第19話  『女神』


山端の夢は、まだつづいていた。


全身の骨という骨は粉々にくだけ、臓器もいくつかは破裂している。


筋肉は断裂し、神経もちぎれた。


眼球もつぶれ、鼓膜も破れ、嗅覚も感じない。


ただの肉のかたまり。



だが。


なぜか意識がある。


死にいたる気がしない。


マガタマの所持者だからだろうか。


神威を発動していたからだろうか。


それでももうじき命がつきて、あの世にいくことになるのだろう。



ああ、いったい、オレの人生はなんだったのだろうか。


母親に捨てられ、実のオヤジを殺し、警察官として生き、殺人鬼としてこんな場所で死んでいく。


そんなこと、おもってもみなかった。


自我が生まれたときから、オレには苦しみがとり憑いていたんだ。




もしも一生つぼみのままならば、自分がどんな花を咲かせるのかという夢を抱いて生きていけただろう。


もしもずっとサナギのままならば、どんな蝶になるのかという希望を抱いて生きていられたはずだ。


しかし自分の花が咲いたとき、その花びらのあまりのけがらわしさに気がつく。


かぐわしい花々がならぶかたすみで、腐臭をまき散らす存在になるとは、かんがえもしなかった。


サナギの殻を破ったとき、自分が美しい蝶ではなく、忌々しい蛾であったと気づく。


太陽の下で羽ばたくことさえ許されない存在。


ただ生きているだけで、煙たがられる毎日を生きるとはおもいもしなかった。



それは踏みにじられる運命の花。


たたきつぶされる種類の生物。


それでも生きていくのならば、虚勢を張るしかない。


若いときは腕力で。


成人してからは刑事という威圧感で。


オレはオレを維持しなければならなかった。


それがまちがっていたのか。


こんな末路にたどりついてしまった。



神の力なんて甘い蜜に狂って溺れたのは、自分を忘れられたからだ。


自分を捨てられたからだ。


さらには、あたらしい自分を手に入れられたからでもある。



だが、上には上がいた。


あの若造に、あっというまにとどめを刺された。



悔しい。


口惜しい。


年齢的にも、あとは閉じていくだけのオレの未来に、光明が見えてきたのに。


たったひと息で吹き消されてしまったようだった。




……おん? 



なんだ……? 



なにも感じなくなったはずのオレの体に、誰かが触れている気がする。



そうか。



あんたか。



死界の女神、イザナミ。


あんたがまた、オレの前にあらわれたのか。



『……カ……シ……?』



おん? 


なんだって?



『……聞コエルカ。……人間虫……』



に、にんげんむし……?


ふん。


そうかい。


あんたからしたら、人間と虫ケラは同等かよ。


ああ、聞こえるぞ。


いや、見えてるよ、アンタの妖しい姿がな。


脳ミソの中にはっきりと。



『オマエタチ人間虫ノ生キル世界ハ、夢ヨ。幻ヨ』



おん?



『アガイテモ、モガイテモ、タカガ百年テイドシカ、ツヅカヌ夢……』



ああそうだ。


そうかもな。



『……ダガソレモ、肉体ガアル者ニノミ許サレタ権利……。岩戸ニ封ジラレ、死界ノ闇カラ開放サレヌ私ニハ、ソレサエモ叶ワヌ……』



つまりアンタはみずから手をださないのではなくて、だせないってことだ。


それでオレたちのような人間にマガタマを授け、肉体が持たないアンタのかわりに人間共を殺させているのか。



『死ノ狭間ヲサマヨイ、生ニ激シイ執着ノアル者ニノミ、私ノ声ガトドク……』



なるほど。


死界に近い場所に立つ存在だから、ということだな。



『近イ場所デハナイ。ココガ、死界ナノダ』



なに?


ここが死界?


オレがいる、この世界が死界だと?



『ソウダ。岩戸ヲ境ニシテ、コチラガ死界。ソシテ、ワタシノ邪魔ヲスル連中ハ、生者ノ世界カラヤッテ来テイル』



邪魔をする連中って、あの凌羽と奈々未ってガキか?


いや、内調の特事ってやつら全員か?


あいつらの住む世界と、オレの住むこの世界はちがうのか?


なぁ、どういうことだ?


くわしくおしえてくれよ!



『カンガエル必要ハナイ。オマエハタダ、ソノ事実ヲ受ケ入レレバイイ』



そ、そんなこといきなりいわれて――、



『――オマエハコノ死界ヲデテ、生者ノ世界ニ行カネバナラナイ。ソシテ、ムコウノ人間ドモヲ殺スノダ。快楽ノミチビクママ、殺戮ヲクリカエスノダ』



それがおまえの呪い、千人殺シだよな。



『人間虫ヨ……。我ガ願イ、聞キ入レルナラバ、サラナル神威ヲアタエヨウ……』



お、おん? 


そりゃまさか、生きかえれるってことか? 


この前みたく、超回復させてくれるってのか?



そうか。


だったらやってくれ。


復活させてくれよ。


アンタの願い――いや、アンタの呪いを、叶えてやるよッ!


何千人でも、何万人でも、殺してやるからよぉッ!



『……ヨカロウ。我ガ呪イノ成就ノ為ニ、フタタビ目覚メサセテヤロウゾ』



ふかか。


いいね。


いいよ。



『――牛馬(ぎゅうば)鶏犬(けいけん)、親子(おやこ)ノ婚(たわけ)。


穢(けが)レ穢(けが)レヨ、国(くに)ツ罪(つみ)。


屎戸(くそへ)、畔離(あはなち)、溝(みぞ)ヲ埋(う)メ、


加(くわ)エ、生剥(いけはぎ)逆剥(さかはぎ)ニ、


穢(けが)レ穢(けが)レヨ、天(あま)ツ罪(つみ)。



冥(くら)キ罪科(ざいか)ニ塗(まみ)レヨ人虫(ひとむし)。


腐(くさ)レタ肉(にく)ニ宿(やど)セヨ人虫(ひとむし)』



おお、そりゃ、呪詛(じゅそ)ってヤツか?


うほほ。


いいね!


いい!


体に力が湧いてくるぞッ!


おん? 


で、なんだい?


アンタ、どうして手の甲でかしわ手を打つんだ?


見たことねぇな、そんなの。



『オシャベリナ小虫ダ。……コレハ、天(あま)ノ逆手(さかて)』



あまの、さかて……?



『古キ呪イノ作法ヨ』



呪いの作法?


む? 


なんだ? 


熱い。


体が熱い。



『フン。死者ニトッテハ熱イモノダヨ。命トイウモノハ』



そ、そうか。


じゃあこれが、体温……なのか……?



『デハ、我ガ呪イ、果タシテコイ』



ふかかかッ!


そうかッ! 


これでッ!


これでオレも――ッ!





凌羽に打ちのめされ消失したはずの山端の意識は、イザナミの呪いによって再起動される。



その際におこなった呪いの作法、「天(あま)の逆手(さかて)」。



それは古事記にもある、神話時代から伝わる作法だ。


通常のかしわ手ではなく、呪いを叶えてほしいときにもちいるかしわ手である。




そして、イザナミのとなえた呪詛の言葉。



〈親子(おやこ)の婚(たわけ)〉は親子どうしのみだらな関係のことである。



〈牛婚(うしたわけ)、馬婚(うまたわけ)、鶏婚(とりたわけ)、犬婚(いぬたわけ)〉はそれぞれ獣姦をさし、これらは〈国(くに)つ罪(つみ)〉と呼ばれる。



〈屎(くそ)戸(へ)〉は神聖な場所に糞尿をまき散らす行為のこと。



〈畔離(あはなち)〉は畔(あぜ)を壊し稲作を妨害すること。



〈溝埋(みぞうめ)〉は田に水を引く溝を埋めることをさす。



そして〈生剥(いけはぎ)〉は生きたまま獣の皮を剥ぐ行為。



〈逆剥(さかはぎ)〉は獣の皮を尻の方から剥ぐ行為をさす。



これらは〈天(あま)つ罪(つみ)〉と呼ばれる。




このいくつもの罪科は、けがれをもたらすとされ、神々が忌み嫌い、怒りをかう行為のことをさす。



こうしてイザナミは、ありったけの呪いを山端の魂にかけ、呪詛の怪物として再誕させたのであった……。









警告!!!

本文中の呪詛や作法を真似することはぜったいにやめてください。

様々な霊障などが起きても当方では責任を負いかねます。

よろしくお願いいたします。





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