第5話  『凶刃』

「し、死界の女神、イザナミッ?」



 山端は青ざめた表情で聞きかえす。



「ええ。瀕死の人の夢にあらわれるそうで、彼女に会うと、翌日にはどんな病状も全回復するといいます……。山端さんの例と合致しますよね……?」



「……ッ!」



 言葉がだせない。



「でも、それだけじゃないんですよね、山端さん?」



「な、なに……?」



「だって、イザナミからもらったんでしょう? アレを……」



「……ア、アレだと……ッ?」



「〈マガタマ〉ですよ……!」



「マ、マガタマ……ッ?」



 マガタマとは、魂の形を模したという翡翠(ひすい)製の装飾品である。


 古来よりさまざまな呪術や儀式にもちいられてきたという。


 自分でも忘れていた夢の内容を正確にいい当てられたことに山端はうろたえる。


 凌羽の問いかけはつづいた。



「で、そのマガタマ、どうされました……? 当然、今、おもちですよね……?」



「お、おん? ……あ、あれは……、〈フツヌシ〉っていうもんじゃねえのか……?」



「え? フツヌシ……? ああ、そうですか。フツヌシね……」



 なにに納得したのかわからない。


 だが、凌羽は何度もうなずき、



「……ではやはり、山端さんだったんですね? 家畜殺しも、トビオさん殺しも……」



 ぼそりとつぶやくようにいう。


 山端の全身からは、シャワーでも浴びたかのような大量の汗がふきでている。



「……こいつッ! 入院中に見た夢の内容がおまえのいうとおりだっただけで、どうしてオレが犯人なんだよッ、おんッ?」



 そのあせった表情が、すでに白状している。



「あなたはその夢を見てから、体の中に、自分のものとはべつのチカラがみなぎるのを感じたはずです。そして、こみあげる衝動をおさえられなくなった」



「……あぅ!」



 かえす言葉がない。



「――で、殺してみたんですよね? カラスやネズミを……。そしてどんどんエスカレートしていって……その結果が、今回の家畜とトビオさんにつながる……」



「い、いってる意味がわからねェなッ」



 口から大量のツバが飛ぶ。



「あなたは死界の女神イザナミにマガタマをもらった。それを受け入れることで、人ならざる能力を手にいれた……」



 ゴクリ。


 山端の短く太いノドがツバを無理矢理流しこむ。



「あのマガタマの中には、神々の力である神威(しんい)が封印されています」



「し、しんい……?」



「はい。そして山端さんのようにマガタマに感応した人に、その神威が供給されるんですよ」



 山端はまた、ひたいの汗をぬぐった。



「ボクの所属する特事では、都市伝説や奇妙なウワサ、奇跡や超常現象、心霊現象などというものをピックアップして、そこに人ならざる者の力が関わっていないか調査するんです。……で、今回、勝山市での小動物殺傷事件の報告や、山端さんの超回復に目星をつけてこの町にきたんですよ」



 山端は、じょじょに冷静さをとりもどし、思考する。



「……お、おん? ちょ、待てよ……。い、今の口ぶりだと、たまたまか?」



「え?」



「け、今朝この街にきたことも、家畜やホームレスの事件があったことも、たまたまなのか? 今日たまたま、あの事件に遭遇しただけなのかッ?」



「……はい。たまたまです。」



「……ッ! じゃ、じゃあ、はじめからオレがあやしいという決め打ちで、この町にきていたっていうのかッ!」



「そのとおりです。ですから昨日、調査協力を上司のかたにおねがいしました。今朝、山端さんがおいそがしいタイミングでお会いしたので話は聞けずじまいでしたけど。……でも、トビオさんの友人が証言してくれたことからだいぶ調査が進みまして、やはりあなたがイザナミにもらった能力をもてあましていたんだろう、と結論がでたんです」



「て、てンめぇッ!」



 いつのまにか外堀を埋められ、王手をかけられていたようだった。


 といって反論する言葉もない。


 いや、浮かんでこない。


 かわりに怒りがわきあがる。


 理性を失いかける、動物的な怒り。


 山端の脳内は、わずかずつ白くモヤがかかっていく。



「だだだ、だがな、オ、ォレレが犯人だて、しょ、しょしょこは、ないろ? お、ぉおん?」



 山端の左右の黒目が、ぐるぐると別々な動きをしている。


 ろれつのまわらなくなった舌ベロは、すでに言語を生みだせないでいる。


 紅潮してゆく顔面は、爆発しそうな感情をおさえるので必死だ。



「え……、あ、証拠、ですか?」



 かろうじて聞きとれた言葉に、凌羽が返答した。



「そうですね……。家畜殺しの目撃者であるトビオさんは亡くなってしまったし、どうしたらいいのかな……。そうだ、すこし座って話をしませんか? むこうにきれいなベンチがあったので」



 そういって歩きだす。


 急な凌羽の提案は、熱くなっている山端を落ちつかせるためのものだったが、



「あッ、あ、あ。そおしよ」



 受け入れる返事の裏で、山端にはべつな思惑がうかんでいた。



 殺すッ!


 殺してやるッ!


 前を歩く邪魔者の殺害を決意したことで、なぜか頭がスッキリしてきた。


 怒りも、うろたえも、あせりも消えてなくなった。


 意識はただ、凌羽の背中にむけて集約されていく。


 しゅりる、しゅるるり。


 まるで、金属製のメジャーがのびながら、こすれてからまるような音がした。


 背後から聞こえた物音に、凌羽がふりむいたときだった。


 ひゅ。


 空気を切る、するどい風音がした。


 瞬間、凌羽は肩口に冷たさを感じた。


 ずりゅッ。


 体内に響く、不吉な骨伝導。



「あ。……あれ?」



 凌羽の全身から、急速にチカラが抜けてゆく。


 瞬時に視点が落ちていく。


 一メートル八十ちかいたかさから、ゼロセンチへの高低差を、一気に落ちてゆく。


 どちゃンッ。


 にぶい音と同時に、頭部の左に衝撃が走る。



 な、なんだ?


 どうしたんだ?


 なぜ急に体が動かないのか、わけがわからなかった。


 意思とは関係なく、ビクビクと痙攣する。



 まさか。


 切られたのか?


 体を、切られたのか?


 凌羽の予想どおりだった。


 上半身を背後から、ななめに切断されていたのだ。


 一刀両断するにはそれなりの大きさの刃物が必要だ。


 だが、そんな凶器を山端がもっていたようすはない。



 ならばいったいどうやって?


 瀕死の状態でかんがえても、答えなどでなかった。


 裂けた体からは、巨大ウナギのような臓物がこぼれ落ちてゆく。


 ぼちゃ。


 ばちゃぼちゃぼちゃ。


 それが地面でのたうつようにバウンドする音が、凌羽のすこしうしろで聞こえた。


 もう、声さえだせない。


 途切れ途切れの意識は、つながりは消え、つながりは消えする。


 そんな視界の中に、見おぼえのある下半身が入りこんできた。


 下半身だけが、歩いてきたのだ。


 左右によろよろしながら、一歩、二歩、と進む。


 だが、すぐにバランスを失くし、ドタリ、と無様にたおれこんだ。


 それでもまだ先へ進もうというのか、両足は空をかいている。


 透明なペダルをこいでいるかのような動きだ。


 それを何度かくりかえし、やがて、止まった。



 あれは。


 ボクの。


 足……?


 それが、凌羽の見た、最後の自分である。


 そして思考が消え、なにも感じなくなった。


 完全に心臓の鼓動が止まった。


 そんな凌羽に近づき、



「……おい。……死んだか? ちゃんと死んだか?」



 ニヤニヤしながら顔をのぞきこむ山端。


 すりへった古い革グツの先で、凌羽の後頭部を、こんこん、と蹴る。


 生死を確認しているのだ。


 内在する神の能力、神威を凌羽にぶちまけることで、マスターベーション をすませたあとの賢者タイムのように頭が冴えてきていた。


 死者への罪悪感も、あわれみもなく、骸(むくろ)になりはてた凌羽にさらに話かける。



「……なあ、どうして殺人事件の捜査がはじまるとおもう?」



 返事をしない凌羽の頭を、靴底でころがし、もてあそぶ。



「そこによぉ……死体が、あるからさ!」



 くふくふくふ、と笑った。


 腹からではない、浅い笑い声だ。



「死体がなければ捜査はされない。だってよぉ、そりゃ、行方不明ってやつだもんよ、当たり前だろッ! くふくふ」



 また笑みがこぼれる。



「……で、だ。家畜やホームレスはオレのミスだ。神のチカラ――神威ってのを楽しみすぎたよ。まさかおまえらのような組織があるとは知らなかったからな。だからこれからは、もっと慎重に、自重して、チカラを楽しまないといけないな。おん?」



 光のない凌羽の目をのぞく。



「そのためにもまず、おまえを処理しなきゃな……。サイコロステーキみたい切り刻んで、公園の植えこみの奥にでもばらまいてやる。二、三日もすればカラスだのネズミだの虫ケラだのがすっかりキレイにしてくれるさ」



 ふたたび、くふくふと浅い笑いをもらす。



「あ……。そういやぁ〈フツヌシ〉ってのがなんなのか聞くのを忘れたが。ま、いっか……」



 そうひとりごちながら、最後の工程にとりかかる。


 どこからあらわれたのかわからない、巨大な刃をふりおろす。


 そのたびに、ずひゅん、ずひゅるン、と激しく空気を切る。


 家畜とトビオを殺し、凌羽を切断したその凶器。


 時折、外灯の光に、狂った刃物が反射して銀色に見えた。


 だが、その刃物がいったいなんなのか。


 落命した凌羽にはもう、知るすべはなかった。







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