第一章 出会い

赤子時代

 魔法はあったけど無かった。


 人はどうやって声を出すのか。目で相手の位置を把握する理屈は? なんて事がどうしても気になるインテリ拗らせは滅多に居ない。出来る事は出来るのであって、使える物は使うだけである。

 つまりこの世界の人は『水よ在れ』と言えばジョウロ並みに水を出し、『火よ在れ』と言うと手をかざした物の熱を上げ、火打石とどちらが楽か分からない程度の速さで火をつけられる生き物なだけで、地球人と大差は無い。そう一年をかけて言葉を覚えつつ、ヨナスとよばれるようになった赤子は悟った。


 残念ではあった。だがこの二つ以外は一度もそれらしいものを見ていないし、声が出せるようになると簡単に水を出し、手の先を暖められたのに、こっそり魔法の呪文や仕草の真似を知る限り試しても、うんともすんともならないのだから諦めるしかあるまいと結論した。

 井戸から水を汲んでいるからには、水も大した量を出せないのだろう。魔法が在ると言うには少々ショボい。


 そう、井戸。手押し式ポンプなので少しはマシだがこの時点で感じた不安通り、この国に電気や蒸気機関は無かった。ヨナスは日々の観察でそう気づき、今後感じるであろう不便さを思い頭を抱えた。が、手から水が出るのに慣れたように、慣れ親しんだ技術が無いのにもやがて慣れた。



「さて我らの国クローゼ王国が王はご存知の通り竜角たる王ヨアヒム・リグ・クローゼ陛下です。殆どの方は書けると思いますが、文字はこう」


 孤児院を管理する人間は教師であり、祭司である。

 孤児院では商人、家庭教師を雇えないまでに貧乏な騎士の子供や、そうなるのを夢みちゃったり、意識が高いだけだったりする者の為に学校を開くだけでなく、付近の住人の悩みを聞き祭祀を司り、遥かな昔神から与えられた。と、伝えられる律法を教える役目を持っていた。


 人々の信じる神の名は呼ぶのも畏れ多いと人々が考えたのと、年月により風化し消えてしまったが、神が竜を遣わし伝えたとされる律法は多少の変化があったものの、人々の習慣として染みつき文化と常識になっている。

 その為この島に住む人々は宗教行事という意識無く年に数度、地域で祭司となってる人にお願いして神へ羊などを捧げ、それはヨナスが居るような隣接する孤児院の食事に使われる。


 そもそもこの島に宗教は一つしかないため他と区別する必要が無く、宗教という単語さえなかった。

 ヨナスは後に千年は昔に作られた律法の内容が食事の前に手を洗えだの、疫病になった者は隔離しろだの、汚物は街の外に直ぐ出せといった彼の常識にあった物と同じなのに驚愕する事になる。


「クローゼ王家には神竜猊下の血が流れています。故に王族のお方々は輝かしい角をお持ちであらせられるのです。ただ、現国王陛下の即位とその後の内乱により、現在角持つ方々は陛下とご子息たちのみになってしまいました。

 一方、西方を治めるジョウ皇国は神竜猊下の祝福を受けし使徒の末裔であり、民を統治する役目を与えられし正当なる支配者で、我らクローゼ王国はジョウ皇国から東方を統治する役目を与えられた。という形になっていますね。

 あー、そこ、不満げな顔をしない。クローゼ王国は建国されてまだ二百年、あちらは千年なのですから仕方ないでしょ。加えて文字、法律、皆さんが今勉強に使っているこの学院も、元々はあちらから持ち込まれたものなのですから。はいそこ! 静かに! ほら、赤子さえ黙って聞いているのですよ。赤子にも劣るとは恥をしりなさい!」


 その呼ばれた赤子は黙って、『角が生えてるのは本当らしいから凄いけど、話し聞く分には私と変わらない普通の人間なんだよなぁ。神竜も実在して無さそう。残念だ。まぁ王権は上位者から与えられた事にした方が有難いよな』等と考えている。


 ヨナスはハイハイが出来るようになると直ぐ、授業中此処に来るようになった。

 当然最初は大人たちが赤子の部屋に戻そうとしたが、『おら絶対ここを動かんぞ! 育てられる場所で基礎教養を教えてるとは正に神っぽかったあの方の思し召しじゃぁ。お前ら祭司だろうがぁ。邪魔したらバチ当たるぞぉ!』との思いを込めて押忍に泣き叫び諦めさせている。

 そして更に一年が経ち誰にも知られず読み書きを覚えた頃、一人で歩けるようになるとそれが節目だったらしく、集団生活を覚えさせるためか他の数人居る幼児たちと同じ部屋で世話をされるように変わった。同時にしつけがされるようになり、我儘が通らなくなった。


 大問題である。

 授業を聞こうと泣き喚いて床をころげまわれば、尻を叩かれて運ばれるようになってしまったのだ。

 さてどうするかと考え、大人の忍耐力に物を言わせ、向こうが折れるまで尻を叩かせようと思いつくが、三歳未満の幼児にそんな忍耐力のあろうはずがなく、気味悪がられてはまずいと諦めた。

 何せ自分の尻も満足にふけやしねーのである。今異常な子だと思われて放り出されたら、ウンコまみれになって死ぬしかない。


 ならぬものはならぬのです。この言葉を使った大迷惑殿も、大人になって考えれば養子故の立場の弱さと、若さが合わさって最悪になってしまったのだと分かる。自身が凍死する羽目になった領民であれば呪いの札を門に打ち付けただろうけど、今はヌクヌクなのだから贅沢は言うまいと適当に自分を納得させた。


 しかし幼児たちと一緒になって積み木も興が乗らぬ。さてどうしたものかと部屋を歩き回ってる内に、窓の近くでは授業や外の会話が聞こえてくる事を発見。

 それ以来窓の近くで目立たないよう運動しつつ、外の会話に耳を澄ましていたのだが、


「ご本よんでぇ~! ぁあーん! ご本~!!!」


 幼児の集まる部屋は世界が変わろうとも騒がしい。数人居る自分に注目を集めようと異様に大声で叫ぶ奴は、勝てるようになり次第教育するとしても、元気よく騒ぐのは当然の事象だとヨナスは思う。

 しかし殆ど外の音が聞こえないくらい大声で泣き喚かれるのは困る。しかもこの騒いでる幼女リオネラは、偶にある読み聞かせがお好みのようでコレがしょっちゅうだ。

 そして幼女なので『お嬢さんや、本を読もうにもきっと高価であろう紙の束を、こんな幼児の集まる場に置く訳ねーよ?』と話しても無駄。ヨナスは悩んだ。悩んで、

「リオネラ、こっちにおいで」


 手を引いて隅の窓際へ。


「ヨナちゅ? ご本読んでくれるの?」


「うん」そう聞いて一瞬笑顔になるが、直ぐ不思議そうに「でもご本持ってない」


「座って。本がどこなんてコマケー事は気にしないで、じゃあ始めるよ。昔々……」


 勿論本は無い。しかし絵本の内容程度何回も読み聞かせて貰えば暗記は楽勝。多分今自分が後ろから抱きかかえている幼女も覚えてると思うのだが……まぁ、騒がないなら後はどうでもいい。と結論付けヨナスは外の話に耳を傾けつつ、周りに聞こえないようリオネラの耳元で囁くように暗唱を始め、リオネラは楽しそうに聞きはじめた。


 正直不本意ではある。幼児が本の内容を抑揚をつけて暗唱出来る。なんて知られるのはよろしからずだ。

 しかし腕の中のは幼女。成長すれば詳しくは忘れると願う事にした。周りから何をしてるのか聞かれたら、適当な作り話と言えばいい。とまで考えた所で、

 脳裏に感じるリオネラであろう点が、白から薄い緑色に変わった。周りの大人たちで好意を向けられている感じな人も大体緑色。好きじゃなさそうな人は白。偶にある薄いオレンジは、、、敵意だろうか。

 この第六感は人の感情らしき何かまで感知していた。どう考えても人の持てる物を越えてんな。とヨナスは思う。


「ヨナしゅ。続きー」


「あ、うん。そして王子は……」


 ヨナスの幼児期は過ぎて行く。


******


 三歳になりある程度走れるようになったヨナスの前に、ボールがある。


 ボールはヨナスの知識だとバレーボールに近い見た目で、主に孤児院の子供達が投げ合うのに使われている。牛等の膀胱や皮で作られており軽く、跳ねる。そして孤児院に複数置いてあるくらいには安い。

 ヨナスはこのボールを見る度、誘惑にずっと耐えてきた。しかしもう限界。走れるというのにこれ以上我慢できようか。否。


 ボールを持ち、裏手の人が滅多に来ない広場へ行って蹴り始める。そう、筋肉が断裂するまで走る楽しい運動、サッカーである。

 この国にはサッカーが無いようであった。その為相手はこれから作る必要があり正直面倒くさい。

 しかし発想を変えれば今自分は国で一番サッカーを知っており上手いと言える。そう考えると中々乙な自己満足をヨナスは感じた。生涯誰も相手をしてくれなければ寂しいが、あり得ない。サッカーの魅力は世界が変わった程度では変わらないのだ。


 サッカーも文化なので持ち込むのはどうかなとも思ったが―――、数秒で欲望に負ける。

 大丈夫。運動方法の選択肢を増やすだけ。何時かは産まれる遊びだろうし、大丈夫。と言い訳をし、ヨナスはボールを親しくなる為蹴るようになった。

 そして暇があれば友を蹴り三日後。


「何してるの? 楽しい?」


 リフティングを止めて声の方を見る、リオネラだ。一年前泣いてるのを宥めてからなつかれ、よく一緒に遊びたがる少々面倒なお嬢ちゃんだ。

 しかし今は大歓迎。これからサッカーを何人もに教え楽しいと思わせなければならない。幸いこの孤児院には同年代の子供が大量に居るが、まずは自分から望んで聞きたがる子で教え方を考えられれば尚よかろう。

 そう考えたヨナスは最高の笑顔で、

「私は楽しいと思うよ。一緒にする?」


「っ! ―――うん!」


 ボール改め球を二人で蹴り始めると、ヨナスは一々リオネラを褒めた。まだ幼児のリオネラは素直に嬉しい。

―――ヨナスが褒めてくれる。いつもは褒めてくれないのに、こんなにいっぱい!


「ねぇ。ねぇ! ヨナス、凄い? あたし上手?」


「ああ本当に上手いよ。リオネラは足も早いし、世が世ならナデシコになれたかもしれないなぁ」


「なですこ? って何?」


「球を蹴るのが上手な女の人をそう呼ぶ時もあるんだ。よーし、次は飛んできた球を胸で受け止めてみよう。手を使わないようにね」


 一週間。リオネラは球蹴りを気に入ったようで、飽きる事なく二人で球を蹴り続けた。

 さて、そのリオネラは茶色の髪で少し地味だが、この孤児院で一番可愛い。と、かなりの子供たちが思っていたりする。子供故に分かり難いが彼女は隠然たる人気を持っており、ヨナスは何時もリオネラが寄ってくる事で妬まれていたりもした。ではそんなリオネラが頻繁に何時の間にか居なくなっていたらどうなるか。


「いた! おいヨナス!」


 ヨナスが声の方を見る。二歳くらい年上で少し乱暴者な、ガキ大将の素質ありと評価していた子が居た。


「お前は何時もみたいに院長先生の所で良い子してろよ! リオネラは俺たちと遊ぶんだ!」


 こちらに指を突き付けて断定口調。もしかして約束があったのかな。とリオネラを見ると、

「やだ。あたちはヨナスと遊ぶ。どっか行って」


 こちらは決定口調。これは面倒になったかもしれない、と少し悩む。トサカに来たと顔に墨で書いてある坊やの様子からして百に九十九は無意味だろうけど、一応一の可能性を試してみるかと口を開き、

「リオネラもこう言ってるし諦めたら? この遊びその内皆でやろうと思ってるんだ。その時は」


 君も混ざらない。まで言わずに口を閉ざす。相手が顔をまっかにしてこちらへ走り出したからだ。ご丁寧に十歩以上前から手を後ろに振りかぶっての殴る姿勢で。

 軽く殴られて怒りを発散させてやる。から、院長先生への告げ口まで幾つかの対応を頭に浮かべ、どうしたものかとヨナスは考える。この少年は同じ建物に住んでいて、この後もずっと一緒。となると―――。

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