クローゼ王国録
女はこの世の全てを持っていると言われ生きてきた。
美しさ、頭脳、精神、見識、美意識、権力、当主としては十二分な戦士としての技量まで。
美貌の盛りは過ぎてもその年月の間に潜り抜けた出来事、戦歴は今後何者であろうと手に入れられない伝説となって彼女を彩った為、歳を取るごとに人々の崇敬の念は増していた。
自身は人の言うほど自分に力があり、何もかも上手く出来ていると感じた事はなかったけれども。
彼女は極めて高い地位に居る者の当然な事実として、この世の良いと言われる物ほぼ全てを知っている。ゆえに今手にある本は驚きだった。
良いだけではない。内容の構成から何から自分が全く知らない考えで作られているのだ。
まず不可能と言っていい話であり、当然の好奇心を作者に感じた。
そして今その者は目の前で両膝を床に付け、手を伸ばし拝跪の礼を取っている。
久方ぶりの高揚感と共に、口を開く。
「竜臣が、ルティシア・リグ・バルトニカ公爵である。クローゼ王国録作者、ヨナス。立ちて顔を上げよ」
言葉に従い立ち上がったヨナスを見てルティシアは、ごく普通でありながら非常に奇妙という難しい印象を受けた。
まず余りに若々しい。
聞いた年齢が本当ならば、特別若さに気を使っている貴族でも滅多に居ないほどだ。なのに表情と振る舞いは老成している。
次に服。こちらに特異な点は無い。ただ、胸の
一度の挨拶で少しでも印象を残そうと、特別奇抜な恰好をする者は貴賤を問わず居る。しかし本と、目の前で静かにこちらを見ている様子で受けた印象だと、そのような真似をしそうにないのだ。
―――成程。ディアナの歯切れも悪くなろう。
考えての物ではない生来の曲者だとルティシアは判断する。実に結構。書類仕事に埋もれる公爵家当主の日々には、珍しい人物が何よりの清涼剤である。
******
『く、くるるるああああ……。惜しいぞ余りにも。後十年若ければ。今までで最良の雌を番い殿は得られたのに! そして、きっと妙なる子がぁ……。以前王都を通った時調べるべきであった。話を耳にして考えはしたのだが―――はぁぁ。すまぬ。
『本人の前でとんでもない話しないでくれます? 変な顔しそうになるから。後雌は日頃から言わないようにしてってば。何回か人の姿で女性に言って面倒増やしたでしょーが』
『承知承知。番い殿の面倒な気遣いにも従うよってそう困るな。にしても惜しい。今更子を産ませても―――余りよくなかろうの。貴族は面倒であるし』
『え。公爵閣下に何かあると?』
『是である。もう少し近くで時をかけて見ずば詳しくは分からぬが。まぁ、本を作る間くらいなら問題あるまいて』
『―――。そう。諸行無情と言ったところかな。話に聞くだけで大した人なのに』
『だが所詮は人。土より偉大ではない。じゃろ?』
『まーね。人を創られた方は洒落が効いてるよ。死ぬとより偉大になるとは参ったわ』
『すまぬ番い殿。同意はするが正直その言葉は聞き飽きておる』
『……繰り言が多くてすみません』
******
「さてヨナス、汝は公にこの本が数百年残るよう手を尽くす事だけを望んでる。間違いないな?」
「その通りです閣下」
「どうにも奇妙に思える。この本はとてもよく出来ている。これだけの内容を集めるのに数十年掛けたとも聞いた。それをこのルティシアに認めさせて、尚見返りは要らないと言う。ならこれは何を目的に書かれた本であるか?」
まさしく。その問いを待っていた。彼女なら自分の望みを理解し、最高の助力をしてくれるかもと思い選んだのだ。
ヨナスは顔に笑みを浮かばせた。
「お答えいたします。私が考えますに、今は非常に重要な時代と言えます。
この大陸は史が始まって以来初めて一つの国家により統一され、大陸の名もクローゼ大陸と命名されました。これにより文化、歴史、政治、人々の生活。何もかもが激変し、様々な物が失われるはずです。またその本に書き記した動植物の中にはやがて取りつくされ、殺しつくされ居なくなってしまう物が出てくるはずです。
閣下や名ある方が成した事柄は多くの方により書き残されましょう。しかし閣下がジョウ皇国へ攻め入った時に集めた資材、それを閣下が如何に苦労して集めたか。今の我々にとってどれだけの価値があったか等の常識は知るすべさえなくなり、合わせて全ての人の血と涙と感動が時と共に薄まっていくと考えました。
私はそれを少しでも遺したい。我々の賢さと、愚かさを。上手く行けば我らの愚かな子孫への親切。善行となるでしょう。その為にこの本を書き、閣下にご協力願おうとして此処に居ます」
荒唐無稽なまでに大きな話だった。部屋に居る護衛の騎士数人などは、どうでも良い趣味に無駄な時間を掛けた狂人だとヨナスを見ている。
しかし彼らの主君の様子は、
「この本は何かを計るのに、一日という時間を中心としているように感じていた。他にも色々あるが―――。あれは物の単位が変わった時、このクローゼ王国が滅んだ後でさえ、正しく記録が残るように、か?」
ヨナスの笑み深くなる。そのまま恭しく頭を下げ、
「まさしく。明察です」
ディアナの耳に骨の鳴る音が聞こえた。見ると主君の手が尋常ではない力でひじ掛けを掴んでいる。
顔を見るが感情をくみ取れない。ただ主君がどう考えたものか判断しかねる男の要望で、強く心を動かされた事は確かだった。
「何故、この公を頼ると決めた。大きな力が欲しいなら王家の方がよろしかろう」
「私は元より緑の血を持つ方の力を頼るつもりでした。ですので全ての領地を回る間、歴史や文化に興味があり、大事にしてくださる方を探したのです。
結果、ルティシア・リグ・バルトニカ公爵閣下はご領地に大きな学校を持ち、服飾等の芸術関係に単なる利益以上の力を注いでおられ、文化という物を高貴な方の中でも特に高く評価なさる方だと。ゆえに、ご助力を願っております」
言葉が静かに響いて消える。
そしてルティシアは頬に違和感を感じ、手をやり拭った。目をやると驚くべきものが付いていた。
「涙? ディアナ……、信じられないのだが、公は心が震えている。
光栄であると―――栄誉を受けたと、感じているのだ」
それこそ信じられない話にディアナは愕然とした。おのれの主君は王家から受けた命さえも見切っているような気配があったのに。
「分からないか。いえ、そうであろう。―――クローゼ王国録作者ヨナス。まずは貴君の行いを讃え、感謝しよう。我ら貴族も歴史を記してはいれど結局は己の為のもの。この本を書ける者はクローゼ大陸広しと言えど、汝以外に居ない。貴君の行いこそ真なる貴族」
あり得ない賞賛の言葉に二人以外部屋に居る全ての者が絶句する。
例外の二人はお互いの笑みに意見の一致を見て更に笑みを深め、
「バルトニカ家はクローゼ王国録の保管事業を大いなる栄誉と受け止め、力を尽くすと此処に誓約しよう。ヨナス。貴君にはこの屋敷に客人として滞在し、清書作業の監督を務めて貰いたい。勿論報酬も用意するが―――望みを言うがよい」
「報酬は本の費用に充てて頂ければ、と思いますが、望みが一つございます。
閣下のお姿を描かせて頂き、本の挿絵として使いたいのです。もし私の絵でご不満でしたら、ご贔屓の絵描きが描いた物を。ただ私の本を引き取る際には是非閣下の絵を挿入させて頂きたく」
意表を突かれてルティシアは目を見張る。視界の端で何かが動くのを感じそちらへ目をやると、ディアナが納得を示して頷いていた。事業に対して当然である何らかの利益が得られるかもしれないと考えているのだろう。
つい苦笑するが、少々不本意でもあり、
「配慮には感謝しよう。しかし余計でもある。公はこの事業で己の名声を高める気はないぞ。何せ我が家が滅んだ後に使われる予定の本であろう?」
対してヨナスは微笑みを浮かべ、
「閣下の高貴なるお考え嬉しく思います。しかし勘違いをなされておられる。
貴方様のような高名な方で、私のような者の書いた本に助力する者がこの時代に居た。というのも記録すべき歴史。そして後世の歴史学者がどんな些細な話でも、貴方様について知りたいと考えるは既に必定。特に御容姿は強く知りたくなるものです。閣下もかつて三国を滅ぼし、王に嫉妬されて死んだワイズアウフ将軍がどのような顔だったか見たいと思われた事があるかと。
ですからこれも又、後の世の者たちへの親切なのです。更に失礼を承知で申し上げれば、閣下のような美しい方の絵姿は利用価値が高い。後の世の商人、劇作家。多くの者が絵の存在を大いに感謝するでしょう」
余りに不躾な発言に誰もが口を開けて唖然とする中ルティシアは、
「ふ―――ク、ハハハ! ハーーーーッハッハッハッハッハハ!! そうか! 公の絵は利用価値が高いか! それは分かるが、まさか数百年後にまで使われるとは考えていなかった! 確かに、言われてみれば今も公を使った演劇があると聞く。後の世となれば絵も欲しくなろうな。にしても、名を売るのではなく親切の為に数百年絵姿を遺すとは。フッフハハ! 余りに自惚れの強い言い方だと思わぬかヨナス?」
「しかし事実です。付け加えますと閣下程の方であれば画家に美化をしないよう申し付けるべきでしょう。閣下の価値は既に単純な美しさを越えていますので、閣下に関する話は正確であればあるほど高い価値を持ちます。私もお許しいただければ出来る限り閣下そのままを描くつもりです」
「くふっ。かつて聞いたありとあらゆる過剰な賛辞でもこれほどのは無かったぞ。だが、分かった。言葉通りになれば我が家名は有難くも貴君のお陰で千年の名を遺せよう。ついでにこの美しく利用価値の高い顔もな。いよいよもって力を入れて本を作らせてもらおうか。ヨナス、汝にも頼むぞ」
ヨナスは恭しく頭を下げ、
「御意。本望でございます」
******
半年が経過した。
深夜。新月の闇夜、人里離れた林の中にある大きな広場に季節外れの厚着をし荷物を背負った男と、鞍を付けられた巨大な鳥の姿があった。
「ふむ。いよいよ旅立つとなると、惜しむような物哀しい気がする。このような心は初めてじゃ。番い殿が言う『趣』かの、これが」
「そーだね。私も同じような心持だよ。ここで一句読めれば風流なんだけど。ああ、旅の間に俳句の話をしようか。さて、行こう。まずは子供たちに会うのかな?」
「もう飛び回っているやもしれぬが、一応我らが住処に戻るか。よし、番い殿乗っておくれ」
巨鳥が体を伏せ、男が鞍に座る。
「安全帯確認した。―――ノクヤさんや。お陰でこんな短期間で安全に本が作れたよ。有難うございました。今後ともよろしくお願いします」
「ぴふ、ぴおおお……いや、うむ。
林の中、鳥が身を起こし、長大な翼を広げる。
飛んだ。
そのまま途轍もない速さで高く高く飛び、雲を貫き、クローゼ大陸に住む何者にも見えなくなった。
後に歴史学者なら必ず読む二冊の本がある。
この二冊は別々の大陸について当時の文化、歴史、風習、動植物の事が書かれており数多の学者の愛読書となった。
ただ、その時代では二大陸は全く行き交いが無かったと証明されているにも関わらず、不可解なまでに似通った書式、構成で書かれているのが解けない謎として数多の学者を悩ませている。
終
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ヨナスが持つ人生の可能性の内、最も大きな可能性の話はこれにて終了です。
ジャンルランキング百位にも入れない拙作を見つけ最後までお読みくださり感謝いたします。
総計12万字強のお話しでした。皆様有難うございました。
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読んで『悪く無かった』とお感じの方は、最後に下部の<☆☆☆>の+を押してお感じの分評価をしていただければ嬉しいです。
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別の作品の掲載を始めています。
戦乱の帝国と、我が謀略
https://kakuyomu.jp/works/16816452219117429937
謀略、派閥争い、利権調整、群像劇、暗躍の戦記モノです。
拙作を楽しめた方なら話の骨は楽しんで頂けるだろうと思いますので、せめて主人公が登場する三話。出来れば十話くらいまで一読して判断して頂ければ駄作の評価を頂こうと本望です。
お気に召せばフォロー、☆、レビューにて応援よろしくお願いします。
クローゼ王国録~現実的に考えた成り上がり展開の危険性と人情に挟まれ苦悩する頭脳中年少年~ 温泉文太 @wanisame
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