ヨナス、ミーアに指針を与える1

 帰りの道、ミーアは何度も何か言おうとしては考え直すのを繰り返していた。ヨナスは反応せずに来ている。どうせなら自分から話す勇気だか厚かましさだかを発揮させてやりたかった。

 しかし道の先にはっきりと城館が見え、ミーアの表情が泣く寸前に。時間切れだ。


「こっちへ行こうか」と言って繋いだ手を路地裏にある建物の隙間まで引き、周りに人が居ないと脳裏で確認してから、

「何か、言いたいんじゃないの?」そう尋ねると、ミーアは目を見開き、うん。と頷く。


「でも、アニキが嫌かもしれなくて、」から言葉が続かない。


「話したいなら話すしかないじゃん。もし上手く話そうと悩んでるのなら、相手が私なんだから言い直せばいいだけと思う」

 普通の子供だと話の途中で割り込むが大人な自分には話を最後まで聞く理性があるのだ。


「は、い。ですね、アニキですもんね。―――あの、わたし、明日王都に帰らないといけなくなってしまったんです。もしかして、知ってましたか?」


「いいや。だけど今日は来た時からミーアの様子が何か寂しそうだったから。そーいう事があるのかも。とは思ってた」


「えぇ―――。わたし、頑張って普段通りにしてたのに。変でした?」


「皆はあんまり気づいて無かったと思うよ。それで、お別れを言う為に私と帰りたかったの?」何かそういう感じじゃないけど。とヨナス。聞かれたミーアは深呼吸をしてから、

「お父様に王都へ帰ってくるよう命ぜられて。だから、帰らなければなりません。でも―――あの、アニキは、前わたしの家族の話を聞きたくないと言っていました。今も、嫌ですか?」


 勿論嫌ではあった。しかしミーアが危険な話をしたがるのは分かりきっていた事。聞いて幾らかでも慰めようと決めたからこそヨナスは此処に居る。


「いいや。話したいのなら聞かせて欲しいよ。でも、私がミーアのお家について聞いたのは秘密にしてね。何より名前は出さないで」


「名前を出したら駄目なのは、どうしてでしょう?」


「どーしてでも。その方が良い気がするんだよ。で、ミーアの家族がどうしたって?」


「―――その、兄上と姉上が居られて、お二人は私に辛く当たられるんです。何より第一夫人様が……」


 体が震えていた。

 ヨナスはやはりそういう家族が居たかと思う。そして初めて会った日、ミーアが自分を卑下していたのを思い出す。加えて誘拐した男の後ろに一番居そうなのは、その第一夫人と周りの人間。怯えて当然だ。頼りになるとすれば、

「お父様はミーアとジュリア様を嫌っているの?」


「いいえ。好んでくださっていると思います。でも、お忙しいので。―――アニキ、わたし、怖い。お母様だってきっと。帰りたくありません。ずっと、此処に居たい」

 縋りつかれてヨナスは肩が濡れたのを感じた。そのままミーアは嗚咽交じりに、

「お願いです。一緒に来てくれませんか。そして今までみたいに教えてください。お母様にお話しするのはこれからですけど、きっと許してくれます。わたし、アニキが王都で楽しく暮らせるようどんな事でも頑張りますから」


 ミーアの願いと涙をヨナスは予想している。だから何かしてあげようとは感じない。しかし、『お母様にお話しする』のなら、あれだけ追い詰められていたジュリアが自分という藁を手放した事になる。

 実際は今夜騎士が来て学院から連れ出されるのかもしれない。しかし虫一匹捕まえるも同然の簡単な作業を子供の自分が嫌がっただけで止めたのなら、何をどう計算しても大きな恩が出るとヨナスは感じた。心震わせるに足る命の恩だ。

―――慰めるだけで終わりだと筋が通らんな。


「ミーア、私は人の多い所が嫌いなんだ。七十万人以上の人が暮らしてると聞く王都なんて考えただけで頭が痛くなる。だから一緒に行く気は無いよ」


 本心である。東京大阪は住民の寿命を削る酷い都市だと今でもヨナスは確信していた。同じ都会でもニューヨークとかは良い都市なのに。何せ住民の寿命を削ってくれている。とも思っている。


「で、でもっ! 王都なら、色々ありますし、きっと良い所だってっ!」


 考えてではなく感情が言葉になっている様子であるミーアの、汗の湿り気が残っている頭の後ろを落ち着くよう撫でつつヨナスは、

「あと、ミーアが怖がる所なら私にとっても怖くて大変な所に決まってるじゃん。やだよそんな所。だからこれがミーアとお話しする最後になるね」


 何時も通りの、明日までの分かれのような口調。

 一方言われた方は口を開けて呆然とした後、

「わ、わたしは行かないと駄目なんですよ。なのにそんな、酷いです。しかも最後だなんて」


「そりゃ私はかなり酷い奴だし」


 更に軽く言われてミーアの目に涙が薄っすら浮かぶ。それを見てもヨナスの表情は変わらない。しかし、

「ただ、この一年楽しく遊んでくれたお礼にせめて役立ちそうな話を贈りたいと思ってる。私はミーアがこれから行く所を知らないから的外ればかりだろうし、誰でも言えそうな話しか出来ないけど、聞いてくれる?」


 ミーアの涙が、ヨナスの表情から感じた強い意志に驚いて止まる。

 襲われた夜、荷車の上で話してた時の表情はきっと誰も見た事が無い物で、ミーアの密かな自慢だ。そして今ミーアの目に映っているのはそれ以上とさえ感じられた。だから、

「はい。お願いします話してください」


 ヨナスはうん。と頷くと抱きついていたミーアの肩を掴んで体を離し、小声で、

「今からお別れするまでの話、私は決して誰にも言わない。だから心が感じたままを答えて欲しい。ミーア、その怖い第一夫人や兄姉達の上に立ちたい、命令したいと思ってる? 或いは父親の跡を継ぎたいとか」


 今、この時。ヨナスは自分が遥か上位者に『血で血を洗うお家騒動を起こす気ある?』と尋ねるド級脳足りんになったのを苦々しく認めた。しかもミーアがこれからの会話を覚えている限り危険性が続くおまけつき。

 ヨナスとしては幾ら金を積まれようとしたくない質問だ。しかし役立つ忠告をするには絶対必要な質問でもあるのだ。

 ミーアの表情は―――狼狽と驚愕。どうやら色んな意味で最悪は無さそうだとヨナスは安心する。


「え。えっ!? あの方達に命令なんてそんな、今でさえ凄く嫌われてて―――とにかく考えただけで恐ろしくて、考えた事も」


「そう。でも相手はミーアがそう望んでるかも。って考えていると思うよ」


 ミーアの顔が恐怖に染まる。「脅してるだけ、ですよね? あの、本当に怖いので止めてください」


「脅しも何も子供に渡せる物がある家で子供が何人も居たら、平民から貴族まで誰に何を渡すかで争うもんだし。この領地でも偶に聞くよ」


「ですけどわたしは、お母様も何かを欲しがってなんて」


「誰に与えるか決めるのは家長、多分お父様と思うんだ。なら第一夫人様はどうしたって自分の子が十分貰えるか不安になる。ミーアを邪魔に感じても普通じゃないかな」


 この大陸には女の当主が多く居ると聞いていた。ならばミーアは生きているだけでお家騒動の元だ。だが当主にならないと誰もが認識すれば、容姿に恵まれたミーアは政略結婚の貴重な駒となれる。

 そろそろ終わりかけとも聞くが、この大陸は戦国時代でクローゼ王国は急速に拡大したのだから落ち着くまで大変なのは理の当然。当主とかの目立つ立場になり戦場か陰謀で腹を裂かれて血反吐の中でのたうち回って死ぬよりは、最悪でも臭いヒヒ爺から強姦同然の目にあう方がマシだろう。


 何せ世間が騒がしい以上ヒヒジイイも家業で忙しく、よっぽどの例外が無い限り不快な機会も少なくなるのが道理。とまで考えたヨナスの目に、よっぽどの例外である御容姿が映る。

―――本当のギリギリまで親切にしよう。と、ヨナスは決心しなおした。男ヨナス、己の中で筋なら通せる時は通すのだ。


「と言ってもミーアが当主を望まないと言うのは良い事だと思う。普通当主とかの難しい仕事はやりたくない人にはやらせないものだし。そうだね、何かの時に『将来何になりたい? ほら、当主とか。お父様を支える側近とか』なんて尋ねられたら『将来の事は分かりません。今日のお勉強を分かりたいくらいです。あ、でもお母さまと二人で静かにゆっくりと暮らせたら嬉しいです。それで、偶にはお父様とお話しできたら凄く嬉しいです』という感じに答えるといいかも」


 そうヨナスが言うとミーアは呆然とした顔で、

「どうして、アニキはわたしが欲しい物が分かるんですか? お父様とお話ししたいだなんて、お母さまにも言ってないのに」


 目を丸くしての質問に、ヨナスは近くの壁に背中をあずけながら適当に考えて、

「学院の子が大体親に会いたいって言うからそういうもんだろうとね。でさ、当主にされやすいのは一番能力のありそうな子なんだ。それもあって自分の子が他の子に負けると親は怒るし恨む。だからミーアは何をする時も兄姉に負けるといい」


「えっと、兄上と姉上は幾つも年上で―――勝てる訳無いです。大丈夫ですよ」


「うむ。もうちょっと考えて欲しかった。ミーアが負けるべきなのは今の兄上じゃない。同じ年齢だった時の兄上なんだ。大人たちは昔を覚えてるからね。記憶で子供を比べるのさ。

 そーは言っても難しいから、そもそも誰とも競争しないようにして、剣の稽古とかがあれば防ぐのを頑張って余り攻めず、勉強も同じ年齢の頃の兄より先に進むくらいなら前のを勉強しなおすとか。後は何を聞かれても、兄上か姉上どちらかが言っていたのと同じ答えを言うと良い」


「じゃあわたしは、思った事を何も―――。アニキの、言う通りなのは分かるんです。でも、それだとお父様の前で何も言えません。きっと愚か者だと思われます。わたしが駄目なのは知ってます、でも、やっぱり」


 それ以上は言葉にならなかった。ただ悔しそうにしている。


 自己顕示欲。承認欲求。厄介な欲望だとヨナスは思う。十代後半以降であればそろそろ無益で醜い間抜けの欲望を捨てろと言うが、子供には無理な話だ。とは言え何とか悟らせないと死がとても近くなりかねない。さて、どう言ったものかなと考えつつ、

「ミーアは駄目どころか大したもんだけどね。皆より一年以上遅れて蹴球始めたのに今ではフューラーと分けてる。勉強に剣の鍛錬とミーアの方が皆より忙しかったろうにさ」


「―――わたし、大したものなんですか? アニキが言うほど?」


 心底驚いたといったミーアに、もしかして富裕層の教育を受けた子だとこの子くらいが当たり前なのだろうか。と少し不安になりつつも、

「うん。めちゃ凄いよ。ただ大したもんだと誰かが考えると、君の怖がる人たちがもっと攻撃したくなるような気がするんだ。で、今までの話で何か聞きたい事はある?」

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