第18話  『飴玉』


新トンネルの南側出口から二百メートルほどはなれると、ゆるやかなカーブが見えてくる。


そのさきに救急車と二台の黒いセダンが止まっていた。


黒いスーツを着た十人ほどの特事のスタッフが一列に並んでいる。


そのうしろに救急隊員が待っていた。


もしも山端が襲ってきた場合、特事のスタッフたちが身を挺して救急隊員たちを守るための配置である。



そんな一同が奈々未たちの姿を認めたようだった。


救急隊員はストレッチャーを押して駆けつけ、大ケガをした純一を連れていった。



「ありがとう。ほんとうにありがとう」



妻の香苗が奈々未の手をとって礼をいった。



「いいえ」



と笑顔をうかべながら首をふる。


奈々未のセーラー服は、純一の血で赤黒く汚れている。


気づいた香苗が、



「あ、ごめんなさい。制服、汚してしまって。弁償させてもらうから、電話番号おしえてください」



もうしわけなさそうに頭をさげた。


奈々未にとっては慣れたもので、さして気にもならない。



「だいじょうぶですよ。いつものことですから。それより早く旦那さんと病院に」



奈々未は香苗をうながす。


救急隊が出発の準備を終えたようだ。


それに気づいた香苗は、



「そ、それから、あのお友達に、あやまっておいてください」



せかされるように早口でいった。



「さっき物を投げつけたり、蹴ったりしちゃったから……」



そういわれて奈々未は、



「ああ」



とうなずく。



どうせ凌羽がそっけない態度か、感じの悪いいいかたをしたのだろう。


それで誤解をあたえたのだ。


敵意があるとおもわせてしまったのだ。



「いいんですいいんです。どうぞお気になさらずに。わたしもたまに蹴ったりなぐったりしますから」



「え? はぁ……」



あいそ笑いをしながら返事をする奈々未に、いったいどういう関係なのだろう、と香苗はおもった。



「それじゃ、わたし、いきますので。奥さんもはやく救急車に」



頭をさげ、立ち去ろうとする奈々未に、娘のちなつが、



「おねーちゃん」



とかけよる。



「ん? なーに?」



かがみこんで返事をする。



「これ、あげる」



ちなつのちいさな手に、ピンク色の包みに入ったキャンディーがふたつあった。



「わ。いちごみるく味? おいしそう」



奈々未はおおげさによろこんでみせた。



「いっこは、おねーちゃんの。で、もういっこは、さっきの、おにーちゃんの」



「そっか。ありがとう。凌羽もよろこぶよ」



「うん」



くったくのない表情でちなつが笑う。



「ちー、いくわよ」



香苗が救急車のかたわらで声をかける。


純一の搬送先に同行するのだ。



「うーん!」



返事をして母親のもとに走っていった。


入れかわりに、黒いスーツを着た男が奈々未に近づく。


特事のスタッフである。



「奈々未おじょうさま……」



「……う」



そう呼ばれるたびに、こっぱずかしくなる。


奈々未の父親が特事の課長であり、スタッフたちはその部下であるのだから、そう呼ばれるのはしかたないだろう。



「戦況はいかがですか? パートナーは本調子ではないそうですが」



トンネル内で戦う凌羽のことだ。


状況次第では、スタッフたちも次の展開をかんがえなければならないのだ。



「だいじょうぶです。さいわい対象のおじさんはまだ覚醒していません。神威を発動させた凌羽には手も足もでないでしょう」



そう返事をした奈々未の目に、走りだした救急車が見えた。


その前を、特事スタッフの乗った黒いセダンが一台、走っている。


救急車を先導するためだ。


まにあってよかった、と奈々未は心底おもった。


もし、純一が命を落とせば、娘のちなつは自分とおなじように、さみしくつらい日々を過ごさなければならなくなるからだ。



「おじょうさま、お車へどうぞ。トンネルまでお送りいたします」



黒服の男が手のひらを見せて車の方向へうながす。



「いえ。すぐそこですからひとりでいきます。ここで待機していてください」



そういい残し、かけだした。




凌羽が負けるはずはない。


だいじょうぶ、だいじょうぶ。


そう自分にいい聞かせるように心の中で反芻(はんすう)する。


それなのになぜか、ドキドキする。


あの親子の家族愛を見て、心の奥にあった古い喪失感を刺激されたようだった。


失いたくない。


もう誰も失いたくない。


母の命のように。


姉の意識のように。


凌羽を失いたくない。



奈々未は走った。


そしてすぐ、トンネル内に立つ人影が見えた。


人影はひとつ。


ふらふらと、まるで陽炎のように、ゆれながら立っている。



「凌羽ァーッ!」



走りながら、おもわず叫んでしまった。


その声に反応して、人影がゆっくりとふりむく。



「……やぁ、奈々未さん……」



温和な笑顔を浮かべ、どすん、と地べたに座りこんだ。



「やだッ! どうしたのッ!」



すぐかたわらにかがみこむ。



「いやぁ、奈々未さんが見えたら急に力が抜けちゃって。……安心したからかな……」



凌羽はうつむいたまま、くすり、と笑った。



「もう」



さきほどから凌羽が見せる温和な表情から、すでにオオナムチの神威を発動していないのだ、と判断できた。


無事でよかった。


安堵してため息がこぼれた。



「……で、おじさんは?」



聞きながら、トンネル内部に視線をむける。


山端はうつぶせになったまま、ぴくりとも動かない。



「気絶してます。精も根も尽き果てたのでしょう」



凌羽が力なく答えた。



「回復したばかりでよくがんばったね」



奈々未は凌羽をほめてやる。



「約束しましたから。あの女の子と」



ちなつのことだ。



「それに、トビオさんのお友達もくやしがっていましたし。トンネルの中で殺された警察官だって、あの状況をなんとかしたかったはずです。それに、それ以外にも――」



「うん。わかった。もういいよ」



疲労困憊で、はぁはぁ、と肩で息をしながらも、まだなにかいおうとする凌羽を、奈々未が制した。


きっとこのあと、山端の餌食になったほかの人たちのおもいを代弁しようとしただろう。


さらには、牛やブタ、それ以外の小動物の仇さえとろうとおもっていたと告白したのかもしれない。



凌羽はいつもこうだ。


切りはなしてかんがえればいいものを、すべて背負おうとするのだ。


どんな人間にも――、いや、動物にさえ心をよせようとする。


戦士としてはやさしすぎるのだ。


はじめから能力を開放して神威を発動させれば、相手におくれをとることはないだろうに、今回はそんな性格が仇になった最悪のパターンだった。


話しあいで決着をはかろうとしたところを、うしろから一刀両断されたのだから。


しかし、そんな凌羽のやさしさに救われたのが、おさなき日の奈々未であることも事実だった。



「凌羽、これ。ごほうびだよ」



「え?」



と開けた凌羽の口に、奈々未はタイミング良くキャンディーをほうりこんでやった。



「――んがッ?」



よくわからないが……甘い。



「さっき、ちなつちゃんがくれたのよ、そのアメ。凌羽にって」



「ああ」



お礼がわりなのだろう、と納得した。


舌でころがしながらゆっくり味わった。


糖分が体にしみていくようだ。



「おいひいれす」



もごもごしながら感想をいった。



「んふふ。なにいってるかわかんない」



やさしく笑いながら、奈々未はポケットからケータイをとりだす。


そして、



「終わりました。回収、お願いします」



と待機している特事のスタッフに一報を入れようとした。


だが、



「……あれ?」



奈々未が首をかしげた。



「どうひまひた?」



口内にキャンディーが残ったまま、凌羽がたずねる。


奈々未の顔が引きつっている。


突然通話がぶつっと途切れ、ケータイの画面がざざざっと乱れたのだ。



こ、これって。


まさか。


神威が、発動しているってこと……?



不吉な予感がした。







 

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