちました。……そして、毎日毎日、千人の人間を殺す、という呪いをかけたんです」
「……?」
「そして〈千人殺シ〉と呼ばれるその呪いをはたすのが、山端さんのように一度死にかけた人間、なんです」
「……オレのような?」
「ええ。死に近づいた人間の心をからめとり、マガタマをあたえることで自分の手駒として利用するのです」
「じゃ、オレが殺しの衝動をおさえられないのは――」
「――はい。その呪いが心を侵食しているからです!」
きつい目つきで山端を見る。
だが、
「へぇ~。あ、そう。……ま、べつに、呪いだろうが、千人殺シだろうが、いまさらどうでもいいことだがな……」
凌羽の説明はなかなかショッキングであったが、山端は軽い返事をかえした。
さして気にかけていないようだった。
そして、
「ああ、そういやおまえにさ、聞き忘れていたことがあったんだ」
おもむろに話題を変えた。
「〈フツヌシ〉って名前がなんなのかってやつさ……。ま。聞く前におまえを殺っちまったからしかたないやな。……だからな、あれから自分で調べてみたぞ。ありゃあ神様の名前だったな。刀の神様。で、納得いったよ。オレの爪がこんな感じになる理由がな」
ひゅㇽん、ひゅルㇽん。
凌羽の目の前で右手の刃をふりまわして見せる。
その笑い顔は無邪気な子供のようでもあった。
〈フツヌシ〉とは刀剣の神の名前である。
藤原氏の氏神としてあがめられ、勝運をもたらすとされ、千葉県香取市の香取神宮や奈良県奈良市の春日大社にまつられている。
山端はそんな徳のたかい〈フツヌシ〉のチカラ、〈神威(しんい)〉を悪用しているのである。
凌羽は山端の発する威圧感に、じりじりと後退し、距離をとろうとする。
「ふふん……。おめぇな、オレのこの姿見て、今さら見逃してもらえるとでもおもってんのか? おん?」
ずんぐりむっくりした、ポロシャツガニマタ男が笑う。
人間の運動能力など、神威を開放した者にくらべれば、ナメクジとライオンほどの差がある。
凌羽もそれは重々承知している。
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