貴族街でお茶する美貌の年増メイドに話しかける怪しい男

 未だ日が高い中、女が一人喫茶店から出てきた。そのまま歩き出す。

 その服装を見れば、ここ王都は貴族街で最も多くいる貴族に仕える下女だと殆どの者が判断するはずだ。

 目ざとい人間なら下女の仕事服にしては手入れされているのと、所作の美しさから高位貴族の。と付け加えるだろう。しかしそれもここでは普通の範囲。

 あえて彼女の特別な所を述べれば、十年前ならさぞ多くの男に求婚されたであろう面差しと豊満な体つきか。

 

「ゲフッ」

 

 女が口を押え、薄っすらと頬を赤らめた。しかしすぐ気を取り直して歩き出し、お茶と菓子の味を思い出して上機嫌のまま、何時も通りお気に入りである人通りの少ない並木道に入る。


 男が木に背中をあずけて立っていた。

 特別何も思わず前を通ろうとする。が、後三歩という距離で男が木から背中を離し、

「初めまして奥様。少しお話しを聞いて頂きたく、砂一つ分お付き合い願えませんでしょうか」


 女は落ち着きを示すようゆっくりと、同時にすぐさま逃げられるよう準備しつつ相手へ向いた。

 距離は二歩。

 視線を男の顔へ向けたまま、短く正体を探る。

 歳は三十になる前。年齢以上に落ち着いた雰囲気は、目から何から黒一色な所為か。よくある色だが此処まで黒いとなると珍しい。顔には商人のような穏やかに見せる笑み。しかし貴族街を歩くには質の悪い服装と、筋肉の多い体つきからして店に座っている人間の可能性は低い。行商人の可能性はあり。服の下に首から何かを下げている。

 非常に正体を掴みにくい男だった。『奥様』と呼ばれたのも気になる。だが慣用句だろうと判断し、

「何のお話しでしょう。これから仕事場へ戻るのですが」


「存じております。お願いというのは本を一冊その仕事場へ持って行って頂く事なんです。そして仕えておられる方に、最低でも図書館の片隅にでも置いて保存して頂けないか。出来うれば本の内容が数百年後まで残るよう図らって頂けないか。と、お尋ねして欲しいのです」


 非常に奇妙なお願いだと感じた。注意を逸らしての暗殺まで考えるが、それなら話しかけず背中から襲うだろう。

 一番ありそうな売名なら―――。確かめる義務が女にはあった。


「本を数百年残すという難事、適当な相手へ言うとは思えません。もしや貴方は我が主が誰か知っていて声を掛けたのですか?」


 男は両膝をつき恭しく頭を下げ、平民が正式な敬意を貴族に示す礼をとる。

 そのままの姿勢で、

「はい。ご主君の御名はルティシア・リグ・バルトニカ公爵閣下。貴方様は公爵閣下と私的に親しい側近にして騎士夫人であらせられるディアナ・ドリ・クランリー様と認識しております。人目を集めぬためとは言え、数々の無礼をどうかお許しください」


 ディアナの体が緊張で強張り、同時に木に寄りかかっていた男の様子が思い起こされた。

 この男は自分を待ち伏せていたのだ。入念にこちらの私的な時間の使い方を調べて!

 公爵というこの国で二番目に強力な家に仕える者として、狙われる理由は幾らでも思いつく。そしておおやけに示した事は無い自分と主君の関係を知っているとなれば、いよいよ危険である。


 しかし―――礼を解き立った男との距離はやはり二歩。貴族街を歩く平民の恰好としては当然であるが、短剣さえ目につく所には持っていない。

 少なくとも今すぐ危害を加える気は無いとディアナは判断した。だが、

「―――何か本心があるのならお話しなさい。ただし言っておきますが貴方のような怪しい方、公爵閣下に目通りは叶いませんよ」


 あえて棘のある言い方にも、男は慇懃さを小動こゆるぎもさせず、

「当然です。奥様が私を警戒なさっているのも良く分かります。口だけとご判断なさるのを承知で申し上げますが、私は貴方様や公爵家に害を与えたり、利益を盗もうとしてるのではありません。それで、まずお願いする本を見て頂けませんか?」


 そう言い、肩にかけていた小物入れから警戒心を煽らない為かことさらゆっくり本を取り出した。

 厚い。背表紙が頑丈で、かなりの年月が経っているのが見て取れる。

 ディアナは慎重に受け取り、表題を見る。『クローゼ王国録』とあった。


「内容はこの国の辞書。と言えましょうか。私が国中を旅して調べた地域の様子、気質、産業などが書いてあります」


「国中と言いましたか? なら何方か貴族に雇われてこのような本を?」


「いいえ。私一人です。二十年ほど掛けて書きました。ですから、大切に扱って頂きますようお願い致します。お目に適わない場合は返却も。受け取りに参りますので」


 余りの酔狂さに唖然とする。嘘であろうと考え本を簡単に読むと確かに言われた内容、そして何処も同じ筆者であろう文字だった。


「この本を主君へ届けろ、と。見れば地図まである様子。貴族にこのような鼠が調べたかのような物を渡すのは、敵対意思と受け取られかねませんが。分かっているのですか?」


「鼠? ―――ああ、貴族の方が用いると聞く調べものをする方々ですか。一応申し上げますと私は単なる旅する猟師です。少し変な趣味はありますが。敵対意思などとんでもない話。

 むしろその本には地方の特産品なども書いてありますし、もしかしたら公爵閣下に役立つ―――かもしれません。情報の確かさはご領地について書いてある内容でご判断ください。

 私のような者に割く時間が無いのは存じていますが、公爵閣下のご評判を聞きその本の内容に砂時計一回分程度の時間、読む価値を見出される可能性があると思ったのです。勿論奥様が内容を確かめてからで良いので、お届けいただけませんでしょうか?」


 確かに。言葉の内容が本当ならば、主君は興味を持ちそうだとディアナは感じた。それに他の領地の情報は何であろうと貴族ならまず集めるものだ。

 しかし怪しい。怪しいが―――日々世の誰より貴重な働きをしている主君が楽しめそうな物。それは大抵の物事より優先される。


「貴方の望みはこの本の保全。他の褒賞は何一つ求めず、公爵閣下への面会も望まない。それで良いのですね?」


「はい。あ、ご覧になってお分かりかと思いますが、文字が美しくありません。出来れば清書をお願いしたいのです。其処までして頂ける時は一年後にでも門前にて本だけ受け取りたく。

 では、こちら。今私が使っている平民地区の宿名です。―――その、宿代の問題がありますので、何日ほどで結果が出るか目安があればお教えください」


 ディアナは懐から書き終わっている紙を出されて、苛立ちを感じた。実に手際が良い。何もかも考えていた通りなのだろう、と。


「今日から数えて五日以内に。ところで」せめてもの嫌がらせを。と考え、「よろしければ平民街までおおくりしましょうか?」


 この男はほぼ確実に正規の方法で貴族街に入っていない。と、ディアナは確信していた。貴族街に猟師が入るのはまずない事なのだ。なら自分に送られるのはとても有難いはずである。もしそうでなくても、動揺くらいはさせてやりたかった。


「え? その、ご厚意は有難いのですが、騎士夫人であるお方に送って頂くのは恐れ多いですし、お仕事の邪魔をしては申し訳ないので―――はい」


 返って来たのは心から不思議に思う表情だった。裏は全く感じ取れない。

 ディアナはこれ以上疑うのを諦め、

「分かりました。では、これにて」


「本日は非礼極まる申し出を聞いてくださり、心より感謝いたします。では、失礼いたします」


 男はそう言って一礼し、最後まで二歩以上の距離を取ってディアナが歩いてきた道を逆に辿って消えた。

 先ほど渡された紙を見る。宿名と、最後に男の名前とおぼしき物が書いてある。『ヨナス』

 どうにも負けた気がしてならなかった。


******


『あの者もに捕まって壁を越えたとは想像出来まいが―――ほんに番い殿は咄嗟の芝居が上手いの。殆ど嘘を感じなんだぞ』


「ま、私も歳だし。にしても真面目で良い人だった。ノクヤの人を見る目というか耳には何時も助けられるよ、有難う。

 続けて本をどう判断するか探るのもお願い。もし処分されそうなら何とか取り戻さないといけない」


『任せよ。いざという時は音より速く取り戻して来ようぞ。もう心は故郷の大陸へ飛んでいるというのに、また二十年かけて書き直しなど溜まらんからの』

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