第3話 『目撃』
凌羽が公園からでて、農業高校にむかおうとしたときだった。
「……おいッ、おいアンちゃんッ!」
誰かに呼び止められた。
声のした方向に目をやると、街路樹のかげに六十代くらいの男がいた。
ボサボサの髪。
日に焼けて茶色くなった顔。
無精ヒゲや頭髪には、大量の白髪がまじっている。
服装は数年前に若者のあいだで流行したものを着ていた。
男は、一見してホームレスと判断できた。
「アンちゃん、若いけど……警察の関係者なんだろ?」
おそらく殺人現場で刑事たちといっしょにいるところを見かけたのだろう。
「まあ、そんなところですけども、どうしました?」
男の口調にあわせ、凌羽も声をひそめる。
「ンン……」
男は口ごもり、なにかいおうと迷っている。
ひたいにジンワリ、汗をうかべていた。
「どうぞ、なんでもいってみてください。どんなことでもかまいませんよ」
凌羽が水をむける。
「ああ……。なら……、いおうかな……。アンちゃん、信用できそうだし……」
ホームレスの男は、どこか落ちつきがない。
オドオドと周囲を気にしているようだ。
そんなようすを見てとった凌羽が、
「……もしかして公園のトイレの……、被害者のかたとお知りあいとか……?」
先にたずねる。
「あ、ああ……」
男はうなずいてから、
「アイツはオレの、仲間なんだよ……」
と告白した。
勘が当たった。
「そうでしたか。それはお気の毒でした」
こわばったおももちで答えた男に、凌羽がなぐさめの言葉をかける。
「多少、手グセの悪いところはあったけどな、根っこまで腐ったやつでもなかったしな。アルミ缶が多く売れたときには、パック酒とコンビニのおでんで一杯やったっけ」
涙声でぐずついた。
「あんな風に殺されるようなヤツじゃないんだよ……、ちきしょうッ!」
ふたりの友情エピソードに、初対面の凌羽までしんみりする。
「そのかたの名前、わかりますか……? まだなんの情報もなくてこまっているんですが」
「本名はわからんよ。そういうのはおたがいに探らないって暗黙のルールがあるからな……。ただ、あだ名はあってね。トビオだ。過去にとび職人だったらしくて、そう呼ばれていた」
「そうですか。トビオさん……。で、その、トビオさんを最後に見かけたのは、いつですか……?」
そう問われると男はキッと眉間にシワをよせ、のどの奥から怨みごとでもしぼりだすような低い声でいった。
「今日のあけがたさッ! それも、殺される寸前になッ!」
目撃者の急な登場に、凌羽はあんぐりと口を開ける。
「で、では、あなたも犯人を見たんですかッ?」
「……いや、オレは見てない。だが、トビオは見たらしいんだよ、犯人をッ!」
「……えッ!」
「トビオはさ、何日かに一回、夜中の学校に忍びこむんだ。で、牛舎に入って、勝手に牛の乳をしぼって口飲みするんだよ。……オレも夜中にトビオといったことがあったけど、すぐに腹をくだしちまった。けどな、腹の強いトビオは、あの味がやめられないらしくてさ、たまにひとりでいくのさ。……で、昨日の夜も、いったらしい……」
国分に説明された、農業高校が防犯カメラをしかけた理由は、勝手に搾乳していく不審者がいるからだ、ということだった。
その不審者が、公園の被害者トビオだったのだ。
「それじゃあ……」
「……トビオはあけがた前に公園にもどってきたんだ。……すごいもんを見ちまった、すごいもんを見ちまった、ってくりかえすんだ。カタカタ震えながらさ」
男はおもいだしながら顔面蒼白になる。
「どうしたんだよ、って聞いたら、ドでかい刀をもったヤツが、それをぶるんぶるんふり回しながら何十頭のブタやら牛やらを切断してたっていうんだ。そんなバカなことがあるのかとおもってたら、トビオはまじめな顔だった。で、こうつづけたんだ。……アイツ、どこかで見たことがあるって……」
「え? ……犯人の顔ですか? 〈アイツ〉ってことは、犯人は、単独犯なんですか?」
警察の見立てとはちがう。
「だからオレもな、うたがったんだよ。何十の家畜を殺した犯人がひとりなんてな。一頭もちあげるのだってムリな話だろ?」
ブタの体重はおよそ百キロから百二十キロ。
乳牛にいたっては六百キロから七百キロある。
そんな巨大な動物をひとりで厩舎からはこびだすのは不可能な話だ。
「で、誰なんです? その犯人って?」
「……いや、わからないんだ。トビオは核心部分を話す前、一度便所にいってくるって席を立ってな、そのままもどって来なかったんだ。気になって見にいったとき、発見したんだよ……、惨殺されたトビオをッ……! トビオの死体、見ただろ? あれだって、かなりの短時間で仕あげたはずだぜ……! それでな、オレは信じたんだよ、トビオの話をさ」
そういうと、友人のむごい姿をおもいだしたのだろう、男は震えはじめた。
「では、あなたがトビオさんの第一発見者なんですね……?」
「……ああ。だが、怖くてな。オレも命を狙われるかも知れないと、逃げだしちまった。通報もしないでな……。情けないよな……」
自己嫌悪に満たされてしまったのか、男は涙ぐんだ。
「いえ……、当然ですよ、あんな光景を目の当たりにしたら。ですからご自分を責めないでください……」
凌羽は男をなぐさめるように背中をさすってやった。
洗濯などせずに、しばらくよごれたままだったのだろう。
男の背中から、もわり、とほこりがあがった。
が、凌羽は気にとめることもなくやさしくさすってやる。
男は、ううッ、と嗚咽をもらし、下をむく。
その無念さとくやしさがつたわってくる。
「……あのぅ、被害者をよく知るあなたは、今回の事件の最重要人物として、保護対象になるとおもうんです。犯人があなたの存在を知れば、やはり命の危険もでてくるわけですから……」
男は無言でうなずく。
「それで、どうでしょう。これから所轄の刑事に連絡いたしますので、警護つきの部屋で、しばらく生活しませんか……?」
そんな凌羽からの提案に、男はしぶい顔をする。
「い、いや、いいよ。警察にはいいおもいでがないからね。極力関わりあいになりたくないんだ……。今だって、とおりかかったのが君じゃなきゃ、話しかけたかどうかもわからない。ま、まあ、なんとかひとりでやっていけるさ……」
そういわれたところで、命の危険がある人をハイそうですかと帰せない。
「ではこうしましょう。……じつはボク、今回の事件に関わらせてもらってますが、警察の人間ではないんです……」
と告白すると、
「あぇ? ……なんだい、ちがうのかい?」
拍子抜けしたように凌羽を見る。
「はい、すみません。ボクの所属しているのは内閣情報調査室の特殊事案課という部署でして。ま、聞きなれない名前でしょうけども、警察ぎらいならちょうどいいでしょう? それでもね、証言者として重要なあなたをしっかり保護することはできます。ボクの名刺と、都内にある保護施設の住所が書かれたカードを渡しておきますね」
男は手渡されたものに目をおとす。
と、立ち話をするふたりのわきを個人タクシーが通りすぎ、公園の入り口に止まった。
中から、カメラをさげたマスコミ関係者たちがおりてきて、足早に園内へと消えていった。
「ちょうどいい。運転手さん、ちょっと待っててください」
凌羽は空車になったタクシーのわきにかけよって声をかけた。
「……さ、このタクシーに乗ってください」
「え?」
凌羽が男をタクシーへとうながす。
「施設にはボクから連絡を入れておきます。多額ではありませんが、当面の生活費は支給されますし、シャワーつきのワンルームですから不便はないとおもいます。外部との連絡は制限されてしまいますが、事件がひと段落するまではそこで生活していてください」
「きゅ、急だな」
男は突然の展開にとまどう。
「ええ。犯人があなたの存在に気づく前に行動しなければなりませんのでしかたないんです。さ、早く早く。もし公園内にお忘れの私物があればボクが持ってきますよ?」
「い、いや、特にはないよ。みんなゴミみたいなものだから」
「そうですか。じゃ、さっそく保護施設へむかってください。……運転手さん、着払いでお願いします。目的地で職員が代金をお支払しますから」
「え? ああ、はい」
凌羽の指示に、高齢の運転手がふりかえってからうなずいた。
「それから、このかたを乗せたことは誰にもいわないでください。警察にもですよ。そうすれば後日、協力手当として薄謝をお渡しできますので。……それから、車内の会話もいっさいしないでください。目的地以外のことは、どんなささいなこともこのかたにはたずねないようにおねがいします。ご協力ねがえますか?」
「え? ……あ、はい、わかりました」
けげんな顔で運転手はうなずく。
このふたり、いったいどういうとりあわせなのだろう。
十代とおもわれる若者とホームレスの男。
保護施設だの、警察にも秘密だの、不可解なキーワードが多すぎる。
トラブルはゴメンだ。
でもまあ、見ざる聞かざるいわざるの、三猿ってやつを守ればいいんだろ。
売りあげのためならお安いごようさ。
「どうぞ、お乗りください」
個人タクシーの運転手は、ふたりへの興味より、実利をとった。
「いろいろ悪いな」
乗りこみながら、男は凌羽に礼をいう。
「いえ。こちらこそ、大変参考になりました。じゃ、また」
「ああ」
「運転手さん、おねがいします」
運転手は凌羽の言葉にうなずいて車をだす。
ホームレスの男は車内で小さく手をあげて凌羽にわかれをつげた。
交差点を曲がり、消えていくタクシーを見送ってから、あッ、とおもいだす。
「そうだ、ボイスレコーダーをとりにいくんだった」
凌羽はふたたび、農業高校にむかって歩を進めた。
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