第二章 汝美しきもの、されど―――

お昼の招待。『面倒』で断れる人は幸せ者

 遥か天空の雲の中で雷が荒れ狂おうと、蟻は感じさえしない。


 ミーアを迎えの騎士に任せた後、残った騎士たちの前でエルクス院長先生から勝手に動いた事を叱られ、ついでに尻を叩かれたらもう日常である。


 孤児院の大人たちでさえ殆ど誰も気づかず事件は終わり、子供たちに至ってはごく少数の子が一部の大人とヨナスが眠そうなのに気づいただけ。

 暫くミーアは顔をださず心配する子も居たが、十日ほどでミーアが又遊びに来るようになると誰もが心配してた事さえ忘れた。

 ミーア自身も事件を引きずってる様子は見せず、そして一月。

 

 今日も今日とて蹴球けりたまであった。蹴球けりたまは素晴らしい。飽きない。体が鍛えられる。協調性も鍛えられる。更に精神を鍛え、人生の悟りを得られる。……反省による苦痛を伴うが。そう、今日負け越したヨナスは思っている。


 どうでも良い感想をうっちゃり、ヨナスは仕事を始めようとメモ用木切れを取り出し、地面に書いてある試合の勝敗で上下した子供たちの個人数値を書き込みはじめた。

 これはチームの勝敗を大体五分にする為とても大事な作業だ。


―――一人だけ大人の技術を持ってるのを良い事に、子供を蹴散らすような真似は下品極まるというもの。皆が楽しめるように気配りしなければな。まぁ、そんな事を言うなら外から見るだけにするべきなのかもしれないけど、でも、私だってボール蹴りたいし。

 等と偶に心に浮かんでくる言い訳を述べながら。加えて忙しそうにしていれば、もしかしたら……、


 背後。

 集団から一点が離れてこちらへ来る。色は深く純粋な青。ミーア。歩く速度が唐突に落ち、止まった。三つ数える間を置いて前進。恐らくは躊躇。今日目が合った瞬間からの予想が確信と言うべきものに変わる。当然ではあるのだ。親は子供がよく付き合う友人の人品を気にすべきである。その上重大な事件にその品性卑しそうな奴が関わっているともなれば。


 だから嫌がってはならぬ。そう念じてヨナスは気づかれないように大きく息を吸って吐き、心の準備をし、

「あの、アニキ」


 待っていた声にヨナスは歓迎の笑顔を作って振り返り、

「うん? ミーアか。何?」


「え、っと、お母さまが、明日アニキを昼食に招待しなさいって。それで、アニキに来て頂きたくて。―――駄目ですか?」


 動揺は、無かった。想定していたとは言え、中々精神が強いじゃないかとヨナスは自分を見直しつつ、

「場所は何処? 一緒に食事をするのは私以外誰? 何番目の鐘で行けばいいのかな?」


「え? あ、お屋敷の隣に食べ物を出してくれるお店があって、そこです。お食事は多分、わたしとお母さまだけだと……。えっと、鐘は三で、その、来て、頂けるんですか?」


 上位身分者の誘いを断る平民が居たら必ず教えて欲しい。出来る限り距離を取るから。と、ヨナスは思う。

 しかしお屋敷。この領地の人間はみなミーアの住んでる場所を城と呼ぶ。だがミーアにとってはお屋敷なのだろう。とまで考えて止めた。

 好奇殺猫。忘れてはならぬ自造四文字熟語である。


「そりゃいくよ。騎士様とご家族しか入れもしないお店で食べられるなんて嬉しいもん。てかミーアが不安そうなのが変だろ。私が嫌と言うと思ったの? もうしそうならなんで?」


「だって……皆が言ってました。アニキは絶対に騎士の家に近づかないって。貴族が嫌いなんだろうと。だから、えと、わたしは単なるミーアですけど、子爵閣下のお家の近くは来たくないかなって」


 舌打ちを……していない。凄い。

 次に自分の表情を確かめようと上がりそうだった腕を止め、顔の感覚で確かめると自分が驚きの表情になっているが分かった。私マジ凄い。自分を褒める余裕まであるとヨナスは喜ぶ。分量としては苛立ちの半分もなかったが。

 何にしても最低である。貴族の子に。圧倒的強者に。お前が嫌いと言ったかの如き状態。例えようとしても馬鹿過ぎて例が思いつかない。


「あー……。皆勘違いしてるんだよ。私は貴族を嫌った事は無いもの。ただ、貴族の中には私みたいなのを嫌いな人も居ると思ってね。だから近づかないようにしてるのさ。ミーアも屋敷に住む人から言われただろ? 親無しと遊ばない方がいいとか」


 口がパクパク動くが出てこない声の代わりに、顔には大文字でその通りで気まずいと書かれていく。それでも何とか自分を取り戻すと、

「わ、わたしは大好きですよ。アニキの事」


 質問したのに自分の主張とな? とヨナスは一瞬思う。しかし十にもならない子供に意思疎通能力を求めるのは頭がおかしいと反省。

 なので、真っ赤になってこちらの返事を待ってるミーアの言葉に乗って、

「そりゃそーでしょ。今日二回も決められたのは私が良い球渡したお陰な訳で。此処まで上手になるのを誰が助けたかと言ったら。ねぇ? これで嫌われてたら、そりゃないわーだよ」


「そ、そうですけど、それだけじゃなくて、えっと……。なんか、凄いですし」

 

 この感想は更に『そりゃそーだ』であった。何倍生きてんだってな。と思うが触れず、

「とにかく分かった。明日学院の仕事を三の鐘までに終わらせて行くよ。……誘ってくれて有難うミーア」


「は、はい! お待ちしてますねアニキ」


 不安が消えた綺麗な笑顔だった。ヨナスも綺麗な笑顔ではあった。



 相手への敬意。或いは媚は清潔さから始まる。


 ヨナスは恐怖の館を確認した。何が恐怖かと言えば建材からして近づきたくない。

 日本人だった頃はあまり気にしなかった法則で、家主の財力と権威が家の材質でおおよそわかるのだ。

 この領地だと最高はレンガ。次が土壁。貧乏人は木だ。これは上から順に火事への耐性順となっており、貧乏人は火の不始末であっさり焼け死ぬ事になる。木さえ実は山暮らしによる恵まれた作りであり、普通貧乏人は屋根だけでなくあちこちが草だと聞いていた。


 目的地を確認したので次の準備をするため人のいない路地へ入る。そして手から水を出して布を濡らし、全身を拭く。

 午前中学院で仕事の清掃を終わらせた後、子供たちに不思議がられつつ体を水で洗ったが、此処へ来るまでに汗をかいていた。


 最後に面倒ごとの予感にじっとりと感じる緊張を宥めつつ言動方針の確認をし、諦めて品格を感じる店内に入る。

 そして『貧乏な孤児は追い出される可能性がある』という最後の希望を砕く、腰を地面に付きそうなまでに低くしてこちらへ来る支配人らしき人物の笑顔に拳を埋め込みたい気持ちを抑え、後に従う。


「ヨナス様がおいでです」


 案内をした支配人が扉の前でそう言った。

 トサカに来る支配人だとヨナスは思う。

―――孤児に様付け。あまりに異常事態。不吉。そもそも先ほどのあいさつが気に食わない。孤児に「支配人の〇〇で御座います」とはなんぞや。相手を弁えてほしい。冬お前の玄関の前に水撒いたろか?


「どうぞお入りになって」


 が、今人を恨む余裕は無し。扉の向こうに薄い緑色が二つ。おそらくは給仕。その二人が扉を開こうとしている。部屋中央右側にも一人居る。これは綺麗な青、ミーアだ。


 扉が開き、ヨナスは部屋へ入る。

 今入室の許可を出したであろう正面最奥に居る人の方を向き、しかし直視しないよう気を付けて。


 食卓を確認。残念な事に食事の準備無し。

 よって事前案その一。『わー! 凄い! こんな美味しそうなの見た事ない』と言って笑顔と感謝の子供力で現場を押し流すのは不可能と判断する。


 仕方ないのでヨナスは相手の声かけを子供の忍耐力時間分待つ。が、何も無し。ならば仕方なし。と顔を上げ考え済みの挨拶を言おうとして口を小さく開け、「……ぁ」動けなくなった。

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