第6話 『隧道』
凌羽が姿を消してから、十日ほどたった。
家畜殺しの犯人も、ホームレス殺しの犯人も判明してはいない。
当然である。
その真犯人、山端が捜査本部にいるのだ。
証拠隠滅はもちろん、ミスリードもしほうだいだった。
その点はうまくいっている。
だがひとつ、不可解なことがあった。
あの凌羽とかいう若造のことを誰も探しにこないということだ。
内閣情報調査室、通称、内調に所属していながら、行方不明となった学生について電話一本かかってこない。
後輩の国分以外が凌羽の名を口にすることはなかったし、十日もたてばもはや、そんな話題もあがらなくなった。
まるでそんな青年をおぼえていないかのように日常はまわりだす。
いくら凌羽に身よりがないとはいえ、高校や内調からの問いあわせがないことが腑に落ちなかったが、やがて山端も忘れていった。
そんな日々の中でも、山端はしっかり欲求を満たしていた。
神のチカラ、神威(しんい)をふるい、獲物を狩っていたのだ。
当然のことながら、警察はいまだに犯人の次なる犯行を警戒し、パトロールが強化されている。
さらには内調の特殊事案課とかいう部署の人間が、自分を監視しているかもしれない。
だから山端は、町から離れた場所に狩場をもった。
いわゆる、心霊スポットに、である。
勝山市のはずれに明治後期から、大正にかけて完成した古いトンネルがある。
数十メートルほどつづくトンネル内部は、壁面がすべてレンガ造りであった。
古びているうえ、しみた雨水やコケなどでボロボロに欠けていている。
一車線分の幅しかないせまい内部は、対向車どうしがすれちがうこともできない。
すでに電気もとおっておらず、内部は昼間でも真っ暗だった。
崩落の危機さえあるその隧道はもう、完全に寿命が尽きているのである。
だいぶ前、すこしはなれたところに新トンネルが開通してから、旧トンネルは若者たちの肝だめしスポットとして有名になっていった。
工事中に命を落とした作業員の霊がでるとか、殺されて捨てられた母親と娘の霊だとか、なんの根拠もない話がひろまっている。
テレビや雑誌でもとりあげられたほどだった。
そんなウワサをたしかめようと、能天気な若者たちがこぞってやってきた。
山端はそんなやつらを、のきなみ狩ってやる。
絶叫し、絶望し、小便をもらす。
ひとり残らずこま切れにして、脇を流れる川にほうり捨てる。
そのせいか、このあたりには腐敗臭とともにネズミやハエが大量に発生していた。
めんどうなのは連中が乗ってきた車やバイクも処分しなければならないことだ。
こまかく切り刻んだとしても、金属などはかなりかさばる。
近くの山中に埋めても、自然分解するはずもなく、堆積していく一方であった。
消息を絶った若者たちの捜索が本格的にはじまれば、それらが発見されるのも時間の問題であろう。
そうなれば狩場を変える必要があるが、まだ当分はだいじょうぶだと確信している。
この十日で狩ったのはふたグループで、合計七人だ。
男だけ三人のグループと、男女混合の四人グループ。
免許証などから、全員が二十歳前後の青年たちだった。
その日の午後も、山端は待ちぶせていた。
旧トンネルので入り口は、両方ともたかいフェンスで封じられている。
だが北側のフェンスには、人ひとり分が出入りできるほどのすきまがあった。
近隣に住む暴走族のメンバーが、工具をつかって切ったのだ。
若者たちは、そのフェンスの裂け目と、車を止めるスペースもある北側から入ってくる。
そしていき止まりになる南側のフェンスまでたどりつくと、折りかえして帰っていくのが常だ。
山端は、袋小路になったその構造を利用した。
罠だ。
アリジゴクかクモように、罠をはって獲物を待った。
トンネル最奥にきたあたりで、山端は姿をあらわす。
そして、おどろき、あわてふためく若者たちを襲うのである。
数瞬で全員のアキレス腱を切断し、自由を奪ったうえで解体していく。
まずは男から。
死んでいくさまを見て、たかい声で鳴く女たちの声は、ぞくぞくとして気分がいいからだ。
そして女。
ゆっくりと足の指から一本一本切り落とし、手の指や耳、鼻など、致命傷にならない部分をそいでいく。
それはいつまでも悲鳴を聞いていたいからだ。
最後に涙と鼻水でびしょ濡れの顔面を舌ベロでねぶり、塩気をたっぷりたのしんだあと、命を奪う。
殺害工程をおもいかえすだけでも、興奮がわきあがり、口内に大量のよだれがあふれてくる。
そんな山端の耳に、若者たちのテンションのたかい声が入ってきた。
四、五人はいるだろう。
中には女の声もまじっている。
「――よしッ」
ヤニで汚れた歯で、にっかりと笑みを浮かべる山端。
口のへりからはよだれが糸を引いていた。
昼さがりでありながら、静寂が支配するトンネル内には、若者たちの足音が響く。
同時に女たちの嬌声や、爆笑する男たちの声が聞こえてきた。
かなり高揚しているのであろう。
懐中電灯がはなつ光がこちらへのびてくる。
山端は息を殺す。
そして、あらかじめレンガの壁をけずって造ってあったくぼみに、ずんぐりむっくりした体をかくした。
汗ばんだポロシャツが、じっとりと肌にはりつく。
こいッ!
さぁ、こいッ!
喜々としてニヤついていると、
「ひやァァァッ!」
突然、若者たちの絶叫が山端の鼓膜に飛びこんできた。
トンネルの中ほどからだ。
つづけてすぐ、
「に、逃げろ逃げろッ!」
という、あせりをふくんだ声と、ドタドタと走り去っていく足音が聞こえてくる。
……おん?
なんでアイツらは大声をだしたんだ……?
どうやら、獲物は逃げていってしまったようだった。
でかいネズミでもいたのか?
なんなんだよ、まったく。
ふてくされた山端は、壁面のくぼみに身をかくすのをやめた。
ボリボリと後頭部をかきながら顔をあげる。
そのとき、トンネル内部に人影を認めた。
「おん……?」
その人物は、一切の服を着ていない。
全裸なのだ。
なんだコイツ?
北側のフェンスからさしこむわずかな陽光に照らされ、幽鬼のような人物がうかびあがっている。
そうか。
コイツか。
コイツのせいで連中は逃げだしたんだな。
山端は納得した。
納得して、全裸の変質者を〈殺そう〉とおもった。
ついでだった。
いきり立った感情のはけ口にさせてもらおうとおもったのだ。
首をコキコキと鳴らしながら、
「……おいッ、おまえ」
声をかけた。
すると全裸の人物がゆっくり顔をあげる。
「そう。そうだ、おまえだ。ちょっとこい。こっちにこいッ」
高圧的にいって手まねきした。
そんないいかたで近づいてくるはずもない。
だが、意外にも全裸の人物はこちらへ歩きはじめる。
ふぅら……ぴた。
ふぅら、ぴたた。
裸足のまま、生気のまったくない歩きかたで近づいてくる。
股間部ですぐに男とわかった。
病的にやせた体には、脂肪も肉も水気もない。
あばらが浮き、骨格標本に皮をはりつけただけのような人間だった。
「……ヤパリ……」
不意に、やせ細った男が声らしき音をだした。
がらがらに乾ききったノドから、無理矢理にしぼりでてきたものだった。
なにをいったのかよくわからず、
「おん……? なんかいったか……?」
山端が問いかけると、こふりこふり、と小さく男のノドがなった。
うるおいのない粘膜に、違和感でもあるのだろう。
こんなヤツ、切り刻んでもおもしろくないだろうな。
ため息まじりに山端は男の体を観察する。
全身に、白くかわいた土がこびりついている。
掘りだされたミイラか、即身仏のようだ。
「おまえ、どうしたんだ? 泥まみれでウロウロしてよ。しかもなんで裸なんだよ? おん? 一応オレは刑事だからな、話してみろよ」
全裸男の痛々しい姿にすっかり興奮がなえた山端は、刑事の顔をとりもどす。
「……タガ……シ……カ……」
全裸男がまた声をしぼりだす。
「お? 聞こえねえんだよ、ったく……」
いらつきながら数歩進むと、全裸男の口もとに顔をよせる。
「あんだって? おら、もう一回いってみろよ」
そううながす。
ぱきぱき。
男のアゴ関節が鳴る。
めしめし。
それにあわせて、乾いた口内の皮と舌べろが動く。
「おら、はやくいってみな」
また山端がうながす。
「……こへか、……まら……もろてなひ……」
力ない返事だった。
「おん……? 声が、もどってない、っていったのか?」
なんとか聞きとれた言葉をオウムかえしにすると、男はちいさくうなずく。
「おうおう。なんとかわかったぞ。……で、どうしたんだ、そのかっこうは? まさかこのへんで出没する痴漢ってわけじゃねえんだろ?」
以前、このあたりで露出狂の男が何度か目撃されたことがあった。
山端はそのことをおもいだしたのだ。
「……あ、あらたか……ひた……れひょ……」
ふたたび全裸男がぼそぼそとしゃべりだす。
「あらたか? あらかた下でしょ、……ってか?」
こんどはうまく聞きとれない。
全裸男はちいさく首をふる。
どうやらちがうようだ。
「……あらたか、ひたんれしょ……!」
男は語気を強めた。
「おん? あなたが……したんでしょ、……か?」
こくり。
正解だったようだ。
「なんのことだ……? あなたって誰の事だ? まさか……オレか?」
こくり。
また正解だった。
肯定の意思をしめした男の顔を、いぶかりながらのぞきこむ。
「……ぉおん? って、誰だおまえ?」
まったく心当たりがない。
すると全裸男は急に、光のない瞳を山端にむけ、
「――あなたがッ! ボクをッ! 殺したんでしょッ!」
と、いいはなつ。
急に感情をぶつけられ、絶句する。
そして、気づく。
「……なッ! お、おまえ、……まさかッ!」
凌羽だ。
目の前の全裸男は、変わり果てた姿の、凌羽だった。
こま切れにして捨てたはずの、桜洋守凌羽だったのだ。
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