第13話  『死界』


「ほら凌羽、これも飲んで」



奈々未は背おっていたオレンジ色のリュックから、錠剤の入ったプラスチックのボトルをとりだしてわたす。



「あ、どうも」



ボトルを受けとると、凌羽は手のひらにジャラジャラと数錠だし、口へ入れて噛みくだいた。


つづけてスポーツドリンクを口につけ、錠剤を流しこむように、あっというまに飲みほした。



凌羽が飲みこんだのは、一錠で点滴一回分の栄養補給ができるという特注のサプリメントである。


神威を発動させた激しい戦いの中で体力を回復できるように、特事が厚生労働省経由で薬品会社にかけあい製造させたものだ。


市販はされていないが、その効果に関するデータはメーカーに報告される。


いつか商品化されるときに参考になるのであろう。


いわゆる、もちつもたれつの関係である。


しかしじっさい、スポーツ時や病中病後、栄養状態が悪くなっている高齢者、あるいは災害時にも役立つこの万能サプリは、発売されればたかい収益が見こまれる。


そんな試作の商品をおしみなく何錠も、乱暴に胃に流しこんだ。



「ふぅ……。ひとごこちついたよ。ありがとう、奈々未さん」



かわききった肉体がいくぶんかうるおされ、体力ももどってきている。


ふたりは旧トンネルからはなれ、雑木林の中にあった巨岩に腰かけていた。


凌羽はすでに、全裸ではなかった。


こんなこともあろうかと、奈々未が父親のパンツとジャージを持参してくれたのだ。


それは海外の高級メーカー、カルヴァンなんちゃらのジャージだった。


赤茶色のベロア生地でテカリがある。


それがどうにもはずかしい。


デザインも年配の人間が好むものだが、このさいぜいたくはいえない。


そしてなぜか通勤用の革グツをはかされた。


あわててもってきてまちがえたらしい。


だが、それはまだいい。


問題は、奈々未が手わたした下着だ。


おさななじみの、おとうさんのパンツとはいえ、他人のパンツをはくということは、どうにも不快であった。


だが、あくまで奈々未の好意であって、悪気はなのだから文句はいえない。



「ほんと、たすかりました。奈々未さんがきてくれて」



羽毛でできたニセ奈々未が山端と戦っているとき、本物の奈々未が旧トンネルをふさいでいたフェンスを切り裂いたのだ。


はごろもから作った、十一本目の刀で。



「ほら。あのおじさんが気づくまでに、もっとエネルギーとって」



リュックから、カロリーのたかいハンバーガーやらオニギリやらをとりだしてわたした。



「はい。いただきます」



生気がわいてきた凌羽が、にこやかに返事をした。



「でもどうしてボクの居場所がわかったんですか?」



モグモグしながら奈々未にたずねると、



「特事のスタッフにたのんで、この付近の警察の情報を探ってもらったの。そしたらちょうどトンネルに変質者がでたって通報があったみたいでね。それで、あ! 凌羽だ! ってピンときたのよ」



そういって、すごいでしょ、と自慢げにほほえむ。


だが、凌羽の表情がにわかにひきつる。


そ……、そうか。


変質者か。


ボクは変質者っていわれてたのか。


しかもそれで、奈々未さんがボクに気づいたなんて……。


落ちこみながらも、凌羽はつくり笑顔でうなずく。



「それじゃあさ、いちおう記憶が正常かどうか、質問するね」



凌羽の脳機能がもとにもどっているか、気になるのだろう。



「わたしとあなたの名前は?」



「朱雀奈々未さんと、桜洋守凌羽」



「所属は?」



「内閣情報調査室、特殊事案課」



「じゃあ、ここはどこ?」



「死界」



「死界ってなに?」



「死んだ人間が住む世界」



「その死界に、わたしたちはなにをしにきてるの?」



「イザナミのマガタマを回収しに」



「どうしてマガタマを回収しなきゃいけないの?」



「マガタマの能力者を、生者の世界に送りこもうとしているから」



「送りこんでどうするの?」



「生者を大量に殺す、呪いの実現」



「その呪いの名前は?」



「千人殺シ」



そこまで聞くと奈々未は、



「うん。頭もちゃんと再生してるみたいね」



安心したように笑った。


凌羽は三個目のハンバーガーを食べながら、



「それにしても、死者の世界がボクらの世界とほとんど変わらないなんて、いつきてもおどろきますよね」



というと、



「ほんと。今、生きてる人たちが、死んだあとにこんな世界ですごすなんて知ったらビックリするよ」



奈々未がうなずく。



「ちいさいときに見た天国とか地獄とかのイメージ、まるっきりないですもんね」



特事の人間が死界にくると、かならずおどろくのが生者の世界と死者の世界がなにもかわらないということだ。


厳密にいえば、現世とはすこしズレている文化や、すこしおくれた化学技術がひろがっている。


こちらの年号はまだ昭和である。


スカイツリーもない。


プレイステーションもやっと3の制作発表がされたばかり。


スマホもなく、いわゆるガラケーというものが主流だ。


ただ、そうした現世とのズレは、たいした差を感じることがない。



この世界にくるたび、天国も地獄もないのだと知る。


三途の川も。


血の池も。


針の山もなにもない。


罰に苦しみ、のたうちまわる亡者も。


祝福してくれる天使たちもいなかった。


ただ死者の住む世界があるだけ。



そこでは人々が日常生活を送っている。


笑ったり泣いたりしながら、しあわせな人生をもとめてくらしている。


反面、犯罪も、いさかいも、戦争だっておきたりしている。


いいかえればこの世界のどこかに天国があり、どこかに地獄があるともいえる。


ひるがえってそれは、凌羽と奈々未が住む生者の世界にもおなじことがいえるだろう。



とにかく、凌羽たち特事の人間は死界にきて、すぐにカルチャーショックを受けるのは特事あるある、なのだ。


木々のすき間から見えるせまい空をながめて、



「もしかするとさ、ここが来世っていうところなのかな」



奈々未がいうと、



「そうかもしれないですね」



凌羽がうなずく。



誰も前世の記憶がなく生きている。


生前、自分がどんな人間だったかのおもいでがない。


きっと自分の存在する世界が変わるたび、記憶はリセットされるのだろう。


そう凌羽たちはかんがえるが、それについての明確な答えはわからない。



「わかってるけどさ……。探しちゃいけないってルールだけどさ……。偶然会えるのは、違反してないよね……」



遠い目をして、奈々未が抽象的ないいかたをした。


だが、凌羽にはわかった。


お母さんのことだ、と。


奈々未をたすけようとして崖から落ち、亡くなってしまった母親のことだ、と。


死者の領域であるこっちの世界でなら、母は元気にくらしているはずなのだ。



だが、死んだ身内に会いにいってはいけない、という特事の規則がある。


生者の世界も、死者の世界も、おなじように乱してはいけない。


亡くなった最愛の身内に対し冷静でいられなくなったとき、特事の使命を果たせなくなる場合があるからだ。


はるか昔からの禁忌事項である。



数年前にも、マガタマのチカラで凶行をくりかえした能力者の対処にむかったスタッフが、命を落としたことがあった。


おさないときにかわいがってくれた祖母が、能力者となっていたからだ。


もちろん祖母に、生前の記憶はない。


そのため、生前は孫であったスタッフのことを見ても、他の人間とおなじく、ただの殺戮対象であったのだ。


だから躊躇なく、殺しにかかった。


じつはその件の前、殺されたスタッフは、亡くなった自分の祖母に会いにいっていた。


特事の情報網を駆使し、探しだしたのだ。


だが、それが完全に仇になった。


イザナミにかんづかれ、その家族愛を利用されたのだ。



奈々未も。


もちろん凌羽だって、亡くなった家族に会いたい。


だが、会えない。


イザナミにあやつられ、殺人鬼になった家族と戦う覚悟などないからだ。



この世界のどこかに会いたい家族がいる。


もう一度会いたい。


会ってあやまりたい家族がいる。


会ってありがとうと伝えたい家族がいる。


だが、それを叶えてはいけない。


もしこちらの世界でしあわせにくらしているなら、それでいい。


そう自分にいい聞かせている。


ふたりのあいだに沈黙の時間が流れた。



そのとき。


遠くで気色の悪いおたけびが聞こえた。


そしてそのすぐあとに、ズドドドドッ、となにかが崩壊していくような、すさまじい音も聞こえた。


間をおかず、山鳥たちがいっせいに飛び立っていく。



「あれってまさか……おじさん? トンネルでも壊したの……」



「え、ええ。おそらく。……だいぶ怒ってるようですね……」



奈々未の問いに、凌羽がうなずく。



「街にでられたらまずいな……」



いいながら奈々未が立ちあがる。



「そうですね」



つづけて凌羽も腰をあげた。



「いいよ、凌羽。ここはわたしが」



体のことを心配し、奈々未が静止する。



「いえ。ボクがやります。おそらくボクの神威のほうが、相性はいいでしょうから」



「でも」



「山端さんは、残虐性が目立っていますが、力おしだけではありません。刀の神フツヌシの能力を持っていますから、戦闘能力は低くありません。奈々未さんが負けるはずはありませんが、もし、奈々未さんの肌に傷でもついたら一生残ってしまいますよ……」



相手の能力との相性うんぬんより、結局わたしの体のことをおもってくれているんだ、とうれしくなった。



「なによりボクは、一度、山端さんのチカラを見ています」



自分の体が切断されたときの攻撃力。


そしてさっき、警察官を襲った山端の動き。


それらはいくらかでも戦いの参考になるだろう。


奈々未が初見でやりあうよりもずっと安心だ。



「それに、公園で殺されたトビオさんのおともだちの悔しそうな表情が目に焼きついているので、仇うちではありませんが――」



「わかった」



かたい決意をうかがわせる凌羽の表情を見て、奈々未はうなずいた。


いつになく男らしい顔だった。



「……でも、危なくなったらすぐに交代するからね……」



「はい」



深くうなずくと、残っていた白い錠剤をほおりこみ、ボリボリと噛みくだいた。


そして手にもつペットボトルを口にはこび、一気に流しこむ。


男らしいところを奈々未に見せようとしたのだ。


が、


ぐほッ、ぐえっへッ。


とおかしなセキこみかたをして苦しみだした。


どうやら、気管にサプリメントの破片が入ってしまったのだろう。



「もう。ほんと〈おっちょこ〉なんだからぁ」



とあきれながら、凌羽の背中をさすってやった。


おっちょこちょいを、略すのは小学生のころから奈々未のクセだった。


亡くなった母親の口ぐせでもあったらしい。


そんなふたりの耳に、



ギ、ギャギャギャァアアーッ。



という不安をあおるような音が刺さった。


そして、



どがッ。



という衝突音がつづく。


凌羽と奈々未は顔を見あわせる。



「今のって、もしかして……」



「はい。車が事故った音ですね……」



心霊スポットの旧トンネルから、すこし横には新トンネルがある。


当然そちらには現在も車の通行があるのだ。


だとしたら。


嫌な予感がする。


自分たちを追って、山端が動きだしたのだろう。


しかも、ふたりが潜伏していた雑木林とは逆方向の市街地へむけて。


そうなれば、被害者が爆発的に増えてしまう。



「いきましょう、奈々未さん!」



「ええ」 



奈々未はリュックをその場に残したまま、凌羽とともに雑木林をかけだした。





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