第17話 『山端』
凌羽の攻撃によって、全身の骨がボキボキくだけていく。
臓器がパンパン破裂していく。
もう立っていられない。
「おっさんもこうして、罪のない人間をなぶったんだろ?」
地べたにはいつくばったまま、凌羽の声を聞く。
「ならアンタもいたぶられて、おなじ痛みと恐怖を知るべきだよな?」
圧倒的だった。
人間相手に無敵をほこった自分の能力が、神威を発動した凌羽にはなにひとつ通用しない。
幼児と大人。
いや、それ以上の差を感じる。
もうだめだ。
勝てる気がしない。
そのとき、山端の頭がぼんやりとしてくる。
そして不意に、記憶の扉が開く。
おん?
なんだ?
この感覚、なにか、おぼえがあるぞ。
全身に痛み感じ、発熱して、頭がぼんやりしていたことがある。
そうか。
そうだ。
あれはガキのころ。
オヤジになぐられてたときの感覚だ。
酒に酔ったオヤジは、いつもおふくろをぶんなぐっていた。
毎晩毎晩、おふくろはアザを作っていた。
決まり文句はこうだ。
「コイツは誰の子だッ!」
いいながら、オレを指さすんだ。
「アンタの子だろッ? アンタの子じゃないかッ! 他の誰の子だっていうんだッ!」
馬乗りになったオヤジからの平手打ちをふせぐように顔をかくし、おふくろが泣き叫ぶ。
ボロアパートの二階。
六畳一間しかないせまい部屋の中。
そこに。
ぽつりと。
ちいさな地獄があった――。
隣室の住人が止めにくるまで、酔ったオヤジの暴力はつづく。
おさないオレが制止しようとあいだに入っても、かんたんに吹き飛ばされた。
一度はそのせいでガラスに突っこみ、頭を何針もぬったこともある。
そんなことがトラウマになったのか、それから、おふくろをたすけようとおもうことができなくなったのだ。
体がすくみ、やめて、という声さえださなくなったオレを、うらめしい目で見るおふくろのことが忘れられない。
ある日。
ひととおりおふくろをなぐり、疲れはてたオヤジが眠りこくったとき、ふぅ、というため息が聞こえた。
身を固くしていたおふくろからもれたものだった。
乱れた髪をなおしてから立ちあがると、台所からスーパーの白いビニール袋を何枚かもってきた。
おふくろは、無表情のままビニール袋にタンスの中の服を突っこんでいく。
着古した自分の服だけを乱暴に突っこんでいく。
そして眠っているオヤジの尻を足で押して、ケツポケットからはみでたボロボロの財布を引き抜くと中をたしかめた。
「えーと……。千、四百、二十、四円……。って、これだけ? 手切れ金がこれだけ? あはっ。あはは、は……は」
おふくろは笑った。
泣きながら、笑っていた。
そしてまた、ふぅ、とため息を落とし、立ちあがった。
まぶたやほほが赤くはれている。
口からは血がこぼれている。
「……じゃあね」
オレの顔も見ずに、おふくろはいった。
吸った息を、吐くついでにいった。
「……え? ど、どこいくの?」
わずかなスペースの玄関で、かかとのけずれたサンダルをはこうとしているおふくろに声をかける。
返事はなかった。
だが、わかった。
でていこうとしているんだ、と。
暴力をふるうオヤジから逃げるんだ、と。
「ボ、ボクもいくよ! 連れていって!」
いいながら、おふくろを追おうとした刹那、
「――来るなッ!」
そう怒鳴られ、体が硬直した。
「……ど、どうして……?」
おそるおそるたずねるオレに、おふくろはいった。
「気もちが悪いんだよ……」
と。
「アンタさ……、父ちゃんに、そっくりなんだもん……。……もう、いやだよ。……いやなんだ……」
冷たい、冷たい目だった。
オヤジのとは質のちがう殺意を感じた。
その目に射すくめられ、閉まるドアの前から動けなかった。
それから。
その夜から。
酔ったオヤジの標的は、オレに変わった。
毎日なぐられる。
毎日毎日なぐられる。
そのたびにあやまる。
なにも悪くないが、あやまる。
それが許される唯一の方法なのだろうとおもったからだ。
おまえは誰の子だ。
おっかあはどこにいった。
そのくりかえしだった。
死ぬ。
殺される。
毎晩震えながら、そうおもっていた。
そんなある晩。
オヤジが死んだ。
アパートの階段から落ちたのだ。
急な角度の、さびついた階段だった。
それをふみはずしたのだ、と警察官はいった。
近所の住民は同情してくれた。
数日間はメシなども食わせてくれた。
やがて役所の人間が手つづきをしてくれたが、おふくろの行方はわからなかった。
おふくろの身内がかくまっているかもしれない、と聞いたが、あの日の冷たい目が忘れられず、みずからたずねていくことはできなかった。
オヤジの遺骨は親戚にも受けとりを拒否され、どこかの無縁仏になった。
オレはそのまま施設に入った。
そこでは人間らしい生活を送れて、しあわせだった。
その後警官になったが、それはきっと、自分の闇を隠したかったからだろう。
〈人殺し〉という闇を。
〈父親殺し〉という闇を。
あの夜、背中を押したときに感じた、オヤジの体温。
汗ばんだシャツの、あの気色の悪いしめりけ。
近づいたときに鼻に入った、酒とタバコで煮詰めたような体臭。
おもいだすたびに気分が悪くなって、トイレで吐いた。
そんな記憶を消したくて、〈人殺し〉の対極にある〈警官〉を目指したのだ。
だが、アイツはそんなオレの闇に気づいたのだ。
古い記憶になって、自分でさえ忘れていた闇に気づいたのだ。
だから病気でふせったオレに、おかしな能力をよこしたんだ。
鬱屈したストレスを開放しろ、と。
おもいのままに人間を殺せ、と。
わたしの呪いを体現しろ、と。
そうなんだろう?
死界の女神、イザナミさんよ――。
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