第28話 『消滅』
魔人化した山端は強かった。
このままではジリ貧になるのは目に見えている。
なにか勝機につながることはないだろうか。
そう凌羽が思案していたときだった。
山端が鼻血をたらした。
両方の鼻の穴から、粘度のたかいドロドロの血がゆっくりと口へと伝っていく。
「……おん?」
口に入った血の味に気づいたようだ。
山端も意外そうな顔をした。
よく見れば、山端の上半身が紅潮し、五つの目も赤く充血している。
興奮しているということもあるだろうが、それだけではないのかもしれない。
「うおぉん?」
今度は耳の穴から濃度のたかい血液が流れはじめている。
すると三半規管が狂ったのか、山端がよろける。
そして一瞬、白目をむき、気を失いかけた。
だが、そのままたおれるのをこばみ、左ヒザを地につける。
頭をふりながらなんとか意識をたもつ。
そんな山端の異変を見て、すぐに凌羽が口を開いた。
「おい、おっさん。アンタ、やばいぞ」
「ぅお、おん?」
凌羽が真顔でこちらを見ているのが、かすむ視界でもわかった。
「そりゃ、初心者にありがちな症状だぞ。オレにもおぼえがあるよ」
「……ら、らに? ひょ、ひょひんひゃにょ、ひょうじょう……?」
ろれつも回らなくなってきた。
「神威を使っているあいだ、マガタマからはずっと神のチカラが流れこんできている。けど、その高エネルギーに慣れないうちは体がまいっちまって、活動の限界がくるのさ」
その説明にウソはないだろう。
急激に体力が落ちていくのを実感するからだ。
「いいか、おっさん。オレたちはな、そんな状況におちいらないために、マガタマを手に入れてからしばらくは慣らし運転をするんだよ。約三ヶ月、毎日神威を発動させて、体にその変化をおぼえさせる。それも一日、せいぜい十五分がいいところさ。十代のオレたちでさえそうなんだ。五十をすぎたアンタじゃ、さらに長い訓練の時間が必要だろうさ」
当然、山端はそんなことを知らなかった。
「神のチカラをオレたち人間が使うのは、もともと無理があるんだよ。それでも神威を発動させるなら、すこしずつ時間をかけて自分の限界を越えていかなけりゃダメなのさ」
覚醒し、神威を全開で発動させてから、いったいどれくらいの時間が経過しただろうか。
奈々未の相手をし、特事のスタッフたちともやりあって、さらには凌羽とも再戦している。
凌羽のいうとおりなら、体にはかなりの負担がかかっているだろう。
嫌な予感がする。
「神威の発動を今すぐ解除しろ。このままマガタマを使いつづければ放出されるエネルギーをコントロールできなくなって、肉体はおろか、魂までも消えてなくなるぞ」
肉体と魂が消えると、そのあとはどうなるのだろうか。
わからない。
わからないが、漠然とした恐怖にとり憑かれる。
「ぬぐくッ!」
焦燥と憤怒が、さらに山端の体温をあげる。
体中から湯気があがっている。
肉体におびた高温度の熱は、全身から突きでた無数の刃をも赤く変色させた。
このまま体温が上昇すれば、それらはドロドロに融解するだろう。
「ら、らがなァッ! この体がぶっ壊れる前にッ、オマエを殺ればいいんらろォッ!」
山端の戦意はおとろえていなかった。
瞳に闘志が宿る。
「なにッ! まだやる気なのかッ?」
「ぅお、ぅおまえらのような、これから未来に飛び立とうとする若いやつには、わ、わかるまいよッ! もうそろそろ着地しなけりゃならない年齢のオレのことはなッ!」
感情的になった山端は、内包していた鬱憤を口にだした。
老いていくことから顔をそむけ、若さに対する羨望をもつことは当然のことだ。
それでも現実を受け入れながらすこしずつすりあわせ、あきらめていくのが常である。
だがマガタマを手に入れた山端の体内では、若かりしころとおなじように細胞が活性化していた。
タバコの吸いすぎで黒くなった肺も。
酒のせいで大きくなった脂肪肝も。
年々稼働しづらくなっていくヒザ関節も。
おとろえていく体力も。
なにもかもが解消し、回復していた。
それどころか、自分史上、もっとも体の調子がいい。
あとからあとから湧きでてくる活力を感じるのだ。
そうなれば欲がでる。
老いなどというものからは無縁になった今、全能感に満たされ、加齢とともに閉じていくだけであった未来が開けていくような気がしていたのだ。
今さらそんな希望をあきらめきれるはずはない。
老いを受け入れる日々にもどりたくはない。
消化試合のような毎日を生きていくのはごめんだ。
もう一度。
暗闇にまみれていた青春時代をもう一度生きるんだ。
生きなおすんだ。
「――ォ、オレはなァッ、マガタマを手にして、浮力を得たんだよッ! おまえらとおなじ、若さという浮力をなあッ!」
だが、心情を理解していない凌羽には、山端がなにをいっているのかわからない。
大ぶりな攻撃をはじめた山端はすでに理性を失った状態にあり、剣聖の面影は鳴りをひそめている。
単純に、凌羽を処分する、という目的だけで、赤くとろけそうになっている刀をふっているようだった。
だが問題は、凌羽がそんなおおざっぱな剣筋さえかわせないということだ。
両足のダメージが回避行動を大きく制限しているからだ。
ざくッ、ざくッ、と小気味いい音とともに、次々と凌羽の体に切り傷が増えていく。
「ぅおおおらッ!」
血のあぶくがまざった怒声を吐いて、山端が間合いをつめてくる。
今度は、剣化した右足が凌羽の下半身を狙った。
ずばんッ。
するどい一撃が入った。
「ぬがァッ!」
凌羽の絶叫がトンネル内に響く。
左足のすねが切断されたのだ。
いわゆる、弁慶の泣き所である。
その激痛で、脳内が真っ白になる。
完全に凌羽の動きを封じた山端は、くるり、と背をむけた。
最後の一撃を入れるためだ。
「こぉぉれェェでぇッ、とどめだよォッッ!」
山端は後方に跳ねた。
丸めた山端の背中。
そこには、ハリネズミのように無数の刃がはえている。
そのすべての切っ先が凌羽にむかって飛んできた。
もはや逃げるすべがない。
とっさに両手を交差させ、顔面と胸をふせぐのが精いっぱいだった。
無数の刃が、容赦なく凌羽に突き刺さる。
大量の血しぶきが吹きあがる。
「ぬぅがああああああッ!」
絶叫する凌羽。
山端は、背中の刃で凌羽を捕らえたまま、後方に走りだす。
凌羽をトンネルの壁面に衝突させ、さらに深く刀を突き立てるためだ。
そんなことをされれば完全に致命傷になってしまう。
だが身動きがとれない。
もうこれ以上どうすることもできない。
ついに、ズガァァンッ、とすさまじい音がして、凌羽の体がトンネルの壁面にぶち当たる。
同時にすべての刃が凌羽の体を貫通した。
切っ先はコンクリートの壁の中にまで達している。
「ひゅ、ひゅびぅぅうぅ……」
黒鉄色の肌から血しぶきをあげる凌羽から、声がもれた。
いや、声などではない。
肺にあった空気がもれだした音だ。
「ふかかかかか」
自分の背中とトンネルの壁面にサンドウィッチされた凌羽を、コメカミの目でながめながら笑った。
凄惨なこの場所で、山端の高笑いだけが響いている。
凌羽はピクピクと痙攣しながら、急激に生体反応を失くしていく。
やがてシュウシュウという空気が抜けていくような音とともに、その指先が、霧のようになって大気にまざっていった。
頭部や胴体、両足もおなじように霧状になる。
「ふかかか。殺(や)ったぞ! とうとう殺ったぞッ!」
〈生きかえる〉という面倒な能力をもつ凌羽を処分できたことがよほどうれしかったのか、山端の笑いが止まらない。
たいした時間もかからずに、凌羽の全身は霧散して消えてしまった。
山端はそれをきっかけのように、発動していた神威をおさめる。
五つの目がふたつになった。
剣化していた爪や骨が引っ込む。
そして、失った左腕や右足が復元され、もとの手足にもどった。
「ああッ。暑い……ッ!」
すぐに山端は虚脱して、路面に手をつく。
よつんばいで荒い呼吸をくりかえす。
全身が上下する。
体中が汗にまみれている。
ぼたぼたとたれた尋常ではない大量の汗は、地面に大きな水たまりを作った。
ひどい熱中症のような体調だ。
そのとき、
「――凌羽ッ!」
トンネル内に、絶叫に近い声が響いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます